東京パフォーマンスドールの方向性を決めた『穴井夕子』

穴井夕子プロフィール

生年月日 1974年6月7日
芸能界入り 東京パフォーマンスドールへの加入
※その前から数々のオーディションで入選している
初出世作 CM『メガネスーパー』(1991年)※
TV番組『東京ラブパラダイス』(1992年)
※東京パフォーマンスドールとして
CDデビュー 1991年3月21日(We should be dancing)
主要音楽祭受賞歴
(最優秀新人賞)
主要音楽祭受賞歴
(大賞)
ゴールデン・アロー賞
受賞歴
日本アカデミー賞受賞歴
(最優秀賞、新人賞)
ドラマアカデミー賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
紅白歌合戦出場回数
(2019年まで)
0回
代表曲
()内はオリコン最高順位
ホームページ https://www.discovery-n.co.jp/talent/穴井夕子/

東京パフォーマンスドール加入の経緯

穴井夕子が東京パフォーマンスドールに加入した経緯は、たまたま原宿に赴いたところから始まります。
東京パフォーマンスドールに同じオーディション(ロッテ CMアイドルはキミだ!)を受けた八木田麻衣がいるということで、ダンスサミット(東京パフォーマンスドールのライブ)を行っている原宿ルイードに立ち寄ったところ、なんとそのまま加入することになってしまうのです。Σ(゚Д゚)
穴井夕子は元々アイドルオーディション荒らしとしてその界隈では有名だったので、スタッフが加入を誘うのも当たり前と言えば当り前の話です。

アイドルオーディションの一覧とその出身者
1970年から1999年までに行われた、一般人女性を対象としたオーディションや新人発掘型のコンテストの結果(グランプリ、入選者)や著名な落選...

穴井夕子が東京パフォーマンスドールの方向性を決めた?

穴井夕子が加入する以前の東京パフォーマンスドールは、沖縄アクターズスクール系のようなパフォーマンス重視のグループになる可能性と、既存のアイドルっぽいグループになる可能性のどちらも秘めていました。
しかし穴井夕子の加入によって、東京パフォーマンスドールはアイドル的な方向に進むことになります。
穴井夕子は数々のアイドルオーディションで入賞していた通り、見ればすぐに判断が付くほどアイドル的な要素が極めて高い人物です。
彼女を加入させたということは、東京パフォーマンスドールがアイドル方向に進んでいくということと同じ意味でした。
穴井夕子の加入が東京パフォーマンスドールにとって良かったか悪かったかは今となっては判断できませんが、大きな影響を与えたことは間違いありません。

※今や伝説的なグループとして語られている東京パフォーマンスドールの現状を考えれば、穴井夕子の加入が悪くなかったことは確実かと思います。

時代を先取りしたアイドルグループ『東京パフォーマンスドール』
東京パフォーマンスドールプロフィール メンバー生年月日 下記参照 結成日 1990年4月 出世作 CM『...

『HYU2』放送以前の活動

東京パフォーマンスドールは『HYU2』という番組で一般に知れ渡ります。(その前は、基本的にテレビには出ないというスタンスをとっていた)
『HYU2』以前で一般層に知られていたメンバーと言えば、個人で『ダウンタウンのごっつええ感じ』に出演していた篠原涼子がとても有名ですが、穴井夕子も土曜日の夕方(『HYU2』の裏の時間帯)にTBSで放送された『東京ラブパラダイス』というバラエティ番組にレギュラー出演し、篠原涼子に次ぐ知名度がありました。
アニメ映画『うる星やつら いつだってマイ・ダーリン』には篠原涼子と米光美保と共に『UL-SAYS』名義で主題歌を歌っている他、この3人でニッポン放送で『東京サウンドバズーカ音姫絵巻』というラジオ番組も担当していました。

1990年代前半の土曜の午後とアイドルたち
1990年に入ると、アイドルがよく出演していた『ザ・ベストテン』、『ザ・トップテン』、『夜のヒットスタジオ』などの歌番組は軒並み終了してしま...

派生ユニット『ViVA!』

東京パフォーマンスドールには数々のユニットがありますが、その中でもっともアイドル的要素が強く、また明確にアイドル活動をしていたグループが、穴井夕子が在籍した『ViVA!』です。
メンバーは穴井夕子の他に市井由理と八木田麻衣という、東京パフォーマンスドールフロントメンバーの追加加入組の3人で結成されます。
穴井夕子はもちろん、市井由理も乙女塾出身でアイドル志向の強いほうのメンバーだったので、このグループは当たり前のようにアイドル志向の強い方向へと進みました。
パフォーマンスが重視された東京パフォーマンスドールのコンサートにおいて、『ViVA!』は少し異質な感じがするユニットでした。

ちなみに『ViVA!』のリーダーは最年少の八木田麻衣で、その理由は穴井夕子をリーダーにしても市井由理をリーダーにしても角が立つという、なんとも納得できる理由でした。(;^_^A

デビュー曲『We Should Be Dancing』について

穴井夕子のデビュー曲『We Should Be Dancing』は、元は英語の楽曲で、穴井夕子は日本語にカバーして歌っていました。
この曲について少し話をさせていただきます。
なぜこんなマイナーな曲の話をするのかというと、実は『We Should Be Dancing』という曲にまつわる話は、東京パフォーマンスドールの成り立ちに関わってくるのです。

『We Should Be Dancing』は、東京パフォーマンスドールも所属した芸能事務所『アンクルF』(現:ジャパン・ミュージックエンターテインメント)に所属するKAKKOという新人歌手がイギリスで出した楽曲です。(KAKKOは日本人)
このKAKKOのデビューは1990年ですが、もとを正せば、後に東京パフォーマンスドールも手掛けるEPICソニーの目黒育郎氏が、素人集団である『おニャン子クラブ』の流行を見て、もっと本格的で、なおかつ世界のダンスシーンを取り入れたようなアイドルを作らなければならないと思ったところからプロジェクトは始まっていました。
そんな時代(1986年)に、目黒育郎氏及びEPICソニーが英語の喋れる新人を探して見付けたのがKAKKOだったのです。
その後KAKKOはイギリスに留学し、レコード会社で下働きしながら音楽修業しデビューするも、結果はチャート101位と思わしい結果は残せずに帰国します。
KAKKOのデビューは失敗してしましたが、コンセプトは東京パフォーマンスドールに引き継がれ、また東京パフォーマンスドールが既存のアイドルではないパフォーマンス集団であった由縁にもなっているわけです。

そんな聞いたことのない歌手の話をされても、面白くもなんともないと思った人もいるかもしれません。
しかし、このKAKKOという人物が鈴木杏樹(本名:鈴木香公子)であったと聞けば、話の印象はだいぶ変わってくるはずです。
後に女優や司会者として大活躍する鈴木杏樹ですが、元々は歌手でなおかつイギリスデビューというかなり特異なデビュー経歴をもっていたことはなかなか面白い話かと思います。
ちなみに『We Should Be Dancing』の日本語詞は、『KAKKO=鈴木杏樹』自身が行っています

※アイドルでない鈴木杏樹のことについては書くページがないため、この場を借りて紹介させていただきました。

東京パフォーマンスドール卒業後

1994年9月にフロントメンバーの篠原涼子、市井由理、米光美保の3人が卒業してしますが、穴井夕子はその後も活動を続け、東京パフォーマンスドールのメイン格として扱われます。
しかし、結局上記3人の卒業から半年ほどで自身も東京パフォーマンスドールから卒業。
卒業後も音楽活動を行いましたが、いまいちパッとせず、自身の得意分野であったバラエティを主戦場に活躍しました。
2000年にプロゴルファーの横田真一と結婚した後は、芸能活動をある程度抑えながら活動している模様です。

私の好きな穴井夕子の楽曲

穴井夕子にはあまりヒット曲がないので、その代わりに『ViVA!』の好きな曲を紹介します。
1曲目は、

ひらき直りも芸のうち

で、ラップ調のとても明るく楽しい歌です。

2曲目は、

レモンのKISS

で、元はナンシー・シナトラが1962年に発売した有名な楽曲ですが、これをいかにもアイドルっぽく歌い上げていてお気に入りの1曲です。

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