1975年7月17日、岡真史という中学1年生が近所の団地から飛び降り自ら命を絶ちました。
イジメなどはなく原因は不明とされています。
岡真史の父親は高史明という作家で、岡真史自身も小学生の頃から詩を書くなどしていたそうです。
文学者や文学を志す人の中には、古くから死に魅了される人が多くいると聞きます。
太宰治が若い頃から自殺未遂を繰り返していたことは有名な話ですし、若くして自ら命を絶った文学者や文学好きな学生などは実際に多く存在しています。
具体的な例を挙げると、『20歳のエチュード』という作品を残し1946年10月25日に19歳で亡くなった原口統三。
その原口統三に影響されて、およそ1年半後の1949年6月1日に17歳で亡くなった長沢延子。
1925年1月7日には文学者を志す清水澄子という人物が15歳で亡くなっています。
死の立会人事件として当時に大きな話題となった三原山の火口に身を投げた人物も、文学が好きな21歳の女性でした。
これらの人たちは、いずれも他人から見たら死に至るような明確な理由がないにもかかわらず、若くして自ら命を断っているのです。
統計的なものは不明ですが、文学が好きな若者と自殺には何らかの関係があるのかもしれません。
現実ではない物語の世界にのめり込みやすい性格が死に魅了されることと関係があるのかもしれませんが、文学に全く興味のない私には正直なところその気持を理解することは難しい状況です。
そして岡田有希子もまた、本を読むことがとても好きな少女だったことが知られています。
岡田有希子が18歳で自ら命を絶った現実を考えると、彼女もまた死に魅了される1人だったのかもしれません。
実際に岡田有希子が自殺を試みたことは、1986年4月8日が初めてではなかったそうです。
もし岡田有希子が死に対して強い思いがあったとするならば、死の原因を探ることや周りの人間がどう行動するべきだったかを考えることも無駄な作業で、そもそも彼女の死を止めることはできなかったと考えられます。
そしてそう考えた場合、岡田有希子はファンの心の中で美しい姿のまま永遠に生き続けるというアイドルとしての究極の形を成功している可能性もあるのです。
現実的に、今でも岡田有希子のファンを魅了し続けています。
結局、彼女の死から36年が過ぎた現在も死に至った理由は分からないですが、これから先も岡田有希子の死については考えていこうと思います。
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