実は沖縄アクターズスクール出身『早坂好恵』

早坂好恵プロフィール

90年代アイドルの早坂好恵

生年月日 1975年9月25日
芸能界入り 『沖縄アクターズスクール』出身
初出世作 楽曲『絶対!Part2』(1990年10月)
CDデビュー 1990年10月24日(絶対!Part2)
主要音楽祭受賞歴
(最優秀新人賞)
主要音楽祭受賞歴
(大賞)
ゴールデン・アロー賞
受賞歴
主要映画賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
ドラマアカデミー賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
紅白歌合戦出場回数
((2024年まで)年まで)
0回
代表曲
()内はオリコン最高順位
90年:絶対!Part2(42位)
他多数

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目次

早坂好恵は沖縄出身!

早坂好恵の実家は琉球舞踊の家元で、早坂好恵自身も踊りをしていた関係から小学4年生のときに地元の沖縄で行われた子供のミュージカルに参加します。
その過程で地元の沖縄で芸能活動を開始し、アイスクリームのCMに出演するなど小学生の頃から既に地元では人気者だったそうです。

小学6年生から中学生にかけては沖縄の情報番組『沖縄クラブハートキャッチTV』に出演し、アイドルに類するような活動も行っていました。
この『沖縄クラブハートキャッチTV』から、秋元康を顧問とした『HeBeE』というアイドルの売り出しプロジェクトがスタートし3人が選出されることとなり、早坂好恵は里中茶美、奥永知子と共に東京に上京してきます。(奥永知子は東京で主だった活動はしていないようである)
この『HeBeE』プロジェクトから最初にデビューをしたのが里中茶美で、2人目が奥永知子、そして1990年に最後となる早坂好恵がデビューを果たします。

バラエティタレントとして大成功!

早坂好恵が歌手デビューした当時はバラドルブームが起き始める頃で、松本明子、井森美幸、森口博子などが多数の番組に出演していました。
彼女たちはアイドル歌手として芽が出ずに、仕方なくバラエティ番組が活動の主軸になったわけですが、早坂好恵の場合は最初からバラエティを主軸に活動を行います。
キャッチコピーは『バクダン小娘』と正統派アイドルからは程遠く、デビュー曲の『絶対!Part2』も極めてバラエティ色の強い楽曲で、デビュー当初からバラエティでの活動を見据えていた様子が窺いしれます。

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実は沖縄アクターズスクール出身の早坂好恵

沖縄アクターズスクールの出身者と言えば、ダンスなどのパフォーマンスレベルが高く、カッコいいイメージがあります。
しかし早坂好恵は、そういった素振りをまるで見せずにバラエティで活躍し、カッコいいとは真逆のふざけた感じ楽曲を歌っていたわけです。
ですので、後に早坂好恵が沖縄アクターズスクールの出身であることを知ったときは本当に驚きました。
そもそも早坂好恵がデビューした当時は沖縄アクターズスクール自体が有名ではなく、早坂好恵が初めて成功した人と言っても差し支えない状況でしたので無理はないですが、今になって見返してみるとデビューのときから歌もダンスも並のアイドル以上の力を有していたことが確認できます。

沖縄アクターズスクールと早坂好恵に関して、面白いエピソードが1つあります。
沖縄アクターズスクール出身の安室奈美恵やMAXがレギュラー出演する『夜もヒッパレ』という音楽バラエティに早坂好恵がゲスト出演した際、安室奈美恵やMAXのメンバーが早坂好恵を『好恵ねーちゃん』と呼んでいたとのエピソードを話すのですが、早坂好恵と同学年のナナ(沢詩奈々子)もどさくさに紛れてこの意見に同調しており、早坂好恵はナナとは同い年だとアピールして笑いが起きていました。(^o^)

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なぜ早坂好恵はバラエティタレントとして活躍したのか?

早坂好恵も沖縄アクターズスクールに通っていたのですから、並のアイドル以上のパフォーマンス能力はあったはずです。
にも関わらず、なぜバラエティ路線での活動に終始したのでしょうか?
もちろん個人の資質的な部分もあるでしょうが、もっと現実的な問題があったのかもしれません。

沖縄アクターズスクールからは、1980年代に牧野アンナ(沖縄アクターズスクール創設者の娘)、GWINKO、仲村知夏、里中茶美などのパフォーマンス能力が高い人たちが次々と東京に進出していたのですが。正直言って芸能界で成功したとは言える人はいませんでした。
早坂好恵は、沖縄アクターズスクールのエースであったであろう先輩たち(里中茶美とは同級生)が、芸能界で成功できなかった様子を見ているので、普通に活動していたらダメであろうことを十分理解していたものと思われます。
その結果、最初からバラエティ路線で勝負することを腹に決めていたのかもしれません。

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早坂好恵のその後

1993年から1997年まで放送された『パッパラ!パラダイス 朝から早坂』という自身の冠番組など、早坂好恵はバラエティ番組での活躍を続けていましたが、2003年にみちのくプロレス出身で、当時大阪プロレスの社長だった覆面プロレスラーのスペル・デルフィンことモンキーマジック・ワキタこと脇田洋人と結婚し、芸能活動を休止します。
2008年からは夫のスペル・デルフィンが沖縄プロレスを立ち上げたため、沖縄に帰郷し沖縄限定の地方タレントとして芸能活動を再開させます。
2012年には夫婦揃って再び大阪を拠点とし、関西国際空港旅客ターミナルビルにある沖縄発のアイスクリームチェーン店『ブルーシールアイスクリーム』の店長などをしていました。(2016年に閉店)
現在も大阪の芸能事務所に所属しているようですが、SNSなどを行っていないため動向はあまり伝わっていません。

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2023年12月28日:記事(文章部分)の完成
1990年デビュー
プロフィール
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【自己紹介】
名前:究極DD
年齢:思ったより若い
所在地:関東平野(情報が関東に偏る)
性格:生まれ持ってのデータ厨
好きなもの:女性アイドル
好きな番組:ザ・ベストテン
好きなドラマ:大映ドラマ
嫌いなもの:男性アイドル
専門分野:90年代の女性アイドルグループ
Twitter:https://twitter.com/idol20th
【サイト説明】
近年、You Tubeなどの動画サイトの影響か、中高生などの若い世代に70年代アイドル・80年代アイドル・90年代アイドルなどのファンが増えているそうです。
その一方で、インターネット環境の変化からサイトの閉鎖が相次ぎ、かつてネット上で書かれていたアイドルの情報が損失していっています。
自分はアイドルオタクというほどアイドルにハマっていたわけではありませんが、若い世代に20世紀に活躍したアイドルたちのことを語り継いでほしいので、自分の知り得るアイドルの情報を今のうちに書き残していきたいと思います。
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