演歌歌手に転身して大ブレイク『長山洋子』

長山洋子プロフィール

80年代アイドルの長山洋子

生年月日 1968年1月13日
芸能界入り ビクター少年民謡会加入からのスカウト
キャッチフレーズ ぼくの青春(とき)をとめる、少女がいた
レコードデビュー 1984年4月1日(春はSA・RA SA・RA)
主要音楽祭受賞歴
(最優秀新人賞)
主要音楽祭受賞歴
(大賞)
1995年日本有線大賞(捨てられて)
ゴールデン・アロー賞
受賞歴
主要映画賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
ドラマアカデミー賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
紅白歌合戦出場回数
(2024年まで)
14回
代表曲
()内はオリコン最高順位
86年:ヴィーナス(10位)
93年:蜩-ひぐらし-(18位)
95年:捨てられて(35位)
他多数

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目次

長山洋子は民謡少女!

長山洋子は物心がつかないレベルの幼い頃から民謡教室に通い、10歳からは三味線も習っていました。
その関係でビクター少年民謡会というグループに所属し、レコード制作に参加したりテレビ番組などに出演することもあったそうです。
この時期の活動として有名なものは、『ヤッターマン』などで知られるタイムボカンシリーズの『ヤットデタマン』の40話で使用された『ヤットデタマンブギウギ音頭』や、『8時だョ!全員集合』のコント出演などとなっています。

アイドル歌手・長山洋子

民謡を習っていたこともあり、長山洋子は演歌歌手としてデビューしたかったそうですが、生まれた時代が悪かったのかアイドルとして歌手デビューすることになります。
民謡で磨いた抜群の歌唱力を武器にアイドル歌手としても大成功・・・かと思いましたが、デビュー当時の長山洋子は大して売れませんでした。(T_T)
デビュー曲の『春はSA・RA SA・RA』はなんとかオリコン最高41位を獲得しますが、5枚目のシングル『素顔のままで』では最高97位しか獲得できないなど苦戦が続き、当時の長山洋子は、売れないアイドルの巣窟と化していた『レッツゴーヤング』のアシスタント集団『サンデーズ』として活動することとなります。

レッツゴーヤング『サンデーズ』のメンバー一覧
1974年4月7日から1986年4月13日まで、NHKには『レッツゴーヤング』というアイドルを中心に扱う音楽番組がありました。 そのレッツゴーヤングには『サンデーズ』という番組独自のユニットが存在しており、基本的に新人アイドルが務...
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女優・長山洋子

演歌歌手となった今では全くイメージがないですが、歌手としてイマイチ売れなかった当時の長山洋子は女優としてのほうが目立った活躍をしていました。
『ヤヌスの鏡』(1985年12月4日~1986年4月16日)、『花嫁衣裳は誰が着る』(1986年4月23日~1986年10月15日)、『このこ誰の子?』(1986年10月22日~1987年3月25日)などの大映ドラマに脇役として出演した他、1990年から1991年にかけて計3作放送された1話完結の2時間ドラマ『ミニ・パトより愛をこめて』では、藤田朋子とともに主演(W主演)も果たしています。

アイドルブームを支えたドラマ作品群『大映ドラマ』
日本のテレビ界では、1970年代から1980年代にかけて、あるドラマ制作会社に大きな注目が集まりました。 それは映画会社の大映から分社化された大映テレビで、この大映テレビが作るドラマが『大映ドラマ』と呼ばれ大きな話題となったのです...

ヴィーナスのヒットと当時の洋楽カバー

アイドル時代の長山洋子に転機を与えた曲は、7枚目のシングル『ヴィーナス』(1986年10月21日発売)です。
この曲は、ディスコ系サウンドで日本でも人気だったイギリス出身のガールズグループ『バナナラマ』カバーで(元は『The Shocking Blue』というロックバンドの曲)、オリコン最高10位のスマッシュヒットとなりました。

当時は、大映ドラマの主題歌で女性歌手が洋楽カバーを採用することが定番となっており、それがアイドルにも波及したものと思われます。
同期で同名の荻野目洋子が、1985年11月21日に『ダンシング・ヒーロー (Eat You Up)』を洋楽カバーとして発売し大成功するなど、当時のアイドル界では洋楽カバーが一種のトレンドとなっていたようです。
売れてるとは言えないアイドルだった長山洋子もこの曲でチャンスを掴み、続いても洋楽カバーのシングル『ユア・マイ・ラヴ』を発売してオリコン最高8位を記録するなど、人気アイドルの仲間入りを果たします。

日本のアイドル文化に対する外国人アーティスの影響
日本に“アイドル”という言葉が定着したのは、フランス人歌手の『シルヴィ・ヴァルタン』(ヒット曲:アイドルを探せ、あなたのとりこ)が主演し主題歌も歌った映画『アイドルを探せ』(1963年公開)がきっかけと言われています。 このシルヴ...

アイドル歌手・長山洋子の終焉

洋楽カバーで人気を得た長山洋子でしたが、その人気は長続きしませんでした。
アイドル文化そのものが斜陽してしまうのです。
結果、1990年8月21日発売の17枚目のシングルを最後に、シングル発売が一旦停止します。
ちなみに最後の曲(if We Hold On Together)も洋楽カバーでした。

演歌歌手への転身と現在の長山洋子

紆余曲折ありましたが、長山洋子は1993年に演歌歌手として再デビューすることになります。
1993年1月21日に、2年半の期間を開けて発売した演歌調のシングル『蜩-ひぐらし-』がいきなりヒットし、アイドル時代では考えられなかったNHK紅白歌合戦の出場も果たします。
当時はCDが売れる時代だったこともあり、その後に出したCDも軒並みアイドル時代以上の売り上げとなり、長山洋子の演歌歌手転身は見事に成功を収めました。

2003年には自ら三味線を弾く『じょんから女節』を発表し、本来あるべき姿での活動も初め、こちらも成功を収めます。
初出場の後1年空きましたが、NHK紅白歌合戦にはその後は13回連続に出場し、80年代アイドルとして松田聖子に次ぐ計14回の出場回数を誇ります。(2023年までのデータ)
以上のように、かなり遠回りしましたが長山洋子は演歌歌手として大成功し、現在も息の長い歌手活動を続けています。

私の好きな長山洋子楽曲

私が1番好きな長山洋子の楽曲は、

ヴィーナス

です。
アイドル時代の長山洋子の楽曲と言ったら、やっぱりコレですね。

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1984年デビュー
プロフィール
究極DD(管理人)
【自己紹介】
名前:究極DD
年齢:思ったより若い
所在地:関東平野(情報が関東に偏る)
性格:生まれ持ってのデータ厨
好きなもの:女性アイドル
好きな番組:ザ・ベストテン
好きなドラマ:大映ドラマ
嫌いなもの:男性アイドル
専門分野:90年代の女性アイドルグループ
Twitter:https://twitter.com/idol20th
【サイト説明】
近年、You Tubeなどの動画サイトの影響か、中高生などの若い世代に70年代アイドル・80年代アイドル・90年代アイドルなどのファンが増えているそうです。
その一方で、インターネット環境の変化からサイトの閉鎖が相次ぎ、かつてネット上で書かれていたアイドルの情報が損失していっています。
自分はアイドルオタクというほどアイドルにハマっていたわけではありませんが、若い世代に20世紀に活躍したアイドルたちのことを語り継いでほしいので、自分の知り得るアイドルの情報を今のうちに書き残していきたいと思います。
アイドルブームの時代を生きた一般人目線のアイドル論を是非ご覧ください!
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