1990年代がアイドル冬の時代となった理由についての記事はいくつか書いていますが、1980年代のアイドルブームが終わったことに対する考察が足りていないと思い、今回深く考えていくことにしました。
1990年代に何があったのかを考えたとき、いの一番に思いつくのがバブルの崩壊です。
1989年の大納会(その年の株式市場最終日)に38,915円87銭の値を付けた日経平均株価(史上最高値)は、1年後の1990年大納会では2万3848円71銭と一気に下落し、バブルは崩壊します。
アイドルの売り出し方は、初期投資に莫大な費用をかけヒット曲を生むことで回収するという博打的要素が強いのですが、このような手法は経済状況が良いからこそ可能な手法と言えます。
そんな危険を冒すぐらいなら、グラビア活動やバラエティ番組の出演でコツコツ稼いだほうが堅実で、実際にグラビアアイドルやバラドルが1990年代に台頭してきました。
国民感情的にも、バブルが崩壊して経済状況が悪化している状況下では、アイドルの流行は起こりづらかったのかもしれません。
ただ、アイドルブームを象徴する番組の1つである『ザ・ベストテン』の終了はバブル崩壊前の1989年9月28日であり、その1年ぐらい前から視聴率の低下は明らかでした。
当時は『Wink』や『光GENJI』などが大きな話題になった他、『宮沢りえ』のような新しいアイドルも登場していたにも関わらず、既にアイドルの人気低下は起こっていたのです。
アイドルの運動会はもっと早く終わっていますし、多数あった水泳大会の数も1980年代後半には大幅に数を減らします。
『月刊平凡』のような隆盛を誇ったアイドル雑誌も、1980年代後半(1987年12月号)には休刊となってしまいました。
以上のように、1980年代後半にはアイドルブームが終わる原因が既に出始めていたと考えられるのです。
当時はインターネットもなくメディアの多様性などもそれほど起こっておらず、テレビが圧倒的に力を保持していたのに、テレビ主導のアイドルブームを維持できなかったわけです。
おそらく1980年代後半の少し前から、日本社会にはアイドル文化を衰退させる何らかの変化が起こっていたものと思われます。
その変化について1つ思い当たることは、テレビゲームの登場です。
テレビゲームの登場はテレビを見ない層を生み、テレビ放送の影響を低下させたことは確実です。
テレビゲームの普及はビデオデッキの普及とも重なり、国民が同時に同じテレビ番組を見て盛り上がるという状況が、1980年代後半以降に大幅に起こりづらくなったものと考えられます。
また、女性の社会進出が進んだのもこの時期で、このことも一家団欒で1つのテレビ番組を見るという状況を崩壊させる要因となりました。
以上のようにアイドルブームが終わった原因は色々ありそうなので、10個にまとめて考えていきたいと思います。
テレビゲームの発売
1983年~
日本では1983年にファミリーコンピュータ(通称ファミコン)が発売され、テレビゲームの文化が花開きます。
以下、ファミコンの大雑把な来歴です。
1983年7月15日:ファミコンの発売
1985年9月13日:スーパーマリオブラザーズの発売
1986年5月27日:ドラゴンクエストの発売
一気に家庭に入り込んだテレビゲームは社会状況を大きく変えてしまうほどのインパクトがあり、1988年2月10日にドラゴンクエストIIIが発売された際は長蛇の列ができるなど社会現象となりました。
今でこそアイドルファンは高齢化していますが、当時のアイドルファンは小学生から高校生ぐらいまでが中心で、これはテレビゲームに興味を持つであろう世代とほぼ重なっていると考えられます。(近年はゲームのファンも高齢化が進んでいる)
そのため、テレビゲームに興味を持つ人が増えた分だけアイドルに興味を持つ人が減ったと考えられるのです。
そもそもTVゲームがテレビを利用している以上、ゲームをしている最中はテレビが見れなくなるわけで、テレビを中心としたアイドル文化にマイナスの影響を与えたことは間違いないと思われます。
レコードからCDへの移行
1984年頃~
1982年にアルバムに限定して発売されたCDは、1984年にソニーがD-50という携帯用のCDプレイヤーを発売し、徐々に一般家庭にも浸透していきます。
更に1988年にはシングルにもCDが適用され、一気にCDプレイヤーは普及していきました。
コンパクト化されたCDは、聴きたい曲を聴きたいときに聴くという文化を生み、メディアが作り上げたアイドルに国民全体が熱狂するという状況を起こりづらくさせたと思われます。
女性の社会進出
1985年~
アイドルは3分の2が女性と言われるのですが、自分の感覚的には男女比にもっと差があるように感じます。
以下で示す、新宿音楽祭のノミネート者を御覧ください。
年数 | 女性アイドル | 男性アイドル | 女性演歌歌手 | 男性演歌歌手 | その他 |
---|---|---|---|---|---|
1983年 | 12組 | 2組 | 5組 | 1組 | |
1984年 | 12組 | 1組 | 4組 | 2組 | 1組 |
1985年 | 17組 | 1組 | 2組 |
この人数を見れば、アイドルの男女比は2:1どころか9:1以上の圧倒的な女性中心の文化であることが分かります。
日本歌謡大賞の新人賞はここまで極端ではなかったのですが、いずれにせよアイドルの男女比は2:1どころでないと考えるべきでしょう。
日本は1985年に『女子差別撤廃条約』を批准し、『男女雇用機会均等法』が成立します。
女性中心だったアイドル文化に対し、女性の社会進出や女性の地位向上などという当時盛んに叫ばれた考えが影響を与えた可能性は捨てきれません。
こういった社会の変容が女性アイドルに対する考えを変え、1980年代後半から1990年代初めにかけては、ヒラヒラのスカートを履いて男に媚びたような女性アイドルが過度に敬遠されがちな時代だったと考えられるのです。
また女性の社会進出により共働きや核家族が進む中で、夫は夫、妻は妻、子供は子供のように家庭内でもバラバラな状態となり、国民が1人のアイドルに熱中するような時代は、既に1980年代後半には終焉しつつあったのかもしれません。
おニャン子クラブに対する音楽業界のアンチテーゼ
1985年~
1985年に結成された『おニャン子クラブ』のメンバーは、1985年の秋以降、続々とソロデビューあるいは派生ユニットのデビューが続きます。
1986年はおニャン子クラブ関連の楽曲でオリコンの週間シングルチャート1位をほぼ独占するにまで至りました。
こういったメディア主導による考えられないようなレコード売り上げの集中に対し、既存のアーティストが嫌気を差した可能性も捨てきれません。
そのようなアーティストが音楽番組への出演を拒否したら、『ザ・ベストテン』のようなランキング形式の音楽番組は成り立たなくなってしまうのです。
これは、後述する音楽賞などの賞レースにも影響を与えたものと考えられます。
ビデオデッキの普及
1985年頃~
1980年代後半以降、一般家庭にビデオデッキが普及していきます。
1980年に5.1%だったビデオデッキ普及率は、1985年に30%を超え1990年には66%と2/3の家庭がビデオデッキを有することになりました。
ビデオがあれば、個人が観たいものを観たいときに観ることができるので、趣味は分散化してメディア主導のアイドルは生まれにくい状況となります。
音楽の変化
1986年頃~
1990年代は、バンド形式の『B’z』や『ドリームズ・カム・トゥルー』などの歌手が売り上げを伸ばし、業界的に音楽性の大きな変化があったように感じます。
遡って考えると、1986年に『BOØWY』の『B・BLUE』がオリコントップ10入りし、次作の『ONLY YOU』で4位、1987年7月22日に発売された『Marionette -マリオネット-』ではついに1位を獲得します。
以降、日本ではバンドブームが起こるのです。
更に1990年代は、ガールポップのようなアイドル的な要素を残した本格的な女性歌手(ZARDなど)のブームも起こりました。
こういった音楽界の変化の中で、既存のアイドル歌手(アイドルソング)が古臭いものに見えてしまったのかもしれません。
団塊ジュニア世代の成長
1980年代後半~
前回の記事で詳しく書きましたが、1980年代のアイドルブームを牽引したのは『団塊ジュニア』と呼ばれる第二次ベビーブームに生まれた固まった世代であると考えられます。
この世代は、ピンク・レディーのブームが小学校に入るか入らないかで、そこからアイドルファンを続けて1980年代のアイドルブームを牽引していたと想定されるのです。
そんな団塊ジュニアも1980年代終盤には高校を卒業する年頃となり、アイドルよりもリアルな恋愛へと関心の主軸が映っていき、アイドル文化が衰退する背景になっていると思われます。
昭和の終わり
1988年~
現在の日本では年数を表すときに西暦を使うことが圧倒的に多いのですが、昭和の時代は元号(昭和)で表すことのほうが多い状況でした。
昭和は長く続いたため、当時の日本人にとって昭和という元号はとても慣れ親しんだ存在だったのです。
そんな長い昭和が終わり、国民の心情的にも何かの区切りが起こったのかもしれません。
こういった感情的な部分もあるのですが、昭和の終わりについては、もっと明確な問題が起こっています。
それは、1988年に昭和天皇の容態悪化を理由に音楽賞の大半が開催中止になっているのです。
1989年には全ての音楽賞が再開したものの、1991年にはFMS歌謡祭、全日本歌謡祭、銀座音楽祭が終了し、日本テレビ音楽祭は新人専門の歌謡祭に鞍替えとなります。
1992年には横浜音楽祭が終了、メガロポリス歌謡祭は新人賞のみの受賞になるなど、昭和が終了した後の僅かな期間でほとんどの音楽賞が終了してしまいました。
1988年に音楽賞が1度途切れたという事実は、歌手(特に新人歌手)が音楽賞の獲得を目指して1年間活動するという文化を崩壊させるきっかけになった可能性もあるわけです。
女性の社会進出の項目で書いた通り、音楽賞の新人賞ノミネートはアイドル歌手が圧倒的に多いわけで、音楽賞の終焉はアイドル文化の衰退に直結する問題となります。
そして、その音楽賞が終焉していったきっかけが、昭和の終わりだった可能性も捨てきれないわけです。
バブル崩壊による経済状況の悪化
1990年~
アイドルを売り出すには莫大な宣伝費が必要となります。
この宣伝費はヒット曲が出ないと回収不可能なことが大半で、運営側が大損してしまう可能性を多分に秘めています。
こういった博打的なアイドルの売り出し方が、バブル崩壊後の経済低迷期に敬遠されたであろうことは想像に難しくありません。
バブル崩壊による国民感情の変化
1990年~
経済が落ち込んでいくと、庶民の気分も塞ぐものです。
企業が次々と倒産していくバブル崩壊中の日本では、ひらひらなスカートを履いて明るく振る舞うブラウン管の中のアイドルを見たくない人が増えていたのかもしれません。
これ以外にも、個人の問題まで考えれば理由はあるかもしれません。
例えば、宮沢りえが松田聖子並みに歌が上手く歌手活動を続けていれば、1990年代のアイドル冬の時代は起きなかったかもしれませんが、それはもう時代の天運でしかなく検証する意味はあまりないでしょう。
いずれにせよ、1980年代のアイドルブームが終わった理由は複数確認でき、時代背景を考えれば終わるべきして終わったと考えたほうがいいのかもしれません。
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