アイドルとフォークの融合『太田裕美』

太田裕美プロフィール

生年月日 1955年1月20日
芸能界入り スクーメイツ出身
キャッチフレーズ まごころ弾き語り
レコードデビュー 1974年11月1日(雨だれ)
主要音楽祭受賞歴
(最優秀新人賞)
1975年上期銀座音楽祭グランプリ
主要音楽祭受賞歴
(大賞)
ゴールデン・アロー賞
受賞歴
主要映画賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
ドラマアカデミー賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
紅白歌合戦出場回数
(2021年まで)
5回
代表曲
()内はオリコン最高順位
雨だれ(14位)
木綿のハンカチーフ(2位)
赤いハイヒール(2位)
九月の雨(7位)
他多数
ホームページhttps://www.sonymusic.co.jp/artist/HiromiOta/

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目次

太田裕美はスクールメイツ出身?

太田裕美と言えばアイドルとフォーク歌手が融合したような存在で、一般の歌手に近いアイドルというイメージがあるかと思います。
しかし出身は渡辺プロダクション系列の芸能学校『東京音楽学院』で、その生徒で結成される『スクルーメイツ』にも選ばれていました。

1971年に世界の平和を願う『愛するハーモニー』という楽曲がコカ・コーラのCMに採用され大きな話題となり、この曲の日本語カバーを1972年にスクールメイツの面々で歌うことになるのですが、このメンバーにも太田裕美は選ばれています。
そして、この『愛するハーモニー』を歌ったメンバーの中には『キャンディーズ』の3人もいたのです。Σ(゚Д゚)
実は、太田裕美はスクールメイツ出身者で結成されたキャンディーズの面々とはデビュー前からの顔見知りで、伊藤蘭と田中好子に至っては同期という深い関係性があります。
1972年と1973年のNHK紅白歌合戦でスクールメイツがオープニングダンスを披露した際も、太田裕美やキャンディーズは参加しており、そういった影響から太田裕美がキャンディーズのことを話す際は、メンバーの一員かのような強い親しみを持って話すことが確認出来ます。

ちなみに、太田裕美もキャンディーズが結成される際のオーディション(NHK『歌謡グランドショー』のアシスタントオーディション)には参加していたそうで、一歩間違えばキャンディーズ入りしていた可能性があったそうです。(;^_^A

キャンディーズのプロフィール メンバー生年月日 伊藤蘭(ラン):1955年1月13日 田中好子(スー):1956年...
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太田裕美は『ヤング101』のメンバー!

太田裕美は、1973年にNHKの若者向け音楽番組『ステージ101』内で結成された『ヤング101』(男女問わない若手タレント集団)に途中加入し、番組にもレギュラー出演していました。
1974年3月31日で終了するこの『ステージ101』に太田裕美は『ヤング101』のメンバーとして最後まで出演し続け、スクールメイツに続き『ヤング101』としても何枚かのレコードを発売しています。
その後、『スター・オン・ステージ あなたならOK!』というオーディション番組を経て、キャンディーズから遅れること1年2ヶ月の1974年11月1日、ついに太田裕美はソロデビューを果たすのです。

キャンディーズが登場して以降の1970年代は、多数の女性アイドルグループが誕生します。 1976年にデビューしたピンク・レディーなどは、も...

太田裕美はアイドルと歌手?フォーク歌手?ニューミュージック歌手?

デビュー時の年齢が20歳手前とアイドルとしては少し遅めだったこともあり、太田裕美はあまりアイドル感を全面に出すことはなくフォーク歌手や当時流行り始めていたニューミュージック歌手とアイドル歌手の中間みたいな存在としてデビューしました。
実際にデビュー曲『雨だれ』もその後に発売される曲も、明るいアイドルソングというより落ち着きのある曲がほとんどとなっています。
また自身もピアノを弾きながら歌うなど、太田裕美は通常のアイドルとは一線を画する存在でした。

名曲『木綿のハンカチーフ』のヒットと史上最高売上シングル

1975年12月21日に発売された太田裕美の4枚目のシングル『木綿のハンカチーフ』は売り上げ86.7万枚の大ヒットとなりました。
この売り上げは、70年代女性アイドルとしてピンク・レディー(UFO他)、小柳ルミ子(わたしの城下町)、岩崎宏美(ロマンス)に次ぐもので、天地真理(ひとりじゃないの)や山口百恵(横須賀ストーリー)らの最高売り上げシングル、そしてキャンディーズのラストシングル『微笑がえし』にも勝る記録です。
しかし、この『木綿のハンカチーフ』発売4日後の1975年12月25日に『およげ!たいやきくん』が発売され、その『およげ!たいやきくん』が初登場で1位を獲得して以降(初登場1位オリコン初)11週連続で1位を記録したため、『木綿のハンカチーフ』は上記した70年代アイドルたちのヒット曲と違いオリコン1位を獲得することが出来ませんでした。
そして『およげ!たいやきくん』は、未だに破られることのない450万枚以上という史上最高のシングル売り上げを記録します。
86.7万枚も空前のヒットと呼べるレベルなのですが、450万枚とでは雲泥の差となり1位を獲得できないことも仕方がありません。
こればっかりは運が悪かったと諦めるしかないようです。(ノ_-。)

20世紀のアイドルのことを色々書いて、ふと思ったことがあります。 それが何かというと、70年代アイドルはライバル関係が顕著であるということ...

ヒット曲の呪縛

『木綿のハンカチーフ』後も、太田裕美は『赤いハイヒール』や『九月の雨』などがそれなりにヒットするのですが、『木綿のハンカチーフ』があまりに大きなヒットだったっため過度に比べられたり、また新曲よりも『木綿のハンカチーフ』ばかりを人々が聴きたがるという状況が起こってしまいます。
本人曰く、この『木綿のハンカチーフ』の“呪縛”から解かれるのは出産を経た復帰後で、今では自身の宝物であると感じているそうですが、この“ヒット曲の呪縛”は当時の太田裕美を相当悩ませたそうです。

その後の太田裕美

1976年の初出場から1980年まで5年連続でNHK紅白歌合戦に出場するなど、順調に音楽活動を続けていた太田裕美でしたが、1982年に音楽活動を一時休業しニューヨークへ短期留学をします。
この留学について明確な理由は分かりませんが、当時は精神的な疲労が溜まっていたそうです。
その後1985年に音楽プロデューサーの福岡智彦と結婚、更には出産と芸能活動がほぼ休止状態となりますが、子育てが落ち着いたのか1996年より音楽活動を再開し、今では懐メロ番組などによく出演し当時と変わらない歌声を披露しています。

ちなみに太田裕美は演技系の仕事はほとんど行っておらず、歌手活動に特化している数少ないアイドルの1人です。

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私の好きな太田裕美楽曲

私が1番好きな太田裕美の楽曲は、

赤いハイヒール

です。
太田裕美と言えば『木綿のハンカチーフ』のイメージがとても強いですが、この『赤いハイヒール』も48.7万枚という大ヒット曲となっています。ヽ(*’0’*)ツ
作詞作曲は松本隆と筒美京平のゴールデンコンビで、この2人にして“これ以上良い曲は書けない”と言わしめたとの伝説も残っています。
懐メロ番組などで太田裕美が出演する際は決まって『木綿のハンカチーフ』が歌われますが、売り上げ50万枚近くを誇る『赤いハイヒール』にも、もっと光を当ててほしいですね。(^o^)

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こちらは、太田裕美の一般的なベストアルバムになります。

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こちらは、太田裕美のシングル曲を全て集めたCDセットとなります。

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こちらは、デビュー45周年の際に出されたメモリアルアルバムとなります。

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