南沙織プロフィール
生年月日 | 1954年7月2日 |
芸能界入り | 琉球放送でのアルバイトが目に付きスカウト |
キャッチフレーズ | ソニーのシンシア |
レコードデビュー | 1971年6月1日(17才) |
主要音楽祭受賞歴 (最優秀新人賞) | 1971年日本歌謡大賞放送音楽新人賞 1971年新宿音楽祭金賞 |
主要音楽祭受賞歴 (大賞) | - |
ゴールデン・アロー賞 受賞歴 | - |
主要映画賞受賞歴 (主演賞、助演賞、新人賞) | - |
ドラマアカデミー賞受賞歴 (主演賞、助演賞、新人賞) | - |
紅白歌合戦出場回数 (2024年まで) | 8回 |
代表曲 ()内はオリコン最高順位 | 71年:17才(2位) 73年:色づく街(4位) 75年:人恋くて(8位) 他多数 |
目次
2、南沙織はアメリカからやってきた?
3、デビュー曲『17才』
4、元祖アイドル歌手
5、結成!『新三人娘』
6、南沙織の歌手以外の活動
7、活動8年での早すぎる引退、その理由は・・・
8、限定復帰とその後の南沙織
9、私の好きなシンシア楽曲
10、クイズ
11、アンケート
12、ホームページ・SNS
13、関連記事
南沙織はアメリカからやってきた?
南沙織を沖縄出身で、地元テレビ局の番組でアシスタント(アルバイト)をしていた際の写真が芸能関係者の目に留まりスカウトされました。
それがなぜ『アメリカからやってきた?』ということになるかというと、当時の沖縄はアメリカ領土だったのです。
沖縄が日本に返還されたのは1972年の出来事ですが、南沙織がスカウトされ東京にやってきたのは1971年なので、当時の南沙織は外国からやってきたという扱いになります。
現在では沖縄出身の芸能人が多くなっていますが、当時はこのような事情から沖縄出身の芸能人はとても珍しい存在でした。
デビュー曲『17才』
『17才』は、南沙織のデビュー曲であり、最大のヒット曲でもある南沙織の代名詞的な楽曲です。
この楽曲で、日本歌謡大賞放送音楽新人賞も獲得しました。
1989年には森高千里がカバーし、こちもヒットしたため、人によっては森高千里バージョンのほうがイメージが強いかもしれません。
当然、この『17才』は南沙織が17歳のときに発表されたと思うでしょうが、実は南沙織が16歳のときに発売したシングルレコードです。
南沙織が17歳になるのは『17才』発売の1か月後で、すぐに年齢が変わるため『17才』のタイトルのほうがプロモーションしやすいという考えがあったものと思われます。(アルバムの『17才』は17歳のときに発売)

元祖アイドル歌手
アイドル歌手というものを築いたのが天地真理であることは間違いないのですが、南沙織は天地真理より4か月早く歌手デビューしています。
しかもデビュー曲の『17才』はアイドル歌謡そのものでした。
天地真理の爆発的な人気によりアイドル歌手というものが広く認知されていったので、天地真理が元祖アイドル歌手という定義であっているのですが、デビューの時期やデビュー曲の曲調などを考えると、真の元祖アイドル歌手は南沙織であったと言えるのかもしれません。

結成!『新三人娘』
南沙織は同じ1971年にデビューした小柳ルミ子、天地真理とともに『三人娘』と呼ばれました。
元々、三人娘というのは同じ映画(ジャンケン娘)に出演した美空ひばり、江利チエミ、雪村いずみの3人を指すもので、その後は伊東ゆかり、中尾ミエ、園まりの3人に対して呼ばれていました。
その三人娘の3代目が小柳ルミ子、南沙織、天地真理の3人ということになります。(後年、他の三人娘と分けるため『新三人娘』と呼ばれる)
南沙織を含む新三人娘は、他の三人娘よりキャラが立っていると言えるでしょう。
親しみやすいキャラで国民的アイドルとなった『天地真理』
抜群の歌唱力でヒットチャートを駆け抜けた『小柳ルミ子』
日本返還前の沖縄からやってきた『南沙織』
みんな分かりやすい特徴があります。
ではここで、新三人娘の簡単な経歴を見比べてみます。
天地真理
生年月日:1951年11月5日
歌手デビュー日:1971年10月1日
デビューの経緯:音楽系の私立学校を卒業し音楽事務所に所属した後、渡辺プロダクションに所属
芸能界デビュー:ドラマ『時間ですよ』の出演
小柳ルミ子
生年月日:1952年7月2日
歌手デビュー日:1971年4月25日
デビューの経緯:宝塚音楽学校を首席で卒業し渡辺プロダクションに所属
芸能界デビュー:連続テレビ小説『虹』の出演(その前に宝塚歌劇団所属)
南沙織
生年月日:1954年7月2日
歌手デビュー日:1971年6月1日
デビューの経緯:写真を見た芸能関係者がスカウト
芸能界デビュー:『17才』で歌手デビュー※
※南沙織はデビュー直後にOMCからバーニングプロダクションに移籍している
そのようなこともあってか、南沙織には他の2人より純潔なイメージがあり、4枚目のシングル曲のタイトルはズバリ『純潔』でした。
後の女性アイドルに純潔性が求められるようになったのも、ひょっとしたら南沙織のデビューが影響しているのかもしれません。
南沙織の歌手以外の活動
南沙織は、他のアイドルと違い歌手活動以外の仕事をほとんど行いませんでした。
アイドルは、当時から歌にドラマに映画にバラエティにと活躍に幅がありましたが、彼女はドラマや映画といった演技系の仕事はほとんど行わず、行っても非常に簡単なものでした。(ゲスト出演程度がほとんど)
また、当時のアイドルが行う仕事として大きなシェアを占めていたコント番組でのコント出演も、ほとんど行うことはありませんでした。
アイドルの定義付けが曖昧だった当時の状況を考えても、南沙織のかなり稀なアイドルであったと思われます。
活動8年での早すぎる引退、その理由は・・・
南沙織は1978年に上智大学に入学し、その年の秋に学業を優先するため引退します。
そしてその翌年に、カメラマンの篠山紀信と結婚をしました。
2人の交際は、南沙織の引退後に始まったことになっていますが、引退が大学入学直後すぐではなく半年過ぎてからだったことや、在学期間中の休業ではなく引退を決めていることなどから、結婚するための引退だったと思われています。
そもそも、1978年10月7日に引退コンサート行い、翌年の1979年6月4日に結婚式を挙げていることから考えても、引退後に交際が始まったという話には無理があるでしょう。
今となっては大した問題ではありませんが、女性アイドルと女性芸能人を主な被写体とするカメラマンとの結婚は、当時としては許されないものだったのかもしれません。
限定復帰とその後の南沙織
芸能界引退後、表舞台に出ることがなくなった南沙織でしたが、1991年のNHK紅白歌合戦に突然出演することになります。
その後も何曲かCDを出すなど、1990年代は芸能活動を再開させましたが、テレビなどに出ることはなく芸能活動は極めて限定的なものでした。
そういった限定的な芸能活動も21世紀以降はなくなり、現在は再び引退状態となっています。
私の好きなシンシア楽曲
私が好きな南沙織の楽曲は、
『17才』
です。
やはり、南沙織と言ったら『17才』でしょう!
ちなみに私は、森高千里バージョンの『17才』も大好きです。(;^_^A
クイズ
只今制作中・・・少々お持ちください。m(_ _)m
アンケート
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コメント
南沙織をアイドル歌手としてみれば、その魅力は非常に稀有な存在だと思います。
当時はわからなかったのですが、歌手としての魅力は山口百恵さんと真逆のものを持っていたのではないでしょうか。そして、その魅力が当時の多くのフォーク歌手に愛された原因ではないかと感じています。
また篠山紀信氏との結婚は、私から見れば、ごく自然な流れだったような印象を持っており、1977年には結婚を考えておられたように感じています。
誰にも分ってもらえないと思いますが。南沙織としてではなく、Cynthiaという女性を見てきた私の思いです。