伊藤麻衣子/いとうまい子プロフィール
生年月日 | 1964年8月18日 |
芸能界入り | スカウト |
キャッチフレーズ | - |
レコードデビュー | 1983年2月25日(微熱かナ) |
主要音楽祭受賞歴 (最優秀新人賞) | - |
主要音楽祭受賞歴 (大賞) | - |
ゴールデン・アロー賞 受賞歴 | - |
主要映画賞受賞歴 (主演賞、助演賞、新人賞) | - |
ドラマアカデミー賞受賞歴 (主演賞、助演賞、新人賞) | - |
紅白歌合戦出場回数 (2023年まで) | 0回 |
代表曲 ()内はオリコン最高順位 | 85年:見えない翼(14位) |
目次
2、伊藤麻衣子の芸能界入り
3、伊藤麻衣子は初代ミス・マガジン!
4、大映ドラマと伊藤麻衣子
5、『婦警候補生物語』と『見えない翼』
6、『愛しのハーフ・ムーン』の出演と所属事務所との対立
7、事務所の退所・移籍による影響
8、伊藤麻衣子のその後①
9、ここからが凄い!いとうまい子のその後②
3、私が好きな伊藤麻衣子楽曲
4、いとうまい子の動画(個人チャンネル)
7、クイズ
8、アンケート
9、ホームページ・SNS
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伊藤麻衣子の芸能界入り
高校生時代の伊藤麻衣子は、兄が東京で暮らしていた関係で地元の名古屋からよく上京し、毎回のようにスカウトを受けていました。
松本伊代や本田美奈子が所属したボンド企画からスカウトされた際は、アイドルにはなりたくなかったため断ったのですが、役者系の芸能事務所からスカウトされたときは事務所まで訪れます。
しかし背が低いことを理由に女優になることは難しいと言われ、そこで後述する『ミス・マガジン』の応募を進められたそうです。
伊藤麻衣子は初代ミス・マガジン!
その後、伊藤麻衣子はアイドル雑誌『BOMB』(1981年12月号)の1コーナー『ボムバーズ・プレス・センター(BPC)』という新人アイドルを紹介する白黒ページや、週刊プレイボーイ(1981年12月8日号)で1ページだけのグラビアを飾るなど小規模の芸能活動を行い、漫画雑誌『週刊少年マガジン』主催のグラビアコンテスト『ミス・マガジン』に参加します。
1982年6月30日号の『週刊少年マガジン』で伊藤麻衣子の巻頭グラビアが掲載されるとともに、グランプリの獲得も発表されました。
そしてこのグラビアを見た別事務所(フロム・ファーストプロダクション)からの熱心なスカウトを経て、伊藤麻衣子の本格的な芸能活動がスタートすることになります。
大映ドラマと伊藤麻衣子
1983年10月18日から1984年3月27日に放送された大映テレビ制作の『スチュワーデス物語』は、突拍子もないストーリー展開や過剰な演出が話題となり、最高視聴率26.8%を獲得する人気ドラマとなります。(スチュワーデス=現在のCA)
この好評を受け、大映テレビは、『スチュワーデス物語』を踏襲する独特なドラマを次々と制作し、これらの作品群は大映ドラマと呼ばれるようになりました。
『スチュワーデス物語』が放送されたTBSの火曜8時枠は、1つ前の『高校聖夫婦』から主に大映テレビが担当するようになっているため、便宜上『高校聖夫婦』からが大映ドラマとして括られるのですが、この『高校聖夫婦』に主演していたのが伊藤麻衣子で、最高視聴率は22.1%と、こちらもそれなりに好評を得ています。
『スチュワーデス物語』に続いて同枠で放送されたドラマ『不良少女とよばれて』では、最高視聴率27.9%と『スチュワーデス物語』以上の視聴率を記録します。
この『不良少女とよばれて』の主演も伊藤麻衣子が務めているのですが、可愛らしい幼顔の伊藤麻衣子と不良少女には大きなイメージのギャップがあると思う人も多いかもしれません。
実は、『不良少女とよばれて』は別のアイドル(宇沙美ゆかり)が主演する予定だったのですが、内容が内容だけに土壇場でキャンセルとなっていたのです。
伊藤麻衣子は自身がアイドル路線で売り出されることに違和感を感じており、自らイメージとギャップのある当作品への出演をスタッフに懇願していたそうで、思いがけずに舞い込んだチャンスを掴むことに成功します。
『高校聖夫婦』と『不良少女とよばれて』の間に、伊藤麻衣子は別枠で放送された『少女が大人になる時 その細き道』という7話完結の連続ドラマにも主演しているため、放送時期的にほぼ3作品連続で大映ドラマに主演するという、かなり特異なドラマの出演をしています。
ちなみに、伊藤麻衣子が出演した大映ドラマには必ず伊藤かずえが出演していました。Σ(゚Д゚)
『婦警候補生物語』と『見えない翼』
『不良少女とよばれて』に続いて、伊藤麻衣子と大映テレビの制作ではないユニオン映画制作のドラマ『婦警候補生物語』(放送日:1985年1月14日~3月25日)に主演します。
このドラマは、『スチュワーデス物語』のスチュワーデスを婦警に変えただけのような内容で、『スチュワーデス物語』に出演していた石立鉄男も同じようなポジションでキャスティングされています。
今の感覚では盗作などと騒がれるかもしれませんが、当時は『ザ・ベストテン』と『ザ・トップテン』のような、ほとんど同じに等しいレベルの番組が普通に違う局で放送されていたので、テレビ局ではパクりパクられの関係が当たり前だったようです。(;^_^A
この『婦警候補生物語』で伊藤麻衣子は主題歌(見えない翼)も担当し、オリコン最高14位を獲得。
登場回数も15週に渡り、累計11.5万枚のスマッシュヒットとなりました。
伊藤麻衣子は『不作の83年組』と呼ばれるアイドル歌手としての成功者が現れなかった年にデビューした1人ですが、『見えない翼』は同期の女性アイドルで当時もっとも売れていた岩井小百合の『ドリーム ドリーム ドリーム』の10.2万枚を超えているため、歌手としても83年組のトップに躍り出る形となっています。
『愛しのハーフ・ムーン』の出演と所属事務所との対立
1987年に公開された『愛しのハーフ・ムーン』という映画の撮影で、伊藤麻衣子は本人の事前承諾なしにヌードを伴うベットシーンを演じることを求められるという、今だったら確実に大問題になるであろう被害に遭います。
現場で抗議をした伊藤麻衣子でしたが、事務所は事前に承諾していたようで、撮影準備が着々と進む状況下で断りきれなくなり仕方なく撮影に応じることになりました。
ただ、さすがにマズいと思ったのか映像では明確なヌード姿は映っていません。
この映画撮影の他にヌード写真集を発売する計画も勝手に進んでいたようで、所属事務所への不信感を覚えた伊藤麻衣子は内容証明を送って事務所を退所します。
事務所の退所・移籍による影響
この所属事務所の退所により、伊藤麻衣子本人は業界から干されて10年ほどテレビなどといった表舞台の仕事がほとんどなかったと語っていますが、調べてみるとそこまでの影響はなかったように思います。
『愛しのハーフ・ムーン』の公開が1987年8月8日ですから、撮影から公開まで時間を考慮すると伊藤麻衣子は1987年はじめ頃から仕事に影響が出ていた可能性があります。
そこで1986年末から1989年までに伊藤麻衣子が出演したテレビドラマを調べてみました。
放送日 | ドラマ名 | 形式 | 役柄 |
---|---|---|---|
1986年12月?日 | 新・坊っちゃん | 単発ドラマ | 主役相当 |
1987年2月16日 | 江戸を斬るVII | 連続ドラマ | ゲスト出演 |
1987年11月1日 | 独眼竜政宗 | 連続ドラマ | ゲスト出演 |
1987年12月20日 | 俺と姉貴 | 単発ドラマ | 主要キャスト |
1988年4月15日 | NEWジャングル | 連続ドラマ | ゲスト出演 |
1988年5月11日 9月28日 | ザ・スクールコップ | 連続ドラマ | 脇役 |
1988年10月3日 1989年3月31日 | 吉野物語 | 帯ドラマ | 脇役 |
1988年10月24日 | 灯籠踊りのアリバイ | 単発ドラマ | 主演 |
1989年6月11日 | ナーススクール物語 | 単発ドラマ | 主要キャスト |
1989年7月14日 | カナリヤの唄殺人事件 裏切りを許さぬ女の情念! | 単発ドラマ | 主要キャスト |
1989年9月3日 | ナーススクール物語2 | 単発ドラマ | 主要キャスト |
1989年10月7日 | ビートたけし殺人事件2 失われた魔人の伝説 | 単発ドラマ | 脇役 |
1989年12月7日 | 女と男の忠臣蔵 討入りそば屋の一番手柄 無辺流畳返し!! | 単発ドラマ | 主要キャスト |
1989年12月30日 | 奇兵隊 第一部 | 単発ドラマ | 脇役 |
『愛しのハーフ・ムーン』出演前後の1987年に、放送日レベルで8ヶ月半テレビドラマの仕事がないなど間が空く時期が散見されるものの、全体的に見れば干されているような感じはありません。
任される役が悪くなっていると指摘する人がいるかもしれませんが、これは移籍した事務所の力具合も影響するので、干された影響であるとは一概に言えないでしょう。
ちなみに移籍した事務所は、『愛しのハーフ・ムーン』で濡れ場の相手役が所属していた『たむらプロモーション』でした。
そもそも1986年の時点で、伊藤麻衣子は榊原郁恵主演の学園ドラマ『新・熱中時代宣言』(放送:1986年4月5日~8月16日)に主役の妹として出演した程度で、既にテレビドラマの仕事は減っていました。(1986年には映画『愛の陽炎』で主演している)
更に前の『婦警候補生物語』出演以降、伊藤麻衣子はテレビドラマでの需要低下が明らかで、連続ドラマの主演もこの作品が最後になっているのです。
以上のように、伊藤麻衣子の仕事が減っていった理由は、事務所移籍によるトラブルよりも入れ替わりの激しいアイドル特有の“時間経過による人気低下”の影響のほうが大きいように思えます。
上記した表を見ると1988年には2時間ドラマで主演しているので、同時期にデビューしたアイドル(岩井小百合や大沢逸美など)よりもかなり仕事に恵まれており、前事務所による芸能活動の妨害工作などはほとんどなかったと個人的には感じますし、少なくとも10年間も表舞台に出れないほどの悪影響が続いたとは到底思えません。(その後もドラマ出演は途切れず続いている)
音楽活動のほうは、『愛しのハーフ・ムーン』の主題歌に採用された『Love Shooter』を最後に終わっているので影響はあったのかもしれませんが、このことについては本人が歌手活動をしたくなかったという理由もあり、それが原因でバラエティ番組などの出演が減ったとしても自己責任の部分が大きいように感じます。
伊藤麻衣子のその後①
その後も伊藤麻衣子は女優として活動し、単発ドラマでは主要キャストを任せられることもよくありました。
タレントとしては年齢に似合わない童顔が話題となり、度々メディアに取り上げられています。
そんな伊藤麻衣子ですが、1995年に名前を『いとうまい子』に改名しています。
その理由は、『3年B組金八先生』の第2シリーズに出演していた川上麻衣子との混同を避けるという「今更その理由?」と思うような内容でした。
おそらく、メディアへの露出が減って見る人の記憶が曖昧になっていくにつれ、同時期に活躍したアイドル要素を含む女優として、伊藤麻衣子と川上麻衣子がごちゃごちゃになる人が増えてしまったのでしょう。
伊藤と川上なんて間違えようがないと感じる人もいるかもしませんが、こればっかりは当人にしか分からない感覚があるものと思われます。
ここからが凄い!いとうまい子のその後②
通常ならここで記事は終わりなのですが、いとうまい子の場合はここからが凄いのです。
まずは2010年に早稲田大学の人間科学部に入学し、高齢者のための医療や福祉ロボットについて学びます。
2016年には同校大学院の人間科学研究科に進み修士課程を修了し、更に博士過程にも進み現在も老化や老化の対策などについて学び研究を続ける研究者としての活動もしているのです。
このような経緯もあり、いとうまい子は政府機関の会議に参加したり企業の社外取締役に就任するなど、童顔な見た目とは違いバリバリの研究者やキャリアウーマンとしても活動しています。
私が好きな伊藤麻衣子楽曲
私が1番好きな伊藤麻衣子の楽曲は、
『見えない翼』
です。
伊藤麻衣子の曲でハッキリと覚えているのは、この曲だけかもしれません。(;^_^A
いとうまい子の動画(個人チャンネル)
クイズ
只今制作中・・・ 少々お待ちください。m(_ _)mアンケート
2023年4月、ブログのリニューアルに伴いアンケートを新しいものに差し替えました。投票数はリセットされているので、過去に投票した人も再びの参加をお待ちしております。
※90組以上から選択可能な本格的なアンケートは『こちらのページ』から!
選択肢が足りない(増やす)
完全版へGO!
※こちらのアンケートは簡略版です。以下で示す『完全版』が本番のアンケートになりますので、そちらでの投票もお願いします。
ホームページ・SNS
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ブログ:いとうまい子 オフィシャルブログ
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Instagram:maimai818
You Tube:いとうまい子チャンネル
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