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私が岡田有希子のファンであったことは以下の記事で書いたとおりです。
彼女はなぜ自ら死を選んだのか?『岡田有希子』
岡田有希子プロフィール 生年月日 1967年8月22日(1986年4月8日没) 芸能界入り スター誕生! キャッチフレーズ いつまでも、一緒にいてね。 ステキの国からやって来たリトル・プリン...
説明するまでもなく岡田有希子はアイドル絶頂期の18歳で亡くなっており、岡田有希子の死について私は生涯をかけて考えていくことになります。
近年において岡田有希子の死についての特集がされることがあった場合、当時の所属事務所であるサンミュージックに対する取材が中心となることが多いようです。
自殺未遂後に保護したのも事務所の人間ですし、実際に飛び降りたのも事務所のあるビルですので仕方ないのですが、事務所側の話ばかりを聞いてしまうと事務所に対する責任追求が薄まってしまうという問題が発生します。
そのため、上記した記事で私は岡田有希子の死に対し事務所の責任を強調して書いています。
しかし当然、事務所以外にも当時の岡田有希子には様々な問題が生じていたはずです。
今後はそういった問題についても考え、少しずつ書き残していきたいと思います。
自殺未遂後に保護したのも事務所の人間ですし、実際に飛び降りたのも事務所のあるビルですので仕方ないのですが、事務所側の話ばかりを聞いてしまうと事務所に対する責任追求が薄まってしまうという問題が発生します。
そのため、上記した記事で私は岡田有希子の死に対し事務所の責任を強調して書いています。
しかし当然、事務所以外にも当時の岡田有希子には様々な問題が生じていたはずです。
今後はそういった問題についても考え、少しずつ書き残していきたいと思います。
その最初のテーマとして考えるのが『松田聖子の結婚と岡田有希子の死の関係性』についてです。
松田聖子が結婚したことと岡田有希子が自ら命を断ったことに直接の関係があるとは思いませんが、時系的に考えると多少の因果関係はあるかもしれません。
1985年6月:松田聖子の結婚
1986年~:松田聖子の休業(出産準備の名目で1年間の活動縮小)
1986年4月8日:岡田有希子の死
以上のように、岡田有希子の死は松田聖子の休業期間中に起こっています。
岡田有希子が松田聖子と同じサンミュージック所属で“ポスト松田聖子”として大々的に売り出されたことは周知の事実ですが、岡田有希子が亡くなる1986年当時は、事務所の稼ぎ頭だった松田聖子の抜けた穴を埋めるため事務所が岡田有希子へ過剰な期待をかけ、それが大きなプレッシャーとなって18歳の少女が自ら命を断つ選択に至った可能性も捨てきれないのではないでしょうか?
実際に、1986年の岡田有希子は松田聖子が作詞した『くちびるNetwork』がヒットし(オリコン1位獲得)、様々な番組に出演。
『くちびるNetwork』を披露するために出演した番組の数は明らかに異常で、事務所側の相当のプッシュがあったことが窺えます。
そしてこのことが、彼女の精神が限界に達してしまう一因になっている可能性は高いと思います。
だからといって、岡田有希子の死に対して松田聖子に一切の責任はありません。
以上、今回は松田聖子の結婚と岡田有希子の死の関係性について考えてみましたが、事務所以外の問題について書こうと思ったのに、なぜか事務所の問題を追求していました。
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