70年代終盤のNo.1アイドル『榊原郁恵』

榊原郁恵プロフィール

生年月日 1959年5月8日
芸能界入り 第1回ホリプロスカウトキャラバン優勝
キャッチフレーズ 1億円のシンデレラ
レコードデビュー 1977年1月1日(私の先生)
主要音楽祭受賞歴
(最優秀新人賞)
主要音楽祭受賞歴
(大賞)
ゴールデン・アロー賞
受賞歴
1979年グラフ賞
1981年ゴールデン・アロー賞
1981年演劇賞
主要映画賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
ドラマアカデミー賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
紅白歌合戦出場回数
(2021年まで)
6回
代表曲
()内はオリコン最高順位
78年:夏のお嬢さん(11位)
他多数
ホームページhttps://www.horipro.co.jp/sakakibaraikue/

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目次

第1回『ホリプロスカウトキャラバン』グランプリの謎

榊原郁恵は、数々の女性アイドルを生み出した現在も続くオーディション『ホリプロスカウトキャラバン』の1回目のグランプリ獲得者です。
応募総数は第1回目ということで控えめの約18,000通で、バレーボールドラマ『燃えろアタック』に主演した荒木由美子が特別審査員賞で同期となります。

ファンの方には申し訳ありませんが、私はデビュー以来1度も榊原郁恵のことを可愛いと思ったことがありません。
榊原郁恵がホリプロスカウトキャラバンの最終選考にまで残ることはまだいいのですが、とても美人だった荒木由美子を抑えてグランプリを獲得することはさすがに理解に苦しむところがありました。

1970年から1999年までに行われた、一般人女性を対象としたオーディションや新人発掘型のコンテストの結果(グランプリ、入選者)や著名な落選...
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NHK紅白歌合戦6回出場の謎

1970年代終盤にデビューしたアイドルは、1976年にデビューし1977年から1978年にかけて一大ブームを起こしたピンク・レディーの影響で、ヒット曲に恵まれないケースが多くなっています。
1977年3月1日デビューで『スター誕生!』のオーディションでピンク・レディーの2人に勝った清水由貴子は、オリコンチャート最高30位のデビュー曲『お元気ですか』が最大のヒットです。
1978年3月25日デビューの石野真子は、オリコンチャート最高16位の『春ラ!ラ!ラ!』が最大のヒットです。
1977年6月5日デビューの大場久美子については、歌唱力が・・・だったので調査対象外とさせていただきます。(;^_^A
唯一ヒット曲があったのは1977年3月25日デビューの高田みづえで、デビュー曲の『硝子坂』の他、1980年に発売した『私はピアノ』もヒットしています。
榊原郁恵もこの例に漏れずヒット曲にはあまり恵まれず、最大のヒットは『夏のお嬢さん』でオリコンチャートは11位止まりでした。

もかかわらず、榊原郁恵はNHK紅白歌合戦に1978年から6回連続で出場しているのです。Σ(゚Д゚)
以下が、榊原郁恵が紅白歌合戦で歌った曲の一覧ですが、

1978年:夏のお嬢さん
1979年:ラブジャックサマー
1980年:ROBOT(ロボット)
1981年:シャイニング・ラブ
1982年:なごり雪(※カバー曲)
1983年:悲しきクラクション

『夏のお嬢さん』とイルカが歌ってヒットしたことで知られるカバー曲『なごり雪』を除けば、世間にあまり知られていないような曲ばかりを歌っていたと言わざるを得ません。
『センチメンタルジャーニー』などといった世間的にも有名なヒット曲がある松本伊代が1度もNHK紅白歌合戦に出場出来なかった事実を考えると、榊原郁恵のNHK紅白歌合戦6回出場は明らかに違和感があります。
榊原郁恵が歌手として他を圧倒するほどの実力があれば話も分かりますが、そのような実力があったと思う人はほとんどいないでしょう。

1970年代後半から1980年代までは音楽祭の賞レースが盛んで、どのアイドルも各音楽祭の大賞や新人賞などの受賞を目指して1年間活動をしていま...

ゴールデン・アロー賞受賞の謎

2007年度まで行われていたゴールデン・アロー賞は、男女問わず音楽、映画、ドラマ、舞台、バラエティなど芸能界のありとあらゆるジャンルから1人だけで選ばれる芸能人として最高の賞でした。
このゴールデン・アロー賞を受賞した女性アイドルは、1976年度の山口百恵と1989年度の浅野ゆう子、それと1981年度の榊原郁恵の3人しかいません。
浅野ゆう子はアイドル脱却後の受賞なので、女性アイドルとして受賞した例は山口百恵と榊原郁恵の2例しかないと言えます。
1981年度の榊原郁恵はミュージカル『ピーター・パン』の主演を評価されての受賞で、ゴールデン・アロー賞の受賞の効果もあってか榊原郁恵主演のピーター・パンは以降7年間続く榊原郁恵の代表作となります。
しかし、いくらミュージカル『ピーター・パン』が好評を得たからといって、映画『駅 STATION』に主演した高倉健や『ルビーの指環』が大ヒットした寺尾聰などらを抑えて、芸能人最高の賞であるゴールデン・アロー賞を当時の榊原郁恵が受賞することはさすがに不可解な気がしてなりません。

1970年代後半から1980年代には1年に1回開催される形の音楽賞が多数ありました。 そんな音楽賞における大賞相当の賞および最優秀新人賞相...

榊原郁恵はなぜ人気を得たのか?

1980年代までは芸能人の結婚式をテレビ放送することがよくあり、また高視聴率を獲得していました。
1987年に俳優の渡辺徹と結婚した榊原郁恵の結婚式も日本テレビで放送されることになり、40.1%という高視聴率を獲得します。
このことから分かるように、榊原郁恵はとにもかくにも注目を集める人物だったのです。

しかし、ずば抜けた外見力があったわけではない榊原郁恵に対し、世間の人々はなぜこうも注目したのでしょうか?
榊原郁恵はグラマラスな体型でグラビア人気が高かったですか、それが人気の主たる理由ではないと思われます。
彼女にずば抜けた才能があったとすれば、それは『愛嬌』です。
この分野に限れば、榊原郁恵は松田聖子にすら勝っていたかもしれません。
そしてこの愛嬌こそがアイドルにとって一番必要な資質とも言えます。
歌手は歌が上手いことが重要で、モデルは外見が優れていることが重要なわけですが、アイドルというものは、もっと不確定な要素によって人気が決まります。
歌が下手でも人気になるアイドルもいれば、芝居が下手でも主演映画がヒットするアイドルもいるのです。
アイドルがどうやって人気を得るかは簡単に説明できる話ではありませんが、アイドルの人気にとって一番重要なものが何かと問われれば、それは『愛嬌』であり、榊原郁恵はその一点においては最高レベルのものを持っていたのです。

これが上記の項目で指摘してきた疑問の答えで、ホリプロスカウト陣は榊原郁恵のオーディション時からそれを見事に見抜いていたということでしょう。

その後の榊原郁恵

榊原郁恵は『新・熱中時代宣言』などといった話題のドラマに主演することはありましたが、基本はバラエティを主軸に活躍し、同じホリプロスカウトキャラバングランプリ獲得者である井森美幸とともに情報番組の料理コーナー長く勤めていました。
現代もバラエティ番組や情報番組などで活躍を続ける、もっとも売れている70年代アイドルの1人となっています。

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私の好きな榊原郁恵楽曲

私が1番好きな榊原郁恵の楽曲は、

夏のお嬢さん

です。
正直、榊原郁恵の歌に関してはこれ以外あまり記憶に残ってないです。(;^_^A

榊原郁恵のオススメ商品

ゴールデン☆ベスト [CD]

こちらは、榊原郁恵の一般的なベストアルバムになります。

スポニチ秘蔵アイドル全集 [電子書籍]

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