今やキャリア・カウンセラー『倉田まり子』

倉田まり子プロフィール

70年代アイドルの倉田まり子

生年月日 1960年11月20日
芸能界入り
キャッチフレーズ
レコードデビュー 1979年1月21日(グラジュエイション)
主要音楽祭受賞歴
(最優秀新人賞)
1979年日本歌謡大賞優秀放送音楽新人賞
1979年FNS歌謡祭最優秀新人賞
1979年全日本歌謡音楽祭最優秀新人賞
主要音楽祭受賞歴
(大賞)
ゴールデン・アロー賞
受賞歴
1979年度音楽新人賞
主要映画賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
ドラマアカデミー賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
紅白歌合戦出場回数
((2023年まで)年まで)
0回
代表曲
()内はオリコン最高順位
79年:HOW! ワンダフル(52位)
他多数

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目次

倉田まり子とサンデーズ

倉田まり子は、中学生のときに地元の長崎県で収録された『家族そろって歌合戦』という番組に出演しスカウトを受けます。
その後、高校生になって上京を果たし芸能活動を開始するのですが、目立った活躍はなく高校3年生のときNHKの若者向け歌番組『レッツゴーヤング』のマスコットガールである『サンデーズ』の一員となり日の目を見ることになりました。
サンデーズの在籍期間は女性として最長の3年間で、一時は司会も務めるなど倉田まり子は『レッツゴーヤング』と深い関係があることで知られています。

レッツゴーヤング『サンデーズ』のメンバー一覧
1974年4月7日から1986年4月13日まで、NHKには『レッツゴーヤング』というアイドルを中心に扱う音楽番組がありました。 そのレッツゴーヤングには『サンデーズ』という番組独自のユニットが存在しており、基本的に新人アイドルが務...

倉田まり子は不作の1979年組?

1976年にピンク・レディーがデビューし一大ブームを起こし、1978年にはアイドルとして初の日本レコード大賞を受賞するにまで至ります。
そんなピンク・レディーの人気が落ちた1980年には松田聖子がデビューし、その後、10年近くアイドルブームが続きます。
このピンク・レディーと松田聖子に挟まれた世代はピンク・レディーの大流行と、松田聖子から始まる80年代アイドルブームの影響により、アイドル歌手として不遇の時代を過ごすことになりました。
特に1979年デビュー組の不作は顕著で、ゴールデン・アロー賞の新人賞(歌手以外も含める芸能の新人賞)は受賞者なし、デビュー2年目の歌手が対象となる日本テレビ音楽祭の『金の鳩賞』も、1980年は受賞者なしという結果になっています。
プロフィール欄に書いてある通り、倉田まり子は音楽賞の新人賞を多数獲得していますが、シングルレコードの最高売り上げは『HOW! ワンダフル』の7.4万枚で、オリコンシングルチャートでも最高52位止まりとなるなど、他の年の新人賞受賞者に比べると見劣りしていたと指摘せざるを得ません。

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倉田まり子と石川ひとみの見分け方講座

倉田まり子は、同じピンク・レディーと松田聖子の狭間世代である石川ひとみと外見が似ているとよく言われます。
そんな2人を一目で見分ける方法をここで紹介します。
それは身長の違いです。
ワンショットで映ってる場合には使えないですが、2人の身長は倉田まり子が162cm、石川ひとみが154cmと8cmの差があるので、大勢の人がいる場合は背の高さですぐに見分けることができます。

ちなみに、石川ひとみは1982年10月から1986年4月(最終回)まで『レッツゴーヤング』の司会を務め、倉田まり子と共に『レッツゴーヤング』と関係が深いことで知られています。

デビュー3年で悲願のヒット『石川ひとみ』
石川ひとみプロフィール 生年月日 1959年9月20日 芸能界入り 『君こそスターだ!』チャンピオン キャッチフレーズ - レコードデビュー 1978年5月25日(右向け右) ...

その後の倉田まり子

歌手としての活動は早々に先細りとなった倉田まり子でしたが、バラエティ番組などではそれなりに活躍していました。
しかし、それも80年代アイドルたちの波に飲まれ次第に先行きが悪くなり、あだち充原作のアニメ『ナイン』で声優をしたりモノマネ番組に出演するなど、おそらく本人が望んでいないであろう仕事ばかりが活動のメインとなっていきます。
そんな矢先の1985年、倉田まり子は投資ジャーナル事件という巨額詐欺事件に巻き込まれてしまいます。
事件を起こした投資ジャーナル社の会長であった中江滋樹と倉田まり子が肩を組んでいる2ショット写真が流出した他、投資ジャーナル社と倉田まり子の間に7000万円(一戸建ての購入費)とも言われる多額な金銭の授受(あるいは貸し借り)があったとの疑惑が浮上するのです。
このことについて倉田まり子は会見を開き、当初は投資ジャーナル社との関係を完全に否定していたのですが、後日再び行った会見では投資ジャーナル関連会社から金銭の借り入れがある事実を認めます。
こういった対応の悪さを含めたイメージの悪化から、倉田まり子は芸能界を引退する運びとなりました。
もともと芸能活動が低調だったことも、芸能界を引退、あるいは事件に巻き込まれた要因になっているものと思われます。

倉田まり子の現在

現在の倉田まり子は、坪田まり子の名前でキャリア・カウンセラーの仕事をしており、講演などで人前に出ることもあるそうですが芸能界からは距離を置いているようです。
投資ジャーナルに関連した会見では芸能記者から厳しい追求を受けていましたし、世間からのバッシングも相当のものだったので、今でも倉田まり子の中には芸能界に対する恐怖心が残っているのかもしれません。
そういった諸々の問題を乗り越え、懐かしのアイドルを扱った番組などで倉田まり子の姿が見れる日が来ることを、個人的には祈るばかりです。

私の好きな倉田まり子楽曲

私が1番好きな倉田まり子の楽曲は、

HOW! ワンダフル

です。
『HOW! ワンダフル』はオリコン最高順位52位止まりですが、1979年はアイドル不作の年と言われていた関係で、この順位でもテレビなどで歌唱する機会は多くあり、メディアでよく聴いた覚えがあります。(;^_^A

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倉田まり子のオススメ商品

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クイズ

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少々お持ちください。m(_ _)m

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2023年4月、ブログのリニューアルに伴いアンケートを新しいものに差し替えました。
投票数はリセットされているので、過去に投票した人も再びの参加をお待ちしております。
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2023年02月1?日:記事(文章部分)の一部記載
2023年12月24日:記事(文章部分)の完成

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