アイドルブーム期に始まり、現在も続く有名なタレントオーディションがあります。
それはホリプロタレントスカウトキャラバンです。
ホリプロタレントスカウトキャラバンは1976年に始まって以降、新型コロナウイルスの影響があった2021年以外は休むことなく毎年開催され、最盛期には11万通もの応募があったそうです。
しかし、このホリプロタレントスカウトキャラバンは意外に外れのオーディションなのかもしれません。
アイドル文化に大きな変化があった1990年代以降は別として、アイドルブームが起こっていた1970年代から1980年代においてホリプロタレントスカウトキャラバンは微妙だったように感じます。
このことを説明するに際し、まずは当時のアイドル業界についての話をしたいと思います。
当時のアイドルは、歌手として成功することを第1の目標としていました。
映画・ドラマやバラエティ番組の出演は、いくら作品がヒットしても出演料が変わることはありません。
ヒットが続けば女優としての価値は上がり出演料の上昇もあるのでしょうが、出演した作品に対する報酬は事前に定められるもので、作品がヒットしてもしなくても出演料が変わることはないのです。
一方、歌は歌唱印税があるため、レコードが売れれば売れるほどアイドル自身(あるいは所属事務所)の収入が大きくなります。
また、ヒット曲が出ればアルバムの売れ行きやコンサートの客入りにも影響が出ます。
アルバムも売れれば売れるほど収入は大きくなりますし、コンサートも客が入れば入るほど売り上げに繋がるので、出演料で話が終わってしまう映画やドラマと比べ、歌の世界はヒットが収入に繋がりやすいのです。
更にヒット曲に恵まれれば当時多数あった歌番組にも次々と出演できますし、NHK紅白歌合戦などの有名な歌番組に出演すれば一気に知名度が上がり、レコードの売り上げやコンサートの客入りが良くなるという好循環も生まれます。
以上のように、当時のアイドルはヒット曲を生むことが至上命題だったのです。
その点を踏まえると、やはりホリプロタレントスカウトキャラバンはイマイチなアイドルオーディションだったと思います。
以下の表を御覧ください。
1976年:榊原郁恵
1977年:西村まゆ子
1978年:能瀬慶子
1979年:比企理恵
1980年:林紀恵
1981年:堀ちえみ
1982年:大沢逸美
1983年:田中久美
1984年:井森美幸
1985年:山瀬まみ
1986年:伊藤美紀
1987年:坂井順子
1988年:山口裕子
1989年:田中陽子
これは1970年代から1980年代までのホリプロタレントスカウトキャラバンのグランプリ獲得者ですが、この中でオリコンの週間シングルチャートでトップ10に入ったのは堀ちえみの1人だけしかいないのです。
その堀ちえみですら、同期の女性アイドルにおけるシングルレコードの最高売り上げで言えば、小泉今日子、薬師丸ひろ子、中森明菜、原田知世、松本伊代、早見優と上に6人もおり、代表作はドラマ『スチュワーデス物語』という女優志向の強いアイドルでした。
以上のように、ホリプロタレントスカウトキャラバンはアイドル歌手としての成功例がかなり乏しいわけです。
決勝大会進出者にまで話を広げても、アイドル歌手として成功した人は全くに等しいほどいません。
※1990年代まで話を広げるとhitomiや椎名林檎がいますが、これはアイドルとは別のジャンルで成功した例で本人たちにとってはホリプロタレントスカウトキャラバン出身であることは黒歴史と化しています。
大手の芸能事務所ということで仕事には恵まれていましたが、肝心要のアイドル歌手としてホリプロタレントスカウトキャラバンは微妙だったことは間違いないと言えるでしょう。
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