音楽賞が全盛だった1970年代後半から1980年代までは、新人歌手が各音楽賞の新人賞を獲得するためにデビュー日の調整を行っていました。
受賞日に対してデビューが早すぎると新人歌手としての印象が薄れるので、なるべく締切間近にデビューしたほうがいいのですが、締切に近すぎるとヒットのチャンスがデビュー曲の1回しかなくなってしまうというデメリットも生じます。
そのため、年末の新人賞を目指す歌手は春どきにデビューするのが定番となりました。
レコード大賞新人賞の対象期間は前年の10月21日からとされているので、春どきにデビューすればシングルを2枚か3枚出せチャンス回数が保てると共に、デビューのイメージがそこまで薄れることもありません。
1982年デビュー組の女性アイドルで言えば、小泉今日子・堀ちえみ・三田寛子が3月21日デビュー、石川秀美と早見優が4月21日デビュー、中森明菜が5月1日デビューとなっています。
このような考えを逆手に取ってライバルが少ない時期にデビューする人もいるなど、当時のアイドルを取り巻く人達は様々な戦略を巡らせていたのです。(松本伊代は1981年10月21日デビュー)
そもそも音楽賞の新人賞争いに興味がないであろう人たちはデビュー日に大きなこだわりはなく、薬師丸ひろ子や川上麻衣子などは新人賞獲得に不利と言われる前年の対象期間にデビューしています。(デビュー日は共に1981年11月21日)
では、ここで1970年代から1990年代までにレコード大賞の最優秀新人賞を獲得した人のデビュー日を御覧ください。
受賞年 | 歌手及び対象曲 | デビュー日 |
---|---|---|
1970年 | にしきのあきら『もう恋なのか』 | 1970年5月1日 |
1971年 | 小柳ルミ子『わたしの城下町』 | 1971年4月25日 |
1972年 | 麻丘めぐみ『芽ばえ』 | 1972年6月5日 |
1973年 | 桜田淳子『わたしの青い鳥』 | 1973年2月25日 |
1974年 | 麻生よう子『逃避行』 | 1974年2月21日 |
1975年 | 細川たかし『心のこり』 | 1975年4月1日 |
1976年 | 内藤やす子『想い出ぼろぼろ』 | 1975年11月1日 |
1977年 | 清水健太郎『失恋レストラン』 | 1976年11月21日 |
1978年 | 渡辺真知子『かもめが翔んだ日』 | 1977年11月1日 |
1979年 | 桑江知子『私のハートはストップモーション』 | 1979年1月25日 |
1980年 | 田原俊彦『ハッとして!Good』 | 1980年6月21日 |
1981年 | 近藤真彦『ギンギラギンにさりげなく』 | 1980年12月12日 |
1982年 | シブがき隊『100%…SOかもね!』 | 1982年5月5日 |
1983年 | THE GOOD-BYE『気まぐれONE WAY BOY』 | 1983年9月1日 |
1984年 | 岡田有希子『-Dreaming Girl- 恋、はじめまして』 | 1984年4月21日 |
1985年 | 中山美穂『「C」』 | 1985年6月21日 |
1986年 | 少年隊『仮面舞踏会』 | 1985年12月12日 |
1987年 | 立花理佐『キミはどんとくらい』 | 1987年4月1日 |
1988年 | 男闘呼組『DAYBREAK』 | 1988年8月24日 |
1989年 | マルシア『ふりむけばヨコハマ』 | 1989年1月21日 |
1990年 | 晴山さおり『一円玉の旅がらす』 | 1990年3月21日 |
ヤン・スギョン『愛されてセレナーデ』 | 1990年1月18日 | |
忍者『お祭り忍者』 | 1990年8月22日 | |
たま『さよなら人類/らんちう』 | 1990年5月5日 | |
1991年 | 唐木淳『やせがまん』 | 1991年5月21日 |
Mi-Ke『想い出の九十九里浜』 | 1991年2月14日 | |
1992年 | 永井みゆき『大阪すずめ』 | 1992年2月21日 |
小野正利『You’re the Only…』 | 1992年5月21日 | |
1993年 | 山根康広『Get Along Together』 | 1993年1月21日 |
1994年 | 西尾夕紀『海峡恋歌』 | 1993年10月21日 |
1995年 | 美山純子『桃と林檎の物語』 | 1994年10月21日 |
1996年 | PUFFY『アジアの純真』 | 1996年5月13日 |
1997年 | 知念里奈『precious・delicious』 | 1996年10月21日 |
1998年 | モーニング娘。『抱いてHOLD ON ME!』 | 1998年1月28日 |
1999年 | 八反安未果『SHOOTING STAR』 | 1998年11月18日 |
※1991年は歌謡曲・演歌・ポップス・ロックの4部門、1992年と1993年は歌謡曲・演歌とポップス・ロックの2部門に分かれていた。
このように一覧にしてみると、レコード大賞の最優秀新人賞獲得とデビュー日はほとんど関係性がなく、不利と言われる前年にデビューしている人も多数存在しています。
以上のことを踏まえると、春先にデビューすると有利という話は当事者の考えすぎで無駄な努力だった可能性が高いと言えます。
逆に考えると、当時の新人アイドルやその周囲の人たちは、そんな迷信話を信じてしまうほど藁をも掴む気持ちで新人賞が獲りたかったわけです。
音楽賞が多数あった時代にも問題や弊害はありましたが、多くの歌手が音楽賞の受賞を目指すことによって日本歌謡界全体が盛り上がっていたことは間違いなく、とても楽しい時代だったと改めて感じる今日このごろです。
コメント