アイドルブームの被害者?『セイントフォー』

セイントフォーのプロフィール

メンバー生年月日 板谷祐三子:1968年3月5日 ※途中脱退
岩間沙織:1964年7月7日
鈴木幸恵:1966年5月15日
浜田範子:1965年2月22日
いわお潤:1970年2月18日 ※追加メンバー
芸能界入り 事務所による募集
キャッチフレーズ
レコードデビュー 1984年11月5日(不思議Tokyoシンデレラ)
主要音楽賞受賞歴
(最優秀新人賞)
主要音楽祭受賞歴
(大賞)
ゴールデン・アロー賞
受賞歴
主要映画賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
ドラマアカデミー賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
紅白歌合戦出場回数
(2020年まで)
0回
代表曲
()内はオリコン最高順位
84年:不思議Tokyoシンデレラ(35位)
85年:太陽を抱きしめろ(15位)
他多数
ホームページ
株式会社シアタープロジェクトのWEBサイトです。 会社概要。

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目次

セイントフォーとは?

セントフォーは、板谷祐三子、岩間沙織、鈴木幸恵、浜田範子の4人で結成されたアイドルグループで、歌唱の途中でアクロバットを披露することと、プロモーションに40億円のお金を使ったことがデビュー当時大きな話題となりました。
また、メンバーの1人である板谷祐三子が常にメガネをしていることもちょっとした話題となり、今では元祖メガネアイドルなどと称されることもあるそうです。
この板谷祐三子は1986年3月にステージにメガネを置くわけでもなくグループを脱退し、その後、いわお潤が加入にしました。

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セイントフォーの結成経緯

セイントフォーは、名簿業者から得たであろう情報のもと、若い女性に片っ端から新人アイドル募集のダイレクトメールを送り、応募してきた人から高い受講料(登録料)を徴収という手法で集められ結成されました。
事務所(日芸プロジェクト)はその受講料で得たお金を使ってアイドルを売り出し、そのアイドルが有名になれば再び新たなアイドル候補者を獲得し受講料を稼げるという金儲けのシステムを作ろうとしたと想定されます。

セイントフォーの特徴といえばアクロバティックなダンスでしたが、上記のような方法のもと選ばれたメンバーはアクロバットが得意だったわけではありません。
そのためとても厳しい練習を課し、デビューまでに2年間もの時間を要しています。(この厳しいレッスンは、受講料だけを得て応募者を早い段階で辞めさせようとした可能性もある)
そんな厳しいレッスンをくぐり抜けた4人でデビューしたのがセイントフォーなのですが、メンバーの給料は月3万円という薄給で、それらも未払いだったと言われています。

このようにセイントフォーは結成当時から様々な問題を抱えており、募集方法に関してはハッキリと詐欺であった指摘する人もいるほどです。

40億円のプロモーション費は本当なのか?

上記した通り、セイントフォーは怪しい事務所により結成されたグループでしたから、おそらく40億円のプロモーションという話も話題作りのために使われただけで、実際にそんなお金が動いた事実はないでしょう。
おそらくは、少し前にデビューしたアイドルグループ『少女隊』のプロモーション費が30億円だったという話を聞いて、それより高い金額を言ったに過ぎないと思われます。
セイントフォーのメンバー自身も、そんなにお金をかけてプロモーションしてもらった実感がないと発言していますし、セイントフォーのプロモーションが少女隊のプロモーションに比べて予算がかかっていないことは明らかでした。

ということで、ここで実際に少女隊とセイントフォーにおけるデビュー時のプロモーションを比べてみます。

少女隊のプロモーション内容

所属事務所:ボンド企画
レコード会社:日本フォノグラム
デビュー時の音楽プロデューサー:都倉俊一
デビュー日:1984年8月28日

少女隊は、1984年8月28日にシングル『FOREVER〜ギンガムチェックstory〜』、12インチシングル『ESCAPE』、アルバム『少女隊Phoon』、ビデオ『少女隊Phoon』の同時発売という過去に例がないような巨大プロジェクトでデビューしています。
ロサンゼルスのスタジオでレコーディングされたデビューシングルの『FOREVER〜ギンガムチェックstory〜』は江崎グリコ『プリッツ』のCMソングにも選ばれ、当然、少女隊自身がCMに出演します。
レコードと同時発売となったビデオはアメリカ各地で撮影され、同時に撮影されたであろう写真集(ESCAPE 少女隊USA漂流記1984)も10月に発売されました。(プリッツCMの撮影も同時にアメリカで行われた模様)

少女隊プロフィール メンバー生年月日 ミホ:1969年8月31日 レイコ:1969年10月18日 チーコ:196...

セイントフォーのプロモーション内容

所属事務所:日芸プロジェクト
レコード会社:リバスター音産
デビュー時の音楽プロデューサー:加瀬邦彦
デビュー日:1984年11月5日

セイントフォーは、1984年11月5日に『不思議Tokyoシンデレラ』でデビュー、『不思議Tokyoシンデレラ』は『ヤングジャワカレー』のCMソングに採用されセイントフォー自身もCMに出演します。
そして1984年11月17日には出演映画『ザ・オーディション』が公開。
以上がセイントフォーのデビュー時の状況です。
正直、これのどこに40億円のプロモーション費がかかるのかさっぱり分かりません。
強いてお金がかかったことと言えば、1984年10月16日にホテル・ニューオオタニでデビュー発表会を行ったことぐらいで、それ以外は他の新人アイドルを大きな差はなかったように思います。

早い話、セイントフォーのプロモーション費40億円という話は、2ヶ月前にデビューした少女隊より凄いというイメージを世間に植え付けたかっただけで、金額に根拠などないのです。
そもそも少女隊すら何に30億円のプロモーション費がかかっているのかよく分からないのですから、セイントフォーの40億円なんて理解しようがありません。

意外な名作映画『ザ・オーディション』

アイドルブームとなった1980年代は、アイドルが主演する『アイドル映画』と呼ばれる映画が大量に作られましたが、内容はほとんどの場合いまいちなもので、薬師丸ひろ子が出演し大きな話題となった『セーラー服と機関銃』ですら、今になって観ると内容の粗さが目立ちます。
セイントフォーはデビューと同時に『ザ・オーディション』という映画に出演しているのですが、他のアイドル映画の例に漏れず内容はひどいもの・・・になると思いきや、この映画は意外にしっかり作られていて、それなりに良い映画に仕上がっていました。
ストーリーは、主人公である芸能マネージャー兼音楽プロデューサー(世良公則)が新人アイドルをプロデュースし、最終的に音楽祭の新人賞を目指すというもので、その新人アイドル役をセイントフォーが務めます。
アイドルのサクセスストーリーであるとともに、オーディションや新人賞で勝つため審査員に賄賂を渡すなど、アイドルブーム期における芸能界の裏の部分も描かれ、当時の芸能界・アイドル界のことを知りたい人がいるなら是非観てもらいたい映画です。(といっても、DVD化されていないので簡単には観れないが)

しかし、こんな芸能界の裏の部分まで描いた映画に出演しているセイントフォーの事務所自体に、上記したようなやましいことがあるわけで、今になって振り返るとかなり複雑な気分にさせられます。
しかもこの映画自体が、事務所の新たなアイドル募集プロモーションとして利用されたという噂もあるほどです。

ちなみにこの映画には、後に『東京ラブストーリー』などに出演し有名となる女優『有森也実』が新人アイドル役で出演しています。

セイントフォーが成功しなかった理由

事務所の裏事情とは別に、セイントフォーが全く流行らなかったことには他の理由もあるように思います。
端的に言って、セイントフォーのコンセプトとあの時代のアイドルファンが求めていたものに大きな差異があったように感じます。
デビュー当時のセイントフォーの特徴といえば、

エアロビクスみたいな衣装
アクロバットと取り入れた激しいダンス

なのですが、実際に1984年に人気を得たアイドルは岡田有希子や菊池桃子といった正統派路線のアイドルで、当時のアイドル界においてセイントフォーは色物にしか見えなかったのではないでしょうか?
しかもソロ歌手全盛の時代に4人組ですから、その色物臭は余計に際立ちます。

私自身もセイントフォーは色物にしか思えず、変な衣装はセイントフォーの100倍は失敗しているであろうスターボーみたいで好きになれませんでした。
アクロバットに関しても、凄いというより中途半端にしか見えず、そもそも女性アイドルにそんなものを求めていないという感情も大きかったと記憶しています。
ダンスの実力は間違いなくあったので、4枚目のシングル『ハートジャックWAR』のような路線(アクロバットはせずにフリフリの衣装を着ていた)で勝負すれば、もう少しは売れていたのではないかと思います。

突然の活動停止

様々な問題を抱えながらも活動を続けていたセイントフォーですが、1986年9月、大きな問題が起こります。
所属事務所の『日芸プロジェクト』と所属レコード会社の『リバスター音産』が揉めてしまったのです。
日芸プロダクトが曰く付きの事務所なのは散々説明してきましたが、リバスター音産は当時日本最高峰のブラック企業で政界を揺るがすほどの汚職事件を起こす佐川急便が作った会社で、日芸プロダクトに負けず劣らずの曰く付きの会社でした。
こんな問題だらけの2つの会社が揉めるのはある意味必至で、そのままセイントフォーは解散することとなりました。

ちなみに、途中加入のいわお潤はグループ在籍期間中にシングルもアルバムも1枚も出せませんでした。

セイントフォーが成功した部分

セイントフォーに唯一の成功した部分があるとしたなら、それは芸能界で成功しなかったということです。
もしセイントフォーが人気を得ていれば、セイントフォーに憧れ詐欺的な手法で受講料を騙しとられる被害者が増えた可能性もあります。
当時の日本は巨額な詐欺事件が多発し、女性アイドルが詐欺事件に巻き込まれて引退に追い込まれるケースすらあります。
そういったことを考えると、セイントフォーが変に成功していたら世間を揺るがす大問題になった可能性も捨てきれません。
つまりセイントフォーが芸能界で失敗したことが、世間にとって唯一の救いになった可能性もあるわけです。

その後のセイントフォー

セイントフォー解散後、鈴木幸恵、浜田範子は『ピンクジャガー』というグループを結成し音楽活動を継続しますが長続きはせず、鈴木幸恵は結婚・引退、浜田範子は女優業へと活動をシフトします。
岩間沙織と板谷祐三子も女優業が中心となります。
途中加入のいわお潤は、しばらく歌手やタレントとして活動した後、声優に転身しました。

更に、岩間沙織、鈴木幸恵、浜田範子の3人は2018年にセイントフォーを再結成させ、ステージで激しいダンスや側転を披露するなど往年のファンを喜ばすこととなります。

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私の好きなセイントフォー楽曲

私が1番好きなセイントフォーの楽曲は、

ロックンロール・ドリームズ・カム・トゥルー

です。
この曲は、元々アメリカのロックシンガー『ジム・スタインマン』の曲で、セイントフォーが出演した映画『ザ・オーディション』では、セイントフォーが演じるアイドルグループ『レイカーズ』のデビュー曲として扱われています。
この曲をセイントフォー(レイカーズ)の4人が歌うラストシーンは感動なしで観られません。
映画内では2000枚しかプレスされない幻のレコードとなっているのですが、現実世界でも映画のサントラ盤にしか収録されていないセイントフォーの幻の楽曲となっています。

セイントフォーのオススメ商品

コンプリート・コレクション 1984-1986 [CD]

こちらは、セイントフォーが1984年から1986年までに発売した全曲を収録したCDとなります。

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