1980年代前半の女性アイドル界は、1980年デビューで1981年の日本レコード大賞で『ゴールデン・アイドル賞』を受賞した松田聖子、柏原よしえ、河合奈保子と、1982年デビューで1983年の『ゴールデン・アイドル賞』を受賞した松本伊代、小泉今日子、堀ちえみ、石川秀美、早見優、中森明菜の計9人が牛耳っていました。(ゴールデン・アイドル賞はデビュー2年目のアイドルに与えられる賞)
アイドルがよく出演する番組などにはこの9人が入れ代わり立ち代わりで出演しており、他のアイドルの出演機会をかなり奪っていたように感じます。
結果、1981年と1983年がアイドル不作の年となったことは前回、前々回の記事で書いたとおりです。(ちなみに1979年もアイドル不作の年だった)
1984年には岡田有希子、菊池桃子、荻野目洋子などのメジャーとなるアイドルがデビューしていますが、菊池桃子は出演する番組を制限していましたし、荻野目洋子がブレイクするのは1985年の終わりに『ダンシング・ヒーロー』がヒットして以降のことなので、まだまだ上記した9人の牙城を崩すには至りませんでした。
しかし1985年になると、1980年デビュー組は6年目、1982年組は4年目へと突入し、アイドルとして旬の時期が過ぎてきたのは明らかで、世間的にも新しいアイドルを望む声が強まります。
そんな時代に誕生したのが『おニャン子クラブ』だったわけです。(1985年4月に誕生)
おニャン子クラブは既存のアイドルとは明確に一線を画す存在で、新しいアイドルの誕生を望んでいたアイドルファンの心をわし掴みにします。
更に1985年には、1980年代のアイドル界にとってとても大きな出来事が起こりました。
それは松田聖子の結婚です。(1985年6月)
80年代アイドルの象徴であった松田聖子がトップアイドルの座を自ら降りたことで、松田聖子のデビューから始まったアイドルブーム(80年代アイドルブーム)に1つの区切りがつき、結果として上記した1980年代前半に活躍した女性アイドルたちは、アイドルを脱却し歌手として成功を収めた中森明菜と独自のキャラを確立した小泉今日子を除き、次第にアイドルとしての地位を失っていきます。
代わりに、
斉藤由貴(1985年2月21日デビュー、1985年4月~『スケバン刑事』でブレイク)
本田美奈子(1985年4月20日デビュー、1986年2月~『1986年のマリリン』でブレイク)
浅香唯(1985年6月21日デビュー、1986年10月~『スケバン刑事III』でブレイク)
中山美穂(1985年6月21日デビュー、1985年1月~『毎度おさわがせします』でブレイク)
南野陽子(1985年6月23日デビュー、1985年11月~『スケバン刑事II』でブレイク)
などのアイドルが1985年に続々とデビューし、1980年代後半のアイドル界を支えることとなりました。
以上のように、1985年が明らかに80年代アイドルブームの転換期であり、その象徴的な存在が『おニャン子クラブ』だったわけです。
そしてこの現象は、山口百恵が結婚・引退した直後に松田聖子が誕生しブレイクしたことと酷似しており、今度は松田聖子が山口百恵の立場になったようです。
今になって考えると、この頃を境にアイドルを扱う番組の質も変わったように感じますし、出演するアイドルにも変化があったように感じます。(『8時だョ!全員集合』が1985年9月に、『レッツゴーヤング』が1986年4月に終了している)
おニャン子クラブがあのタイミングで登場していなければ、1980年代のアイドルブームは1985年や1986年あたりで終わっていた可能性も高かったと思われます。
80年代アイドルと言えば、1980年代の10年間を通してブームが起こっていたように見えますが、実際には松田聖子を起点とした前半のブームと、おニャン子クラブを起点とした後半のブームという2つのブームが起きていたと考えたほうが良いのかもしれません。