人生いろいろ・・・『華原朋美』

遠峯ありさ/華原朋美プロフィール

90年代アイドルの華原朋美

生年月日 1974年8月17日
芸能界入り スカウト
初出世作 テレビ番組『天使のU・B・U・G』(1994年10月)※遠峯ありさ時代
CDデビュー 1995年9月8日(keep yourself alive)
主要音楽祭受賞歴
(最優秀新人賞)
1995年日本有線大賞最優秀新人賞
1995年全日本有線放送大賞グランプリ最優秀新人賞
主要音楽祭受賞歴
(大賞)
ゴールデン・アロー賞
受賞歴
主要映画賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
ドラマアカデミー賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
紅白歌合戦出場回数
((2023年まで)年まで)
5回
代表曲
()内はオリコン最高順位
95年:keep yourself alive(8位)
95年:I BELIEVE(4位)
96年:I’m proud(2位)
96年:LOVE BRACE(6位)
96年:save your dream(1位)
97年:Hate tell a lie(1位)
97年:LOVE IS ALL MUSIC(1位)
02年:あきらめましょう(28位)
他多数

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目次

華原朋美はお嬢様

華原朋美は小学校のころから私立学校に通い、一般層ではまずすることはないであろう馬術を習ったりもしていました。
また将棋も日本将棋連盟が主催する将棋スクールに通うなど、プロを目指すような道筋の習い方をしており、家庭が裕福であった様子が窺えます。
実際に華原朋美の家族は、千葉県で複数の会社を経営する地元では名の知れた富豪なのだそうです。
ちなみに、馬術では1992年の国体で4位に入っています。

華原朋美が遠峯ありさになるまで

華原朋美は、高校1年生のときに小田茜が優勝した回(第4回)の『全日本国民的美少女コンテスト』に応募し、決勝大会の出場も決まりかけていたのですが、母親の反対にあって参加を残念せざるを得ませんでした。
ただ『全日本国民的美少女コンテスト』のルートからなのか、この時期に華原朋美は1度モデルの仕事をしています。
その後、進路先(美容師の専門学校)も決まった高校3年生のときに、吉野家で牛丼を食べていた際にスカウトされ芸能界入りを果たしたそうです。Σ(゚Д゚)

華原朋美が入った芸能事務所はアバンギャルドという駆け出しのモデル系芸能事務所であったため、当時は雑誌などで登場する街でインタビューされた素人という体の、どうでもいいとしか説明のしようのないモデルの仕事をしていました。
そのため、年齢も職業も紹介されるたびにバラバラで、名乗った名前も三浦彩香、河合美保、三浦彩美など、おそらくは本人も把握していない(勝手に名付けられている)ほど多数の名前を名乗っていたようです。
この時期の仕事で有名なものは、1993年の秋ごろから出演した『さんまのナンでもダービー』のアシスタント(スタジオの端に立ち雑務をこなす役目)で、このときは渡辺夏代という名前が一応ついていたそうですが、そもそも名前の出るような仕事ではありませんでした。

もう1つ有名なものは、『MABU』というグラビア誌の1994年1月号で“伝説が始まる日”と題された巻頭グラビアに登場したことです。
このグラビアをきっかけに華原朋美はグラビアアイドルとしての第一歩を進むことになるのですが、この巻頭グラビアが実際に伝説が始まる日になると思った人は当時誰もいなかったことでしょう。
ちなみに、このグラビアでは三浦彩香名義でした。

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遠峯ありさ時代の活動

『MABU』のグラビア掲載からしばらくした1994年4月頃から、華原朋美は遠峯ありさという芸名で活動を始めます。
この時代になるとメディアへの露出も増え、深夜番組の『HIP』や『MEW』などにレギュラー出演し一部アイドル活動も行っていました。
更に1994年10月から1995年3月まで放送された深夜番組『天使のU・B・U・G』にレギュラー出演した遠峯ありさは、一緒に出演している事務所の社長の前で仕事の不満をぶっちゃげる破天荒キャラとして目立った活躍をするようになります。
そして、この『天使のU・B・U・G』での活躍が遠峯ありさの運命を変えることとなるのです。

小室哲哉との出会いと歌手デビュー

当時、プロデュースする歌手がミリオンセラーを連発するなど一大ブームを起こしていた小室哲哉ですが、彼は無類のアイドル好きとして知られ、自身の冠番組である『TK MUSIC CLAMP』では若手の女性タレントが歌を歌うコーナーを設けたりもしていました。(『TK MUSIC CLAMP』には無名時代の浜崎あゆみ、広末涼子、仲間由紀恵などが出演している)
そんな小室哲哉はアイドルが多数出演する『天使のU・B・U・G』も当然観ており、画面を通して気に入った遠峯ありさを番組プロデューサーを介して呼び出すことに成功します。
そこでどんな話がされたかは分かりませんが、遠峯ありさはこの直後に所属事務所を辞めて小室哲哉プロデュースの新人歌手・華原朋美としてデビューすることになりました。
当時の小室哲哉なら、売れないグラビアアイドルを事務所から引き抜くなんて行為も簡単にできたでしょうし、そもそも遠峯ありさは事務所に対して不満を持っていたわけですから、小室哲哉の誘いに乗るのは自然の流れと言えます。
歌手デビューに際し、遠峯ありさは本名(下河原朋美)をもとにした華原朋美に改名しました。

ちなみに、華原朋美は1995年度のフジテレビビジュアルクイーンに選ばれていますが、これは遠峯ありさ時代の活動による選出と想定されます。
イメージビデオの撮影をした後に歌手デビューの話が一気に進んだらしく、名前は歌手であるはずの華原朋美なのに活動は遠峯ありさ時代の本職であった水着グラビアというチグハグな状況となっていました。

華原朋美の全盛期

小室哲哉の猛プッシュと特徴的な高音を武器に、華原朋美はデビュー直後から一気に売れっ子アーティストに仲間入りします。
小室哲哉が華原朋美のために立ち上げた『ORUMOK RECORDS』から発売されたデビューシングル『keep yourself alive』で、いきなりオリコントップ10入り(最高8位)を果たし、2枚目のシングル『I BELIEVE』では2位を獲得、年末には日本有線大賞と全日本有線放送大賞で最優秀新人賞を獲得しました。
そして3枚目のシングル『I’m proud』ではミリオンセラーを獲得し、NHK紅白歌合戦にも出演します。
5枚目から8枚目のシングルでは4曲連続でオリコンチャート1位を獲得するなど、当時の華原朋美はtrf、globe、安室奈美恵などと共に小室ファミリーの主要なメンバーとして大活躍していました。

小室哲哉との交際

華原朋美は小室哲哉と出会ってすぐから交際を開始させます。
歌手デビュー前に週刊誌で2人の関係をスクープされた際、小室哲哉は『アーティストに手をつけたのではなく、プライベートの恋人に曲を書いてデビューさせただけ』と話したそうです。
その後は、カメラの前で常にイチャイチャするような公然の仲となり、ただの交際相手というよりは婚約者とか内縁の妻に近いぐらい深い関係性だったように見えました。
事実、小室哲哉がプロデュースする他のアーティストのデモテープを華原朋美が吹き込むなど、当時の華原朋美は小室哲哉の仕事現場にも帯同する公私を含めた完全なパートナーであったとされています。

小室哲哉との別れと精神的な不安定

そんな公然のパートナーであった小室哲哉との関係は1998年の終焉し、1999年1月に華原朋美はガス中毒で緊急入院します。
一時は意識不明だったそうですが、症状はすぐに改善し翌日には退院、その後、半年近く芸能活動を休業することとなりました。
この件については料理中の事故と発表されましたが、仮に料理中にガス漏れしていてもガスを止めればいいだけですし、半年も休業する必要はありません。
このガス中毒が、“異常な状況”で起こったことは誰の目からも明らかです。
実際に、華原朋美は休業中にも自宅マンションのロビーで倒れ入院するなどと健康不安が続きましたし、1999年6月に行った復帰会見では明らかに表情が以前と変わっており、精神状態が良くないことが窺えました。

一方の小室哲哉は、1998年から自身が制作に参加しているオーディション番組『ASAYAN』で発掘したAsami(元dos)と2人だけのユニット『TRUE KiSS DESTiNATiON』を作り、そのAsamiと2001年5月に結婚(Asamiは9月に子供を出産)しています。
これらの状況を踏まえると、おそらく小室哲哉は1998年頃に華原朋美からAsamiに恋人を乗り換えたものと思われ、こういった裏切りとも思える別れが華原朋美を苦しめた原因になっていると思われます。

小室哲哉との破局の影響

小室哲哉との破局後の華原朋美は、当たり前のように小室哲哉のプロデュースを離れ、それまで所属していた小室哲哉の個人事務所『TK state』からも移籍します。(レコード会社は休業する前に移籍している)
その結果、CDの売り上げはみるみる下がり、2000年7月26日に発売した17枚目のシングル『Blue Sky』は、オリコン最高順位55位しか獲得できませんでした。
CDの売り上げは一時的に回復してNHK紅白歌合戦にも再び出演するようになりますが、その後も精神状態の波が大きく何度も休業と復帰を繰り返し、薬物中毒により緊急搬送されたことも複数回あるなど、華原朋美が小室哲哉との別れを長く引きずっている様子が窺い知れました。

その後の華原朋美

精神的問題を抱え2007年から断続的な長期休養に入っていた華原朋美ですが、2012年12月5日放送の『FNS歌謡祭』に生出演し『I’m proud』を披露するまでに回復します。
その後も歌番組で小室哲哉プロデュース時代の楽曲を披露し、翌年の『FNS歌謡祭』では小室哲哉と共演するなど、小室哲哉との関係を完全に吹っ切った様子で、以後、芸能活動も活発となりました。
しかし2017年10月頃から目立った活動がなくなり、2018年7月には自身のSNSが全て削除されます。
プライベートでは2019年8月30日には45歳にして第1子を出産しますが結婚には至らず、2021年8月には当時所属していた事務所の社長と結婚しますが、2022年の12月頃には離婚したそうです。
このように、華原朋美は現在も活動が活発になったかと思えば突然音沙汰がなくなったり、あるいは急に太ったかと思えば突然痩せたりと、精神面の不安定さが見え隠れする状況が継続しています。

私の好きな華原朋美楽曲

私が1番好きな華原朋美の楽曲は、

Hate tell a lie

です。
華原朋美のヒット曲は多数ありますが、個人的には人気絶頂期に出された『Hate tell a lie』1番お気に入りです。

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華原朋美の動画(公式)

華原朋美の動画(個人チャンネル)

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