井上晴美プロフィール
生年月日 | 1974年9月23日 |
芸能界入り | 第1回『HOP!STEP!とびだせアイドル』グランプリ |
初出世作 | TV番組『桜っ子クラブ』(1991年) |
CDデビュー | 1991年6月12日(ふりむかないで) |
主要音楽祭受賞歴 (最優秀新人賞) | - |
主要音楽祭受賞歴 (大賞) | - |
ゴールデン・アロー賞 受賞歴 | - |
主要映画賞受賞歴 (主演賞、助演賞、新人賞) | - |
ドラマアカデミー賞受賞歴 (主演賞、助演賞、新人賞) | - |
紅白歌合戦出場回数 (2023年まで) | 0回 |
代表曲 ()内はオリコン最高順位 | - |
目次
2、井上晴美のデビューの経緯
3、井上晴美は『桜っ子クラブさくら組』のセンター?
4、グラビアアイドル・井上晴美
5、アイドル水泳大会での活躍
6、突然の・・・〇〇〇写真集発売
7、熊本への移住と熊本地震での被災
8、現在の井上晴美
9、私の好きな井上晴美楽曲
10、井上晴美の動画(個人チャンネル)
11、クイズ
12、アンケート
13、ホームページ・SNS
14、関連記事
井上晴美のデビューの経緯
井上晴美は1991年4月開始の『桜っ子クラブ』という番組のマスコットグループである『桜っ子クラブさくら組』のメンバーとして知られており、『桜っ子クラブさくら組』としてデビューしたとされることもありますが、実際のデビューは少し違います。
『桜っ子クラブ』が始まる前の同じ時間帯では、『桜っ子クラブ』と西武園ゆうえんちからの公開生放送(終盤は公開録画)していた『アイドル共和国』という番組が放送されていました。
この番組で『桜っ子クラブ』が始まる半年前となる1990年の秋から、『Hop!Step!とびだせアイドル』というアイドルオーディションが始まります。
そのアイドルオーディションは、何週かに渡って応募者同士で争う様子が放送された後、勝ち抜いた人によって決勝大会が行われるという『スター誕生!』のようなシステムでした。
井上晴美は、このオーディションの第1回決勝大会でグランドチャンピオンを獲得し本格的な芸能界入りを果たしているのです。
番組内でも井上晴美の活動を追ったり、応援メッセージなどの募集もしており、そのまま同じ時間帯の番組で結成されたアイドルグループである『桜っ子クラブさくら組』に加入した形となっています。
こういった影響もあり、『桜っ子クラブさくら組』は彼女を中心としたグループだと認識している人も当時は多かったと思います。
『桜っ子クラブさくら組』の初期メンバーには、他にも『Hop!Step!とびだせアイドル』の出身者が複数人在籍していました。
井上晴美は『桜っ子クラブさくら組』のセンター?
井上晴美は、『桜っ子クラブさくら組』の中で最も早く頭角を現したメンバーです。
ソロデビューもメンバーの中で1番早くしている他(中條かな子のビデオに入っていたミニアルバムは除く)、『桜っ子クラブさくら組』全体の1stシングルでは、後に女優として開花する中谷美紀や菅野美穂を抑えてセンターポジションを務めています。
以上のように、当時の井上晴美は『桜っ子クラブさくら組』の顔と言っても過言ではない存在でした。
グラビアアイドル・井上晴美
井上晴美が芸能活動を開始した時期は、アイドル歌手が廃れグラビアアイドルが台頭してくる時代です。
当然、グラマラスな体型をしていた井上晴美もグラビア活動が活発で、バストに1億円の保険をかけたことが話題になったりもしました。(当時は田中美奈子が瞳に1億円の保険をかけて話題になっていた)
このようにして、井上晴美は後に起こるグラビアアイドルブームの一躍を担うこととなります。
アイドル水泳大会での活躍
井上晴美の有名な特徴として水泳が得意というものがあります。
デビュー前の学生時代に熊本県代表としてインターハイに出場したことがあるそうで、当時行われていたアイドルの水泳大会で大活躍していました。
特に『シェイプUPガールズ』のメンバーとはライバル関係になり、後に放送が途切れる末期のアイドル水泳大会を支える存在となります。
突然の・・・〇〇〇写真集発売
『ナースのお仕事』などといったゴールデンタイムの連続ドラマに多数レギュラー出演するなど、女優としても順調に仕事をこなすようになった井上晴美でしたが、1999年、突然に丸坊主姿のヌード写真集を発売します。
これは、おそらく誰も求めていないであろうアート寄りの写真集で、話題にはなりましたが売り上げは低調だったかと思われます。
しかも丸坊主にしたことで今まで行っていたような仕事がしばらく出来なくなり、井上晴美の人気は一気に下がってしまいました。(ノ_-。)
写真集の出来もイマイチなうえ、旬な時期に仕事を失うという二重のマイナス作用があったわけですから、この写真集企画を考えた人は、よほど未来を見通す才能がないものと思われます。
熊本への移住と熊本地震での被災
髪の毛も伸びて、なんとか女優として復帰した井上晴美ですが、2005年にメキシコ人と結婚し、2007年、2009年、2011年と2年毎に子供を出産したこともあり芸能活動が不活発になります。
また田舎で子育てをしたいという夫の希望から、井上晴美は第1子の出産後に長野県に移住し、第3子の出産後は地元・熊本県の阿蘇山近郊で半農半芸のような生活をするようになりました。
そんな矢先の2016年4月に、井上晴美は熊本地震により被災してしまいます。
被災民となった井上晴美は、現地の状況を知ってもらおうとブログで積極的に発言していたのですが、『ブログをやっている場合じゃないだろ』などの批判を受けるようになります。
自宅も実家も全壊という大被害を受け、内容がネガティブなものばかりになっていたこともあり、批判は次第にエスカレートしていきバッシングと呼べるような状況にまで発展してしまいました。
家の全壊という物理的な被害に加え、SNSでの批判という精神的な被害も受けたこの1件は、SNSの在り方を語る上での1つの教訓となっているようです。
現在の井上晴美
現在も熊本で自給自足に近い生活を送りながら、できる仕事があれば行うというスタンスで芸能活動を続けています。
同じ『桜っ子クラブさくら組』出身の加藤紀子も畑で野菜作りをする生活をしてるので、動画サイトなどでコラボ企画でもしたら面白いかもしれません。
グループ内で仲が良かったのかは微妙なところですが・・・(;^_^A
私の好きな井上晴美楽曲
私が1番好きな井上晴美の楽曲は、
『ふりむかないで』
です。
この歌は『ザ・ピーナッツ』が1962年に発売したもので、元祖和製ポップと称されたりもしています。
『ザ・ピーナッツ』が活躍していた当時、ポップスと言えば洋楽のカバーだったのですが、この『ふりむかないで』は日本人によって手掛けられた最初期のポップスで、現在に続くJ-POPの元祖的存在なのです。
井上晴美のカバー版はまるで売れませんでしたが、『桜っ子クラブ』の番組内で度々歌っていたためよく覚えています。
井上晴美の動画(個人チャンネル)
クイズ
只今制作中・・・少々お持ちください。m(_ _)m
アンケート
2023年4月、ブログのリニューアルに伴いアンケートを新しいものに差し替えました。投票数はリセットされているので、過去に投票した人も再びの参加をお待ちしております。
※110組以上から選択可能な本格的なアンケートは『こちらのページ』から!
選択肢が足りない(増やす)
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