世間へ話題を提供し続けた『宮沢りえ』

宮沢りえプロフィール

90年代アイドルの宮沢りえ

生年月日1973年4月6日
芸能界入り詳細はわからないが『チャルメラ』(明星食品)のCMが芸能界デビュー
初出世作 CM『三井のリハウス(三井不動産販売)』(1987年4月)
CDデビュー 1989年9月15日(ドリームラッシュ)
主要音楽祭受賞歴
(最優秀新人賞)
主要音楽祭受賞歴
(大賞)
ゴールデン・アロー賞
受賞歴
主要映画賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
1988年度日本アカデミー賞新人俳優賞(ぼくらの七日間戦争)
1988年度毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞(ぼくらの七日間戦争)
2002年度日本アカデミー賞最優秀主演女優賞(たそがれ清兵衛)
2002年度キネマ旬報ベスト・テン主演女優賞(たそがれ清兵衛)
2002年度毎日映画コンクール女優助演賞(たそがれ清兵衛)
2002年度ブルーリボン賞助演女優賞(たそがれ清兵衛)
2002年度報知映画賞主演女優賞(たそがれ清兵衛)
2004年度キネマ旬報ベスト・テン主演女優賞(父と暮せば)
2004年度ブルーリボン賞主演女優賞(父と暮せば)
2014年度日本アカデミー賞最優秀主演女優賞(紙の月)
2014年度報知映画賞主演女優賞(紙の月)
2014年度ヨコハマ映画祭主演女優賞(紙の月)
2016年度日本アカデミー賞最優秀主演女優賞(湯を沸かすほどの熱い愛)
2016年度キネマ旬報ベスト・テン主演女優賞(湯を沸かすほどの熱い愛)
ドラマアカデミー賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
紅白歌合戦出場回数(2024年まで) 1回
代表曲
()内はオリコン最高順位
89年:ドリームラッシュ(2位)
90年:NO TITLIST(1位)
90年:Game(5位)
他多数

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目次

宮沢りえとCM

宮沢りえが最初に人気を得たのはCMです。
デビューも1984年に放送開始された明星食品のインスタントラーメン『チャルメラ』のCMで、その他に『キットカット』のCMで後藤久美子と共演したこともありました。
そして、宮沢りえの人気が名実ともに明らかとなるのが1987年放送の『三井のリハウス』CMで、このCMで演じた白鳥麗子は『白鳥麗子でございます!』という漫画のタイトルにもなったほどです。(この漫画は後にドラマ化)
この『三井のリハウス』のCMは、宮沢りえ以後も若い女性タレントが担当し、彼女らはリハウスガールと呼ばれるようになります。
以下、歴代のリハウスガールたちです。

【三井リハウスガールの一覧】
宮沢りえ(1987年)
森沢和美(1988年)
茅野佐智恵(1989年)
坂井真紀(1990年)
一色紗英(1991年~1992年)
藤谷文子(1993年~1994年)
建みさと(1995年~1996年)
池脇千鶴(1997年~1999年)
義煎恵理(2000年~2001年)
蒼井優(2002年~2004年)
夏帆(2004年~2007年)
山下リオ(2007年~2009年)
川口春奈(2009年~2011年)
山本舞香(2011年~)

更に、同じように宮沢りえの出演以降、若い女性タレントが出演することが定番になったのが『ポカリスエット』のCMです。(ポカリスエットのCMは、宮沢りえの前に森高千里が出演しているが、森高千里のCMは糸井重里と共演で女性タレントメインではなかった。)
では、ポカリスエットのCM出演者たちも以下にまとめます。

【ポカリスエットCMガールの一覧】
宮沢りえ(1988年~1990年)
一色紗英(1991年~1994年)
中山エミリ(1995年~1996年)
後藤理沙(1998年~1999年)
鈴木杏(2000年~2001年)
綾瀬はるか(2005年~2006年)
川口春奈(2009年)
中条あやみ(2015年)
八木莉可子(2016年~)

このような、そうそうたる女性タレントを輩出した2つのCMの最初を飾るのが宮沢りえであり、当時の宮沢りえは、それほどまで世間にインパクトを残していたということです。

分散化する90年代アイドル①『CMガール』
1980年代終盤以降、理由は分かりませんがCM出演から一躍スターダムに駆け上がる女性芸能人が増え始めます。(結局、理由も考察したので以下でご覧ください) 本来、CMとしての宣伝効果を狙うなら新人芸能人より既に著名な芸能人を使ったほ...
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映画『ぼくらの七日間戦争』からドラマ『スワンの涙』まで

1988年、宮沢りえは『ぼくらの七日間戦争』という映画に主演します。
この映画は興行収入的にそこまでヒットはしていませんが、アイドル映画としてはとてもよくできていて、今でも人気の高い作品となっています。
その後はテレビドラマ『追いかけたいの!』(1988年10月26日から1988年12月21日まで放送)に出演。
このドラマは、主演が南野陽子で主題歌がWinkの『愛が止まらない 〜Turn It Into Love〜』というアイドルファンにはたまらない作品となっています。
更に1989年には大映ドラマの『青春オーロラ・スピン スワンの涙』(1989年4月10日から9月25日まで放送)に主演します。
大映ドラマに代表される1980年代のドラマは、『荒唐無稽な設定や過度な演出+女性アイドル』という組み合わせで作られることが多かったのですが、このドラマも正にそういった類のドラマでした。
ただし、このようなドラマの人気は80年代アイドルブームの終焉と共に限りが見え始め、『青春オーロラ・スピン スワンの涙』は大映ドラマ感全開のドラマとしては最後の作品だったと思います。

いずれにせよ、この間の宮沢りえは、自身の終生の仕事となる演技の仕事を数多くこなしていました。

アイドルブームを支えたドラマ作品群『大映ドラマ』
日本のテレビ界では、1970年代から1980年代にかけて、あるドラマ制作会社に大きな注目が集まりました。 それは映画会社の大映から分社化された大映テレビで、この大映テレビが作るドラマが『大映ドラマ』と呼ばれ大きな話題となったのです...

満を持してCDデビュー

CM、映画、ドラマで活躍した宮沢りえは、1989年に満を持して歌手デビューします。
小室哲哉がプロデュースしたデビューシングル『ドリームラッシュ』(1989年9月15日発売)は、オリコンチャート2位を獲得し、続く2枚目のシングル『NO TITLIST 』ではオリコンチャート1位を獲得と、宮沢りえは歌手としても成功します。
しかし歌手としての活動は限定的で、1993年10月1日の7枚目のシングル『ボーイフレンド』でリリースを終えることとなりました。

宮沢りえは90年代アイドル?80年代アイドル?

宮沢りえが人気を得た『三井のリハウス』のCMも、『ポカリスエット』のCMも、『ぼくらの七日間戦争』の公開も、『青春オーロラ・スピン スワンの涙』の放送日も、CDデビューも、みんな1980年代の話です。
よって、普通に考えれば宮沢りえは80年代アイドルになります。
このことは90年代アイドルを語る上で問題になると最初からわかっていたので、当ブログでは90年代アイドルの定義を『Wink』より後にCDデビューし、主に1990年代に活躍した人』としています。

宮沢りえはCDデビューがWinkより後で、全盛期も1990年代なので、当ブログでは90年代アイドルとして扱っています。

年代別アイドルの定義と分け方
当ブログでは、70年代アイドル、80年代アイドル、90年代アイドルをタグ分けしていますが、これら年代別アイドルの定義は一部曖昧になっています。 具体的にハッキリしていないのは、80年代アイドルと90年代アイドルの区分けで、この区分...

話題先行型タレント

1990年代に入ると、宮沢りえは世間へ大きな話題を次々と提供していきます。

1989年の『ふんどしカレンダー』
1990年の『NHK紅白歌合戦バスタブ歌唱』※
1992年の『貴花田(貴乃花)との婚約』
1993年の『貴花田(貴乃花)との婚約破棄』
※宮沢りえはNHK紅白歌合戦史上初となる中継出演を果たすのですが、バスタブの中で裸を思わすような演出だった。

このような話題先行型で売り出す手法は、デビュー以来マネージャーを務めた宮沢りえの母(通称:りえママ)の影響によるものと言われています。
1990年代前半の宮沢りえは、上記したような話題が功を奏して高い人気を得ましたが、それと同時に過剰なまでな話題先行型の売り出し方に対する批判の声も増えていきました。

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写真集『サンタ・フェ』

以上のように、世間に対し次々と話題を提供していった宮沢りえでしたが、その極みが18歳のときに出したヌード写真集『サンタ・フェ』です。
しかもこの写真集の発表を新聞の一面広告で行ったのです。
この衝撃に世間は大騒ぎとなりました。
結果、写真集の売り上げは歴代1位となり、この記録は今も破られていません。
そもそも宮沢りえが打ち立てた写真集売り上げ155万部という記録は、3位(川島なお美の『WOMAN』など)のおよそ3倍、2位(菅野美穂の『NUDITY』)のおよそ2倍となっており、永久不滅の記録として長く残り続けるものと思われます。

その後の宮沢りえ

1995年に映画『藏』を降板して以降、宮沢りえに対する世間の声は厳しくなりはじめ、自身も体重を著しく落とすなど精神的に不安定な時期が続きました。
その後しばらく休業した後、宮沢りえは映画や大型企画のテレビドラマを中心に女優業にまい進し、演技の世界で高い評価を得るようになります。
バラエティ番組などへの出演も大幅に減り、かつてのように世間を騒がすこともなくなりました。

私生活では、2009年に一般男性と結婚し出産しましたが2012年に離婚。
2018年3月16日には、ジャニーズのアイドルグループ『V6』のメンバー・森田剛と再婚しました。

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隠れた名曲『My Kick Heart』

ここで書くことはアイドルの話とは関係ないのですが、あえて書かせていただきたいと思います。
宮沢りえの6枚目のシングル『赤い花』のカップリング曲は、『My Kick Heart』という曲なのですが、この曲は月刊漫画雑誌『ボンボン』の企画で歌詞を募集して作られた楽曲です。
作詞家として選ばれた中澤誠一さんは、当時、病気で入院している小学生でした。
『My Kick Heart』は、そんな小学生が自分を投影して書き上げたものです。
自身の現状を悲観しつつも、前向きに生きていこうとする歌詞を書き上げた中澤誠一さんでしたが、『My Kick Heart』リリース後間もなく天に召されてしまいました。

作曲を担当した小室哲哉もこの楽曲には思い入れがあるようで、滅多にボーカルとして歌うシーンを見せない小室哲哉が、テレビでこの楽曲を歌ったこともありました。
私は、この『My Kick Heart』が宮沢りえの楽曲の中で1番の名曲だと思います。

私の好きな宮沢りえ楽曲

『My Kick Heart』の話は置くとして、私が好きな宮沢りえの楽曲は、

NO TITLIST

です。
宮沢りえは、歌手活動を本格的にしているわけではないので選択肢は限られますが、デビュー曲の『ドリームラッシュ』やNHK紅白歌合戦で歌った『GAME』よりも、自身が主演したドラマの主題歌だった『NO TITLIST』がお気に入りです。

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クイズ

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少々お持ちください。m(_ _)m

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2023年4月、ブログのリニューアルに伴いアンケートを新しいものに差し替えました。
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