松田聖子と中森明菜は本当にライバルだったのか?

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アイドルブーム全盛の1980年代において、大ブレイクを果たした2人の女性アイドルがいます。
それは松田聖子と中森明菜で、世の若者たちを聖子派と明菜派に二分するほどの人気を得たことは多くの人がご存知のことでしょう。
世間ではこの2人をライバル関係として煽り立てましたが、実際はどうだったのでしょうか?

まずは2人の簡単なデータを御覧ください。

【松田聖子】
生年月日:1962年3月10日
デビュー日:1980年4月1日
80年代の最大のヒットシングル:ガラスの林檎/Sweet Memories(85.7万枚)
80年代のオリコン1位獲得シングル:24作(27作中)
音楽賞(大賞相当)の受賞歴:1982年FNS歌謡祭グランプリ、1983年全日本歌謡音楽祭他2冠

【中森明菜】
生年月日:1965年7月13日
デビュー日:1982年5月1日
80年代の最大のヒットシングル:セカンド・ラブ(76.6万枚)
80年代のオリコン1位獲得シングル:18作(23作中)
音楽賞(大賞相当)の受賞歴:1984年日本テレビ音楽祭グランプリ他4冠、1985年日本レコード大賞他2冠、1986年日本レコード大賞他8冠

以上のデータを見れば分かる通り、レコード売り上げは松田聖子のほうが勝っていますが、音楽賞の受賞歴は中森明菜が圧倒しています。
オリコン1位の獲得数は松田聖子が若干上回っていますが、どちらも高確率でオリコン1位を獲得しており、ほぼ同レベルと考えていいかと思います。
このように、2人がライバルと言えるような関係だったことは確かなようです。

しかし、この2人がライバルだった時期は思ったより短い期間でしかありません。
松田聖子がブレイクしたのは1980年の夏以降、中森明菜がブレイクしたのは1982年秋以降のことで、松田聖子は1985年4月に婚約発表しトップアイドルの座を降りているため、松田聖子と中森明菜が直接的なライバル関係だったのは2年半ほどしかないことになります。
音楽賞の賞レースで言えば、直接対決は1983年の1回しか実現しませんでした。
中森明菜は1984年から1986年にかけて音楽賞における大賞クラスの賞を次々と受賞するのですが、松田聖子は1984年以降の音楽賞を辞退しているので直接対決は1983年の1回しか実現していないのです。
結果、1983年の音楽賞は松田聖子が全日本歌謡音楽祭のゴールデングランプリとゴールデン・アロー賞の音楽賞を受賞していますが、この時期はまだ中森明菜の実力や人気がMAXまで達していないので、この結果を持って松田聖子と中森明菜のライバル対決の勝敗を決めることは出来ません。

データ上はこのような感じなのですが、本人たちは自分たちのライバル関係をどのようにみていたのでしょうか?
まずは中森明菜目線で考えてみます。
上記した2人の生年月日を見比べると、松田聖子と中森明菜は4つの学年差があることがわかります。
4学年と言えば大学1年生と中学3年生の差であり、この2人は思った以上に年齢が離れているわけです。(年齢差だけで考えれば、松田聖子は中森明菜より山口百恵のほうに年齢が近い)
中森明菜にしてみれば松田聖子は2年先にデビューした4歳年上の先輩であり、自身が右も左も分からないデビュー当時、既にトップスターの地位に就いていました。
そのため、ライバルと言うよりは普通にあこがれの対象としてみていたものと思われます。
このことは中森明菜自身もインタビューなどで度々発言しています。

一方、松田聖子目線で考えれば、4歳年下の後輩が自分の地位を脅かす存在として現れたわけですから、心中穏やかではなくライバル意識を持っていたかもしれません。
しかし、松田聖子にとってこういった下からの突き上げを感じたのは中森明菜が初めてではありませんでした。
中森明菜がブレイクする1年前に、薬師丸ひろ子が『セーラー服と機関銃』で歌手デビューし大きな話題となっていたのです。
薬師丸ひろ子は歌手デビュー直後に休業したため松田聖子のライバルにはなりませんでしたが、松田聖子にはこのときの経験があるため、中森明菜がブレイクしたときに心のゆとりが多少あったものと思われます。

いずれにせよ、本人たちは世間で言うほど自分たちのことをライバル関係だとは考えていなかったと思います。
以上のように、松田聖子と中森明菜のライバル関係はメディアや世間が勝手に作り上げている可能性が高いわけです。

そして肝心な松田聖子と中森明菜のどちらの人気が高かったのかということについてですが・・・

・・・

このことについては、80年代アイドルの永遠のテーマとして未来永劫に議論が続くものと思われます。(;^_^A

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2021年6月12日追記

後になって気付きましたが、この記事を書く1ヶ月ほど前に松田聖子と中森明菜のライバル関係を書いた記事が週刊誌(週刊ポスト)で発表されていたようです。

松田聖子の「ライバルです」に中森明菜「別に…」発言の真相
 黄金期だった1980年代のアイドルのなかでも2トップとして並び称されるのが、松田聖子と中森明菜である。切磋琢磨するライバルの存在が、スターをいっそう輝かせたことは間違いない。 聖子を…

この週刊ポストの記事に対し大きな違和感を感じるので追記することにしました。

まずは週刊ポストに書かれた記事の一部を抜粋します。

『ザ・ベストテン』に初めて2人揃って出演し、司会の黒柳徹子が「お互いをどう思っているか」と質問したときのことだ。聖子が即座に「ライバルです」と答えたのに対し、明菜はちょっと考え込んだ表情の後に「別に……」とだけ口にした。

引用:松田聖子の「ライバルです」に中森明菜「別に…」発言の真相

記事の内容がいつのことか明確には分からないので間違っている可能性も僅かにありますが、私はこの記事に強い違和感を覚えます。
中森明菜がデビューした当時、松田聖子は既に『ザ・ベストテン』にランクインする常連で、中森明菜も1982年の秋に『少女A』がヒットして以降、同番組に毎回のように出演することになるのは周知の事実です。
2人が初めて同時に『ザ・ベストテン』にランクインしたのは1982年9月23日のことですが、上記の記事はこの日のことを言っているわけではありません。(この日に2人がスタジオ出演していたかについての情報はない)
『ザ・ベストテン』では出演歌手同士の絡みが一切ないことも普通ですし、そもそもこの時点での中森明菜は松田聖子と比較対象にすらなっていないので、『お互いをどう思っている』と司会者が聞くことも、松田聖子が『ライバル』と答えることもありえない話です。

前置きが長くなりましたが、上記の記事はほぼ間違いなく1983年3月17日に放送された『ザ・ベストテン』のことを書いていると思われます。
この日は、松田聖子の『秘密の花園』が3位、中森明菜の『1/2の神話』が2位となり2人が初めて同時に登場し(2人の順位が並んだのはこの日が初めて)、2人の関係性についての質問がなされていました。
この頃の中森明菜は、『少女A』から3曲連続で『ザ・ベストテン』の上位にランクインするなど飛ぶ鳥を落とす勢いで、松田聖子と勝負できる土俵に上がってきたと周囲の人も感じとっていたため、2人のライバル意識についての質問がされたわけです。

しかし、記事の内容と実際に行われた質問とその受け答えには大きな違いがあります。
まず、記事の中では黒柳徹子が『お互いをどう思っているか』と聞いたことになっていますが、実際は久米宏が松田聖子に対し『かなりライバル意識ありますか?明菜ちゃんに』と直球の質問をしています。
それに対し松田聖子は、『やっぱり、頑張らないといけませんね』と答えながら笑いだしているのです。
続けて久米宏は『あなたも一緒に仕事するようになるとライバルでしょ?』と中森明菜に問いかけ、中森明菜は笑いながら手を振り『い~や~、まだそんな』と答え大爆笑してしまいました。
記事では、松田聖子が中森明菜に対してのライバル意識をむき出しにし、中森明菜が『別に』とそっけない態度をとったように書かれていますが、実態は上記した通りなのです。

更に調べてみると、週刊ポストは2014年にも同じ内容の記事を書いています。

アイドル黄金期 松田聖子はライバルを意識して自らを高めた
 1980年代に華々しいデビューを飾り、アイドル黄金期を築いた代表格といえば、松田聖子(51)と中森明菜(48)の名が真っ先に出てくるだろう。ノンフィクションライター・安田浩一氏が、2人の…

松田聖子と中森明菜のライバル関係はメディアが作った部分が大きいと思うのですが、2人のライバル関係がささやきだされてから40年近くが経った今でも、事実を捻じ曲げてまで松田聖子と中森明菜をライバル扱いしたいメディアが存在している事実には驚きを隠せません。
逆に言うと、当時はもっと2人のライバル関係を煽り立てたメディアがいたということであり、やはり2人のライバル関係はメディアとそれに煽られた世間が勝手に作り上げていった可能性が高いと思われます。

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当記事に登場したアイドルの記事

80年代アイドルの象徴『松田聖子』
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アイドル小ネタ
プロフィール
究極DD(管理人)
【自己紹介】
名前:究極DD
年齢:思ったより若い
所在地:関東平野(情報が関東に偏る)
性格:生まれ持ってのデータ厨
好きなもの:女性アイドル
好きな番組:ザ・ベストテン
好きなドラマ:大映ドラマ
嫌いなもの:男性アイドル
専門分野:90年代の女性アイドルグループ
Twitter:https://twitter.com/idol20th
【サイト説明】
近年、You Tubeなどの動画サイトの影響か、中高生などの若い世代に70年代アイドル・80年代アイドル・90年代アイドルなどのファンが増えているそうです。
その一方で、インターネット環境の変化からサイトの閉鎖が相次ぎ、かつてネット上で書かれていたアイドルの情報が損失していっています。
自分はアイドルオタクというほどアイドルにハマっていたわけではありませんが、若い世代に20世紀に活躍したアイドルたちのことを語り継いでほしいので、自分の知り得るアイドルの情報を今のうちに書き残していきたいと思います。
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