以前の私は、生まれ変わることができたら中山美穂のファンになりたいと考えていました。
中山美穂は元々好きなアイドルでしたし、1985年のデビューから1990年代終盤まで結婚もせずに第一線で活躍していたため、アイドルファンとして長く活動を応援できたかと思います。
少なくとも、岡田有希子や中森明菜のファンだった現実よりも、明るくアイドルのファン活動をできたことは間違いないはずです。
しかし、このブログを始めてアイドルについて色々考え直していく過程で、この考えにも変化が出てきました。
今の私は、生まれ変わったら再び岡田有希子のファンになって、彼女の人生を見つめ直したいという気持ちが強くなっています。
多くの人は、岡田有希子が生きていた時代にタイムスリップすることができたら、岡田有希子の死を何とか防ぎたいと考えるでしょう。
しかし、私はそういった行動はしないと思います。
あの時点で岡田有希子の死を食い止めることができたとしても、数日後に同じことが起きることは否定できないですし、数カ月後や数年後までもその可能性は残り続けるのです。
私は岡田有希子の死について“あれが彼女の人生だった”と思うようにしています。
結末は悲しいものでしたが、どう生きたかを考えた場合、岡田有希子の人生は決して悲観するばかりではなかったはずです。
音楽賞では数々の新人賞を獲得しましたし、ラストシングルとなった『くちびるNetwork』ではオリコンチャート1位も獲得しました。
残した作品は、後世にしっかり残っています。
岡田有希子より遥かに長い人生を歩んだ自分には、後世に残るものなんて何もありません。
人生の濃さで言えば、岡田有希子は私よりも遥かに上を行っているのです。
明日は、岡田有希子の命日です。
今年も岡田有希子の死の真相を考える記事を投稿したいと思います。
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