水野美紀プロフィール
生年月日 | 1974年6月28日 |
芸能界入り | 第2回『東鳩オールレーズンプリンセスコンテスト』準優勝 |
初出世作 | CM『ルシェリ(コーセー)』(1992年春?) CM『スーパーファミコン版ストリートファイターII(カプコン)』(1992年夏) |
CDデビュー | 1992年9月26日(素敵な身勝手) |
主要音楽祭受賞歴 (最優秀新人賞) | - |
主要音楽祭受賞歴 (大賞) | - |
ゴールデン・アロー賞 受賞歴 | - |
主要映画賞受賞歴 (主演賞、助演賞、新人賞) | - |
ドラマアカデミー賞受賞歴 (主演賞、助演賞、新人賞) | 2000年1~3月助演女優賞(Beautiful Life 〜ふたりでいた日々〜) 2001年1~3月主演女優賞(女子アナ。) |
紅白歌合戦出場回数 (2024年まで) | 0回 |
代表曲 ()内はオリコン最高順位 | - |
目次
2、水野美紀はアクション女優?
3、『ねぇ、チューしてよ』のCMで大ブレイク
4、水野美紀=春麗?
5、水野美紀と水野真紀
6、事務所の移籍と女優としての飛躍
7、事務所からの独立と苦戦
8、その後の水野美紀
9、水野美紀の動画
10、クイズ
11、アンケート
12、ホームページ・SNS
13、関連記事
水野美紀はアクション女優?
水野美紀は、中学1年生のときに『第2回東鳩オールレーズンプリンセスコンテスト』でプリティ賞(準グランプリに相当)を獲得し、そこでスカウトを受けて中学卒業と共に地元の三重県から上京してきます。
このオーディションに受かるまでの水野美紀は少林寺拳法を習っており、その影響もあって上京した後は倉田アクションクラブに通うことになりました。
倉田アクションクラブを主幹する倉田保昭は、ブルース・リーが大活躍していた時代に香港へと渡り数々のカンフー映画に出演したアクション俳優で、帰国後は『和製ドラゴン』と呼ばれ人気を博した人物です。
そんな本格的なアクション俳優が主幹する俳優スクールに通っていた影響もあって、水野美紀の女優デビュー作は戦隊ヒーローシリーズ『地球戦隊ファイブマン』の適役となっています。
『ストリートファイターII』のCMで春麗を演じたのも、こういったアクション俳優としての素質を買われたからでした。
『ねぇ、チューしてよ』のCMで大ブレイク
1992年、水野美紀は『ルシェリ』(コーセー)という化粧品のCMに出演します。
このCMは、女性が“ねぇ、チューしてよ”と男性にせがむもので、リハーサルで相手役の唐沢寿明は頬にキスしていたのですが、本番で事前報告なしに口にキスしています。
CMの担当者は水野美紀の本当に驚く姿を撮りたかったそうで、実際のCMに採用されました。
CM担当者の思惑通り、このCMは放送直後から話題となり“ねぇ、チューしてよ”は、年末の流行語大賞大衆語部門で銀賞を受賞することになります。
詳しいCMの放送時期は分かりませんが、放送時期の水野美紀が高校生だったことは確実で、撮影時期はひょっとすると17歳だったかもしれません。
年齢と撮影手法を考えると、今なら色々と問題になること必須のCMと言えるでしょう。(^_^;)

水野美紀=春麗?
水野美紀は、ルシェリのCMと同時期に人気の格闘ゲーム『ストリートファイターII』(ファミコン版)のCMに、ゲームのヒロインキャラである春麗(中国人キャラ)に扮して出演しています。
『ルシェリ』のCMで一気にお茶の間に顔が知られ仕事を増やしていく中、ゲームキャラクターを演じるという仕事は如何にもマイナーアイドルっぽく、2つのCMに大きな落差を感じたことを覚えています。
ちなみにCMと『ストリートファイターII』に関連した話で、『ストリートファイターII』が1994年にアニメ映画になった際の主題歌を歌った篠原涼子と、お互い無名の時代だった1992年新春の『噂のCMガール博覧会』で共演していました。
歌手・水野美紀
水野美紀は女優としてのイメージが強いでしょうが、実はアイドル歌手としてもしっかりデビューしています。
元々アイドル要素の強いオーディション出身ですので、無理やりデビューさせられたわけではなく、本人も歌手デビューに前向きだったのではないかと思います。
デビュー曲は1992年9月26日に発売した『素敵な身勝手』で、2枚目(現状最後の)シングル『色づく街』(南沙織のカバー)は1994年11月23日発売です。
1枚目と2枚目のシングルで2年以上の期間が空いていますが、当時の水野美紀が出演した番組で話したところによると1993年にもCDを出す予定があったようです。
『ルシェリ』のCM出演で予想に反して一気にブレイクしたことや、斜陽していた当時のアイドル文化などが影響し、当初予定していた歌手活動が狂っていたのかもしれません。
水野美紀と水野真紀
水野美紀が活躍し始めた当時、1文字違いの女優・水野真紀(1970年3月28日生まれ)も同じような活動をしていました。
既に記載した通り、水野美紀は1987年に『第2回東鳩オールレーズンプリンセスコンテスト』で準優勝し、1992年に化粧品のCMでブレイクしています。
一方、水野真紀は1987年に『第2回東宝「シンデレラ」コンテスト」で審査員特別賞を受賞し、1992年に女性向け家電のCMで人気を博します。
名前だけでも大混乱なのに、2人は芸能界入りやブレイクの仕方も似通っており、そのタイミングもとても近いのです。
水野真紀が政治家と結婚し芸能活動が限定的になったため混乱は解消しましたが、当時は本当にどっちがどっちだか分からなくなる人が多数いたものと思われます。(^_^;)
事務所の移籍と女優としての飛躍
『ルシェリ』のCMに出演した後の水野美紀は、女優としてそれなりの活躍はしていましたが大ブレイクしているとまでは言えませんでした。
当時はフジテレビやTBSがドラマに強かったのですが、水野美紀はあまりドラマに強くなかったテレビ朝日のドラマ出演が多く、話題になるようなゴールデンタイムの連続ドラマにレギュラー出演することはありませんでした。
しかし、突然転機が訪れます。
1994年にデビュー時から所属していた事務所(グリーンプロモーション)が解散し、大手芸能事務所のバーニングプロダクションに移籍することになるのです。
その直後から、水野美紀はフジテレビを中心としたゴールデンタイムの連続ドラマに出演するようになり、1997年には後に何度も映画化される『踊る大捜査線』にも出演し一気に人気を得ます。
2001年には『女子アナ。』で連続ドラマ初主演を果たし、その後もゴールデンタイムの連続ドラマに主演クラスでの出演が続くなど、女優としての地位を確立していくのですが・・・この状況は長続きしませんでした。

事務所からの独立と苦戦
2005年、水野美紀はバーニングプロダクションから独立し個人事務所(オフィス・モレ)を設立します。
その結果、テレビ業界から干される形となり、2年ほどドラマなどの仕事がまともに入らなくなりました。
その期間は舞台を中心に活動し演劇ユニットを主宰するなどしましたが、旬の時期に2年間もテレビから離れた影響は大きく、悪い影響は思いの外長く続いたように感じます。
その後の水野美紀
現在は事務所移籍による悪影響もほぼなくなり、テレビドラマなどで水野美紀の姿を見かけることも多くなっています。
またYouTube活動も活発で、過去の仕事について語ったり、今までテレビでしてこなかった企画などもこなし、新しい一面を見せています。
プライベートでは2016年に俳優兼イラストレーターの唐橋充と結婚し、2017年には第一子を出産しました。
水野美紀の動画
クイズ
只今制作中・・・少々お持ちください。m(_ _)m
アンケート
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