秀樹の妹でヤックンの妻?『石川秀美』

石川秀美プロフィール

生年月日 1966年7月13日
芸能界入り 第2回『HIDEKIの弟妹募集!!全国縦断新人歌手オーディション』グランプリ
キャッチフレーズ さわやか天使
レコードデビュー 1982年4月21日(妖精時代)
主要音楽祭受賞歴
(最優秀新人賞)
1982年メガロポリス歌謡祭最優秀新人賞
主要音楽祭受賞歴
(大賞)
ゴールデン・アロー賞
受賞歴
日本アカデミー賞受賞歴
(最優秀賞、新人賞)
ドラマアカデミー賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
紅白歌合戦出場回数
(2019年まで)
1回
代表曲
()内はオリコン最高順位
82年:ゆれて湘南(29位)
83年:Hey! ミスター・ポリスマン(10位)
84位:ミステリーウーマン(5位)
85位:もっと接近しましょ(4位)
85年:愛の呪文(7位)
他多数
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目次

石川秀美は西城秀樹の妹?

石川秀美は、河合奈保子は輩出した『HIDEKIの弟妹募集!!全国縦断新人歌手オーディション』の第2回目のグランプリ獲得者で、審査員は別の女性(森下恵理)を推していたようですが、西城秀樹の鶴の一声で石川秀美がグランプリを獲得することとなりました。

1970年から1999年までに行われた、一般人女性を対象としたオーディションや新人発掘型のコンテストの結果(グランプリ、入選者)や著名な落選...
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石川秀美は花の82年組!

石川秀美は1982年にレコードデビューしています。
この1982年には有名となる女性アイドルが次々とデビューしており、後に『花の82年組』と呼ばれました。
以下が、俗に『花の82年組』と呼ばれる女性アイドルの一覧です。

デビュー日 名前 デビュー曲
1981年10月21日※ 松本伊代 センチメンタル・ジャーニー
1982年3月21日 小泉今日子 私の16才
1982年3月21日 堀ちえみ 潮風の少女
1982年3月21日 三田寛子 駈けてきた処女
1982年4月21日 石川秀美 妖精時代
1982年4月21日 早見優 急いで!初恋
1982年5月1日 中森明菜 スローモーション

※松本伊代のデビューは1981年だがレコード大賞の新人対象期間の関係で82年組に含まれる

上記の表を見れば分かる通り、『花の82年組』と呼ばれる女性アイドルは松本伊代を除きデビュー日が1年どころか1ヶ月少々しか離れておらず、本当に同時多発的に登場したアイドルたちだったのです。
その他、同期の男性アイドルには『シブがき隊』(1982年5月5日デビュー)がおり、レコード大賞最優秀新人賞はシブがき隊が獲得しています。

※角川三姉妹の薬師丸ひろ子と原田知世も1982年度のデビューだが、活動の相違から『花の82年組』に含まれない場合が多い

本格的な歌手への道を模索するも・・・

石川秀美は、かなり早い段階からアイドルソングから脱却した本格的な歌手へ模索を始めていました。(12thシングル『ミステリーウーマン』から顕著にこの傾向が現れる)
ロックテイストの楽曲を歌い、可愛いアイドルからカッコいい女性への変貌を見せていたのですが、この路線はそこまで成功したと言えませんでした。
石川秀美がこの路線で大成功できなかったことには明確な理由があります。
それは同じような路線に強力なライバルがいたためです。
そのライバルとは同期デビューの中森明菜で、これはさすがに相手が悪かったとしか言いようがありません。

しかし見ている人は見ているもので、石川秀美はデビュー4年目の1985年に『愛の呪文』でNHK紅白歌合戦出演を果たしました。
これは花の82年組の女性アイドルの中ではもっとも遅い紅白初出場となります。(2014年初出場の薬師丸ひろ子は除く)
このように中森明菜の影に隠れてしまったものの、石川秀美は歌手として業界での評価はそれなりに高かったようです。

石川秀美と石川ひとみはどちらが売れていたのか?

1980年代の音楽業界には、

石川さゆり
石川優子
石川ひとみ
石川秀美

と、石川の名字を持つ女性歌手が多数活躍していました。
これが、俗に言う『大航海時代』、『大海賊時代』に並ぶ『大石川時代』と呼ばれる時代です。Σ(゚Д゚)

特に同じアイドルで、一文字しか名前が違わない石川秀美と石川ひとみは、当時の人々に大きな混乱を与えました。
どちらの『いしかわひ〇み』も、

丸顔、童顔、ぱっちりした目

などの外見的特徴をしており、見分けが付かないようなことはないですが同じ系統の顔立ちで、更に出身地が愛知県という点まで一致していたのです。
そんな似通った石川秀美と石川ひとみについては、どちらが売れていたかという論争がなんと今でも続いているそうです。
ということで、この場を借りて石川秀美と石川ひとみのどちらが売れていたかを検証したいと思います。

まず、大前提として石川ひとみは1978年デビューの70年代アイドルで、1982年デビューの石川秀美とは少しデビューの時代がズレています。
しかし石川ひとみはデビューしてからしばらく売れない時代があり、世に広く知られるようになったのは『まちぶせ』がヒットした1981年以降です。
一方、石川秀美は『第2回HIDEKIの妹オーディション』という注目度の高いオーディションに合格し、アイドルブーム真っ盛りの中、一気にブレイクしていきます。
そのため、この2人は活動期間がガッツリ被っているわけです。
ただ上記した状況の違いから、売り出し方などには若干の違いがありました。
石川秀美はアイドルとしての活動を普通にこなしていましたが、『まちぶせ』がヒットして以降の石川ひとみは歌う曲も落ち着いたものが多く、仕事も司会行をこなすなど80年代アイドルのお姉さん的な一面も見せていたのです。

さて、肝心のどちらが人気があったのかについてですが、石川秀美は歌番組、バラエティ、CM出演とアイドルが大ブームとなっていた中で十分に活躍したのですが、明確なヒット曲はありません。
売れてないわけではありませんが、松本伊代の『センチメンタルジャーニー』、早見優の『夏色のナンシー』のような後世まで残るような代表曲がないのです。
堀ちえみも同じように代表曲がないのですが、彼女の場合は『スチュワーデス物語』という代名詞となるドラマ主演があります。
石川秀美には、このようなドラマや映画においても代表作といえる作品がないのが実情です。
一方、石川ひとみには虎の子となる『まちぶせ』というヒット曲があります。
ただ、石川ひとみのほうもその後はヒット曲に恵まれず、一発屋のような傾向もあって芸能活動で苦しんでいる様子も見受けられました。
しかし芸能人はヒット曲が1曲あれば一生食べていけるとも言われ、実際に石川ひとみは現在でも懐メロ番組などでよく『まちぶせ』を歌っています。

ということで、石川秀美と石川ひとみのどちらが売れていたかについては、判断が非常に難しいと言わざるを得ません。
アイドルとして順調に仕事をこなしていたのは間違いなく石川秀美ですが、アイドルソングのヒット曲が明確にあるのは石川ひとみです。
個人的な結論としては、

アイドルとしては石川秀美
芸能人としては石川ひとみ

がより売れていたのではないかと思います。

カバーとオマージュとパクリの境界線とは?

カバーとは、承諾を得て他人の楽曲を歌うことで、洋楽カバーの場合は日本語訳の詞をつけることが一般的です。
オマージュとは、過去の名曲などの曲調を一部分あえて似せる行為のことで、度が過ぎると著作権的な問題が出てきます。
パクリとは、他人の曲を自分の曲であるかのように発表する行為のことで、法的(著作権的)に問題があります。

なぜこんな話をするのかというと、実は石川秀美のシングル曲には有名な洋楽とかなり似ている楽曲が2つあるのです。
1曲目が、12thシングル『ミステリーウーマン』(1984年10月24日発売)で、2曲目が13thシングルの『もっと接近しましょ』(1985年1月23日発売)です。
『ミステリーウーマン』に似ているのが、ボン・ジョビのデビューアルバムの表題曲『夜明けのランナウェイ』(1984年1月21日発売)、『もっと接近しましょ』に似ているのが、シーラEのデビューシングル『グラマラス・ライフ』(1984年5月2日発売)で、どちらもオマージュの域を遥かに超えて似ており、かと言ってカバー曲であるとの表記もありません。
シーラEに至っては、来日した際に自分の歌がカバーされていると思い喜んだというエピソードがあるほどです。
つまりこれらの楽曲はパクリに該当する可能性が極めて高く、発売時期などを照らし合わせてみても偶然の一致などではなく、意図的に似せたものと考えられます。
当時は特にお咎めはなかったようですが、今同じことをやったら訴えられ作曲に対する著作権料と慰謝料を払うことになるでしょう。
この2曲が石川秀美のシングルの中で2番と4番に売れているということも、これらの事実を知ると皮肉的な出来事に感じてしまいます。(『もっと接近しましょ』が13.8万枚で2位、『ミステリーウーマン』が12.8万枚で4位)
ちなみに、続く14thシングル『あなたとハプニング』もキャロル・キングの『星が落ちてくる』に似ていると言われ、当時の石川秀美はあえて洋楽に似せた曲を歌っていたとしか思えない状況なのです。(T_T)

しかもこの2曲(または3曲)は全て作曲家が違うので、事務所があえてこういった戦略(パクリ)に出たとも考えられ、かなり悪質な可能性も捨てきれません。
そもそも石川秀美が在籍していた芸能事務所の芸映には、当時既に所属アイドルが歌う楽曲で著作権上の問題が発生していました。
1982年5月21日に岩崎宏美の楽曲として発売され音楽賞なども受賞した『聖母たちのララバイ』が、原曲者とされるイギリス人のジョン・スコットに抗議され作曲者併記という形で決着を付けていたのです。
その後も、石川秀美の前任(先輩)となる第1回『HIDEKIの弟妹募集!!全国縦断新人歌手オーディション』のグランプリ獲得者・河合奈保子の14thシングル『UNバランス』(1983年9月14日発売)が、ドナ・サマーの『情熱物語』(1983年5月27日発売)に似ていると話題となります。
更に、同じく河合奈保子の19thシングル『北駅のソリチュード』(1984年12月5日発売)は、ワムの『ケアレス・ウィスパー』(1984年7月24日発売)と類似点が指摘されています。
上記した石川秀美の楽曲を含め、こんな短い期間に同じ事務所から洋楽と似た楽曲がどんどん発売されることは、とても偶然の一致とは思えません。

もちろん、当時のアイドル歌謡界は、ホリプロ所属の榊原郁恵の『夏のお嬢さん』とスージー・クアトロの『ワイルド・ワン』、ジャニーズ事務所所属のシブがき隊の『ZOKKON 命(LOVE)』とナイト・レンジャーの『炎の彼方』などが極めて似た曲と知られており、また八神純子が1980年に発売した『パープルタウン』は、盗作問題で裁判沙汰となり、タイトルと作曲者に原告者側の表記するなど、芸映に限らずパクリあるいはそれに近いものが横行している時代だったわけですが、その点を考えても、芸映所属のアイドルから短い期間で次々と似ている楽曲が発売されたことは何らかの意図が働いているとしか思えない状況となっています。
※八神純子は『みずいろの雨』も、ニール・セダカのアルバムの中になる『Hot & Sultry Nights』と似ていると指摘されている。

この問題については、石川秀美をはじめとした歌唱者自身に問題があったわけではありません。(作曲者を兼ねる八神純子は除く)

未だに利用され続ける名曲?『もっと接近しましょ』

石川秀美の13thシングル『もっと接近しましょ』は、『ぺんぎんくんWARS』というゲームのBGMに使用されました。
アイドルの楽曲がゲームのBGMとして採用されることも珍しい話ですが、なんとこの『ぺんぎんくんWARS』は、分かりやすく単純なゲーム性であったため今でも新作が作られたり最新ゲーム機への移植も行われているのです!
そのためこの『もっと接近しましょ』は、80年代アイドルに全く興味のない人でも聴いたことがあるかもしれない一曲となっているのです。(上記した著作権の問題が残り続けてしまうのだが・・・)

結婚とその後の石川秀美

NHK紅白歌合戦出場後もアイドル活動を続けていた石川秀美ですが、1990年6月に同期デビューの『シブがき隊』のメンバーである薬丸裕英と結婚し芸能界を引退します。(既に妊娠8ヶ月だった)
引退後は極まれに家族でCMなどに出る程度で、表舞台からは去り主婦業に専念しているようです。

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私の好きな石川秀美楽曲

私が1番好きな石川秀美の楽曲は、

愛の呪文

です。

この『愛の呪文』は、個人的に1980年代のアイドルソングの中でもトップレベルに好きな1曲となります。
曲の内容もさることながら、衣装や特徴的な振付も全部お気に入りで、この曲で紅白に出場できたことはとても嬉しい出来事でした。

※『愛の呪文』もエルトン・ジョンの『クロコダイル・ロック』に似ていると言われますが、こちらはパクリというほどではありません。(^_^;)

石川秀美のオススメ商品

GOLDEN☆BEST [CD]

こちらは、石川秀美の一般的なベストアルバムになります。

石川秀美BOX COMPLETE SINGLE COLLECTION [CD-BOX]

こちらは、石川秀美の楽曲71曲を収録したCDセットに、イメージ映像とライブ映像を収めたDVDがついてくる豪華版のベストアルバムになります。

Between [写真集]

こちらは、1988年に発売された石川秀美の写真集となります。

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