1983年は、『不作の83年組』と呼ばれるほどアイドルの成功者が現れませんでした。
2年目の新人に与えられる『日本テレビ音楽祭』の金の鳩賞では、1984年(1983年度デビューが対象)は受賞者なしという結果になっています。
この不作の1983年のことについては過去にも記事にしているのですが、本来関係のない小泉今日子の記事に書いてしまっているので、独立した記事としても書くことにしました。
岡崎友紀や天地真理のような元祖アイドルが誕生して以降、アイドルというものは、“明るく元気よく世間を晴れやかにする”存在としてあり続けています。
これがアイドルの基本中の基本であり、この路線は後に正統派アイドルと呼ばれることとなりました。
桜田淳子
松田聖子
南野陽子
などが、正統派アイドルの代表者と言えます。
ただ、こういった路線ばかりだとキャラクター被りが多発して見ている側も飽きてしまうので、あえて違う路線で勝負するアイドルも登場します。
その元祖が山口百恵です。
彼女はとても落ち着いた雰囲気を持ち、更には少し影があったり不良っぽさも感じさせ、歌詞の中にもこういったイメージが反映されます。
この非正統派アイドルの路線は、後に三原順子や中森明菜が踏襲することとなりました。
つまり1983年当時のアイドル界は、
明るく元気な正統派アイドル ⇔ 落ち着いた感じの非正統派アイドル
という2つの構図があり、正統派アイドルの代表が松田聖子、非正統派アイドルの代表が中森明菜だったわけです。
そんな中、別の方向から新しいアイドル像を確立させた人がいます。
それが小泉今日子です。
それまでの非正統派アイドルは妙に落ち着いていて少し暗い感じがする路線でしたが、彼女は元気があり余って自由奔放すぎるという今までとは逆方向から正統派アイドルを否定してみせたのです。
この小泉今日子の成功によりアイドルの可能性はより広がることとなりました。
1980年デビュー組のアイドルは、松田聖子を筆頭に河合奈保子や柏原よしえなどの正統派路線のアイドルが多かった関係で(三原順子は非正統派だがあくまで女優業がメイン)、1981年以降にデビューしたアイドルは正統派と少しズレたところで勝負する人が多かったように感じます。
1981年秋(82年組に分類)にブレイクした薬師丸ひろ子は映画を主とした女優型のアイドル、1982年秋にブレイクした中森明菜は山口百恵型の非正統派アイドル、そして1983年に入ってからヒット曲を重ねた小泉今日子は上記したような山口百恵型とは逆方向の非正統派アイドルとしてブレイクを果たします。
更には大映ドラマ『スチュワーデス物語』に主演した堀ちえみがドラマ特化型のアイドルとして、『オールナイトフジ』の司会を任されるなどした松本伊代がバラエティ特化型のアイドルとして注目を集め、1982年組は正統派アイドルと別路線で勝負するアイドルが乱立することとなりました。
この割を食ったのが、不作と揶揄される1983年度デビューのアイドルたちなのです。
1983年当時のアイドル界は、正統派路線のアイドルは1980年デビュー組に、他の路線は1982年デビュー組に牛耳られ、新人アイドルが活躍できるポジションが全く空いていない状態となっていました。
伊藤麻衣子がギリギリ空きのあったドラマ枠で活躍しましたが、同じ路線の堀ちえみほどの人気は得られませんでしたし、バラエティ番組で活躍した森尾由美も松本伊代ほどの実績は残せていません。
結果、
ロリータ路線の岩井小百合
超ボーイッシュ路線の大沢逸美
アニメ連動型の太田貴子
などが新しい路線のアイドルとして勝負しますが、一般層にはなかなか受け入れられないマニアックな路線なため多くのファンを獲得することは出来ませんでした。
松本明子に至っては、アイドルの殻を完全に破りさりバラエティタレントとして成功を収めます。
1984年デビュー組は岡田有希子や菊池桃子などといった正統派路線のアイドルが成功を収めていますが、この頃は松田聖子や河合奈保子も活動5年目となり、新たな正統派路線のアイドルを望む声がアイドルファンの中で高まっていたのでしょう。
しかし1983年デビュー組はタイミング的にどの方向からも勝負することが難しく、結果『不作の83年組』という不名誉な名前が付けられてしまったと推測されます。
当記事に登場したアイドルの記事
















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