『くちびるNetwork』(1986年1月29日発売)と言えば岡田有希子の最後のシングルにして最大のヒット曲で、彼女にとって唯一のオリコンシングルチャート1位獲得曲となっています。
しかし、この『くちびるNetwork』のオリコン1位には疑惑の声が挙がっているそうです。
それはオリコンの順位操作が行われたのではないかという疑惑です。
詳しい内容は後述しますが、1986年は52週中36週でおニャン子クラブ勢がオリコンシングルチャートで1位を獲得しており、岡田有希子が突然オリコン1位を獲得したことに違和感を感じる人がいてもおかしくありません。
確かに、あのニャンギラスですらオリコン1位を獲得したイカれた時代に、国生さゆりの『バレンタイン・キッス』(1986年2月1日発売)を抑えて今まで最高4位だった岡田有希子のシングルが1位を獲得したことは、不可思議な現象と言えます。
そこで、前回の記事にて1980年代にオリコンの週間シングルチャートで1位を獲得した女性アイドルを調べてみました。
以下がその結果です。
80年代にオリコンシングルチャート1位を獲得したアイドル | ||
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アイドル名 | 獲得数 | 初の1位獲得日 |
松田聖子 | 24作 | 1980年10月13日 |
薬師丸ひろ子 | 3作 | 1981年12月21日 |
岩崎宏美 | 1作 | 1982年6月7日 |
中森明菜 | 18作 | 1982年11月29日 |
わらべ | 1作 | 1984年1月2日・9日 |
小泉今日子 | 9作 | 1984年4月2日 |
原田知世 | 1作 | 1984年10月22日 |
菊池桃子 | 7作 | 1985年3月11日 |
河合奈保子 | 1作 | 1985年6月24日 |
河合その子 | 4作 | 1985年9月16日 |
新田恵利 | 4作 | 1986年1月6日・13日 |
うしろゆびさされ組 | 5作 | 1986年2月3日 |
岡田有希子 | 1作 | 1986年2月10日 |
おニャン子クラブ | 6作 | 1986年3月3日 |
吉沢秋絵 | 2作 | 1986年3月10日 |
ニャンギラス | 2作 | 1986年4月14日 |
国生さゆり | 3作 | 1986年5月19日 |
福永恵規 | 1作 | 1986年6月2日 |
城之内早苗 | 1作 | 1986年6月23日 |
高井麻巳子 | 4作 | 1986年7月7日 |
渡辺美奈代 | 5作 | 1986年7月28日 |
斉藤由貴 | 1作 | 1986年9月1日 |
渡辺満里奈 | 4作 | 1986年10月20日 |
南野陽子 | 9作 | 1987年1月19日 |
うしろ髪ひかれ隊 | 1作 | 1987年5月18日 |
荻野目洋子 | 3作 | 1987年6月29日 |
工藤静香 | 6作 | 1987年9月14日 |
浅香唯 | 3作 | 1987年9月21日 |
中山美穂 | 5作 | 1987年10月19日 |
風間三姉妹 | 1作 | 1987年10月26日 |
Wink | 4作 | 1989年2月13日 |
以上のように、岡田有希子が『くちびるNetwork』でオリコン1位を獲得した当時はおニャン子クラブ勢の活躍が顕著で、岡田有希子の1位獲得は確かに浮いた感じがします。
この中から、おニャン子クラブ勢、テレビ番組の企画ユニットであった“わらべ”と風間三姉妹、更に70年代アイドルの岩崎宏美を除くと、オリコンシングルチャートで1位を獲得した女性アイドルは、80年代アイドルトップ3の松田聖子、中森明菜、小泉今日子、角川三人娘の薬師丸ひろ子、原田知世、アイドル四天王の中山美穂、南野陽子、浅香唯、工藤静香(おニャン子クラブ)、日本レコード大賞を獲得したWink、それ以外では、河合奈保子、菊池桃子、荻野目洋子、斉藤由貴、そして岡田有希子しかいないことになります。
では、以下の表もご覧ください。
80年代における最高売り上げシングル | ||
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アイドル名 | シングル名 | 累計売上 |
薬師丸ひろ子 | セーラー服と機関銃 | 86.5万 |
松田聖子 | ガラスの林檎/Sweet Memories | 85.7万 |
中森明菜 | セカンド・ラブ | 76.6万 |
Wink | 愛が止まらない 〜Turn it into love〜 | 64.5万 |
工藤静香 | 恋一夜 | 60.7万 |
原田知世 | 時をかける少女 | 58.7万 |
斉藤由貴 | 夢の中へ | 40.8万 |
菊池桃子 | 卒業-GRADUATION- | 39.4万 |
小泉今日子 | 迷宮のアンドローラ/DUNK | 37.7万 |
中山美穂 | 人魚姫 | 36.5万 |
河合奈保子 | エスカレーション | 34.9万 |
荻野目洋子 | ダンシング・ヒーロー | 32.4万 |
南野陽子 | 吐息でネット。 | 30.4万 |
浅香唯 | C-Girl | 27.8万 |
岡田有希子 | くちびるNetwork | 23.1万 |
おニャン子クラブ勢とテレビ企画ユニットを除くと、岡田有希子の最高売り上げシングル(くちびるNetwork)は1980年代のオリコンシングルチャートで1位を獲得したアイドルの中でもっとも売り上げが少なくなっています。(工藤静香はおニャン子クラブブーム以降のヒット曲なので記載)
岩崎良美、柏原よしえ、三原順子、伊藤つかさ、松本伊代、早見優、本田美奈子などは、オリコン1位を獲得していないながらも『くちびるNetwork』以上の売り上げを誇るシングル曲があります。
これら事実を考えると、岡田有希子が『くちびるNetwork』で獲得したオリコン1位には、確かに多少の違和感を感じるかもしれません。
ということで、当時のレコード売り上げに関する状況を考えてみましょう。
1980年代後半はレコードからCDへの移行期で、買い控え現象が起こりレコード(CD含む)の売り上げがよくありませんでした。(1989年からはCDへの移行が進み売り上げが増える)
特に1985年から1987年は売り上げ低下が顕著で、1987年6月29日には荻野目洋子(さよならの果実たち)が当時の最低記録となる41,680枚でオリコン1位を獲得しています。(この記録はCD不況となる2005年まで破られなかった)
つまり、当時は少ない枚数でもオリコン1位を獲得することができたわけです。
そのため事務所の力を使って発売と同時にオリコン加盟店でレコードの大量購入をすれば、オリコン順位を操作することも可能だったと思われます。
1986年当時のレコードシングルは700円なため、700万円使って1万枚の自己購入を行えばオリコンランキングに大きな影響を与えることが出来ました。
岡田有希子は元々オリコントップ10に入る人気を得ていたでしょうから、ある程度の買い支えを行えばオリコン1位の獲得も可能だったと思われます。
デビュー当時の少女隊に30億円のプロモーション費が使われたことは有名な話ですが、1000万円程度の予算でオリコン1位の看板を貰えるなら費用対効果的にも十分宣伝効果が得られたと考えられるのです。
これが、岡田有希子の『くちびるNetwork』のオリコンチャートが操作されたのではないかと噂される根拠と思われます。
現実的に、岡田有希子の『くちびるNetwork』のオリコン順位が操作されたかどうかについては分かりようもありません。
しかし、当時の日本レコード大賞などといった音楽賞の新人賞レースで、多額のお金が使われていたことは紛れもない事実です。
また岡田有希子と同じ事務所(サンミュージック)だった松田聖子は、オリコンシングルチャートで24作連続1位を獲得していましたが、独立して個人事務所所属になった途端にその記録が途絶えたりもしました。
『くちびるNetwork』の疑惑に関する判断は個人に任せますが、だからといって『くちびるNetwork』の評価が下がることもなく、私にとって『くちびるNetwork』は1980年代のアイドルソングの中でもトップレベルに好きな曲となります。
次回記事に続く・・・
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