松田聖子と薬師丸ひろ子、どちらの人気が高かったのか?

前回の記事で松田聖子と中森明菜のライバル関係を考えてみましたが、個人的には、この2人によりも活動が微妙に違っていた松田聖子と薬師丸ひろ子を比較のほうが面白いと感じます。
そこで、今回は松田聖子と薬師丸ひろ子の比較をしていきたいと思います。

松田聖子は1980年4月1日のデビュー後、徐々に話題となり同年の夏頃には既に山口百恵に代わる新しいトップアイドルとし大人気となっていました。
以降、出すレコードが毎回オリコン1位を獲得するなど、アイドルとして過去に例がないようなレベルで売れていきます。
一方、薬師丸ひろ子は1978年に『野性の証明』という映画に中学2年生で出演した後、1980年の『翔んだカップル』、1981年の『ねらわれた学園』では主演を務め、若手の映画女優として徐々に注目を集めます。
しかし、それはあくまで映画女優としての注目であり、薬師丸ひろ子と松田聖子の活動は本来深く交わることはないはずでした・・・

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そんな矢先の1981年冬、薬師丸ひろ子は後に自身の代表作となる映画『セーラー服と機関銃』に主演し、なんと映画のタイトルと同名の主題歌も歌うことになるのです。
アイドル歌手と若手女優という薄い関係性だった松田聖子と薬師丸ひろ子にここで接点が生まれ、実際に1981年11月30日放送の『夜のヒットスタジオ』で薬師丸ひろ子が『セーラー服と機関銃』を初披露する際は松田聖子と共演しています。
この『セーラー服と機関銃』は映画も曲も大ヒットとなり、薬師丸ひろ子は一気にブレイクを果たしたことは、もはや説明するまでもないでしょう。

この時期の薬師丸ひろ子の注目度は凄まじいものがありました。
大阪で行われるはずだった『セーラー服と機関銃』の舞台挨拶では、人が集まりすぎて舞台挨拶はおろか映画の上映自体が中止となってしまいます。
更に帰路につく薬師丸ひろ子を一目見ようと大阪空港にも人が殺到してしまい、急遽、新幹線を使うことにするも今度は新大阪駅に人が殺到、結局薬師丸ひろ子はタクシーで名古屋まで移動しなんとか東京へ戻ることが出来たそうです。
松田聖子はアイドルとしてブレイクしたと言っても、人々がここまでパニックを起こすような現象は記憶にありません。
当時の薬師丸ひろ子は正に“時の人”といった感じで、デビュー曲の『セーラー服と機関銃』は86.5万枚の売り上げを誇り、これは松田聖子における当時の最高売り上げシングル『風は秋色/Eighteen』の79.6万枚を上回るものでした。
薬師丸ひろ子は活動の主体が映画女優ということでテレビ番組に出演する機会が少なく、チャンネルを回せばいつもブラウン管に映っているような松田聖子に比べ希少価値があったのかもしれませんが、その点を考慮しても薬師丸ひろ子のブレイクっぷりは凄まじいものがあります。

その後、薬師丸ひろ子は大学受験を理由に休業するのですが、映画『探偵物語』で芸能活動を再開する際も当然大きな話題となりました。
『セーラー服と機関銃』では人々がパニック状態となり、まともにキャンペーン活動ができなかったため、『探偵物語』では薬師丸ひろ子が各地で野球をするという一風変わったキャンペーン活動を実施することとなります。
全国7箇所で行われたこの野球のキャンペーン活動は、薬師丸ひろ子を見たさにプロが使うような野球場が毎回満員になったというのですから驚きです。
『探偵物語』でも薬師丸ひろ子が歌う同名タイトルの曲を発売していますが、こちらも松田聖子の『風は秋色/Eighteen』を超す84.1万枚の高売上げとなりました。(この記録は、後に松田聖子が『ラスの林檎/Sweet Memories』で抜くことになる)

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薬師丸ひろ子の話ばかりになってしまいましたが、松田聖子と薬師丸ひろ子のどちらが人気があったのかと問われれば、トータル的には松田聖子のほうに軍配が上がるかと思います。
上記したように薬師丸ひろ子には希少価値のようなものがあり、何かあったときに人々が集中して反応を起こしやすい状況でした。
一方の松田聖子は毎日のようにテレビに出演しながら高い人気を維持し続けたわけですから、全体的な人気は薬師丸ひろ子よりも松田聖子のほうが上だと思われます。
レコードの売り上げにしても、松田聖子と薬師丸ひろ子では発売しているレコードの枚数が全然違うので(松田聖子のほうが多い)、全体の売り上げ枚数で言えば松田聖子が薬師丸ひろ子を圧倒しています。(もちろん、女優としての実績は薬師丸ひろ子のほうが圧倒しているが)

しかし、上記したように瞬間最大風速で言えば薬師丸ひろ子のほうに軍配が上がります。
薬師丸ひろ子のブレイク度合いを比較できるのは、日本の芸能界では『ピンク・レディー』か『光GENJI』程度しか思い浮かびませんが、薬師丸ひろ子がグループではなく単独で活動していたことを考えれば、個人として芸能史上最大のブレイクを果たしたのは薬師丸ひろ子だったの言っても過言ではありません。
『セーラー服と機関銃』でデビューした当時の薬師丸ひろ子は、それぐらいの凄まじい注目度になっていたと記憶しています。

以上、松田聖子と薬師丸ひろ子のどちらの人気が高かったのかを検証してみましたが、結論はどちらも凄い人気だったということでご勘弁していただきたいと思います。(;^_^A

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