桜田淳子プロフィール
生年月日 | 1958年4月14日 |
芸能界入り | 『スター誕生!』第4回決戦大会グランドチャンピオン |
キャッチフレーズ | - |
レコードデビュー | 1973年2月25日(天使も夢みる) |
主要音楽祭受賞歴 (最優秀新人賞) | 1973年日本レコード大賞最優秀新人賞(わたしの青い鳥) 1973年日本歌謡大賞放送音楽新人賞(わたしの青い鳥) |
主要音楽祭受賞歴 (大賞) | - |
ゴールデン・アロー賞 受賞歴 | - |
主要映画賞受賞歴 (主演賞、助演賞、新人賞) | 1987年度キネマ旬報ベスト・テン助演女優賞(イタズ 熊) 1987年度報知映画賞助演女優賞(イタズ 熊) 1993年度キネマ旬報ベスト・テン助演女優賞(お引越し) 1993年度毎日映画コンクール女優助演賞(お引越し) 1993年度報知映画賞助演女優賞(お引越し) |
ドラマアカデミー賞受賞歴 (主演賞、助演賞、新人賞) | - |
紅白歌合戦出場回数 (2023年まで) | 9回 |
代表曲 ()内はオリコン最高順位 | 73年:わたしの青い鳥(18位) 74年:はじめての出来事(1位) 75年:十七の夏(2位) 76年:夏にご用心(2位) 76年:ねえ!気がついてよ(2位) 77年:気まぐれヴィーナス(7位) 77年:しあわせ芝居(3位) 78年:追いかけてヨコハマ(11位) 他多数 |
目次
2、『スター誕生!』の史上最高得点&最多スカウト
3、天性のアイドル・桜田淳子
4、レコード大賞最優秀新人賞獲得
5、ライバル山口百恵
6、本格的歌手を目指すも・・・
7、紅白であの曲を?
8、コメディエンヌ桜田淳子
9、そして宗教へ・・・
10、桜田淳子の芸能界復帰問題
11、私の好きな桜田淳子楽曲
12、クイズ
13、アンケート
14、ホームページ・SNS
15、関連記事
『スター誕生!』の史上最高得点&最多スカウト
桜田淳子は、森昌子と共に伝説的なオーディション番組『スター誕生!』を象徴する人物です。
・予選では、番組史上最高得点となる573点を獲得
・第4回決戦大会では、番組史上最多獲得表明となる25社からのスカウト
と、桜田淳子は『スター誕生!』でもっとも注目を集めた人となっています。
このように、秋田の住む普通の中学2年生だった桜田淳子は、最大の注目を浴びて芸能界にデビューしていくのでした。
天性のアイドル・桜田淳子
後にスターになる人は、オーディションのときから輝いていたなどと言われることがありますが、桜田淳子の場合は、オーディションで順番待ちをしているときからアイドルとしての存在感を放っていました。
桜田淳子が初めて世に出た『スター誕生!』の地方オーディション(一次予選)では、カメラ前で歌を披露している人より、後ろに座っている桜田淳子のほうに審査員が注目したほどで、実際にその映像を見ると桜田淳子は常にニコニコしており、デビュー前からアイドルとしての素養が高かった様子を感じとれます。
このような状況から、桜田淳子は花の中三トリオの3人の中でもっとも成功を期待された人物でした。
というより、日本の女性アイドル史上もっともアイドルの素養が高かったのは桜田淳子ではないかと主張する人もいるぐらいで、私自身もそう思っている1人であります。
レコード大賞最優秀新人賞獲得
桜田淳子は、花の中三トリオの中で唯一『レコード大賞最優秀新人賞』を獲得しています。
この時期は、女性アイドルが誕生し人気を確立していった時代で、
第13回レコード大賞(1971年):小柳ルミ子
第14回レコード大賞(1972年):麻丘めぐみ
第15回レコード大賞(1973年):桜田淳子
と、3年連続で女性アイドルがレコード大賞の最優秀新人賞を獲得しています。
特に1973年の第15回レコード大賞はその傾向が顕著で、最優秀新人賞にノミネート(新人賞受賞)した人たちが、
アグネス・チャン
浅田美代子
あべ静江
安西マリア
桜田淳子
と、見事なまでに女性アイドルだけになっていたのです。(書いていて思ったのですがア行の頭文字が多いですね。汗)
これらの事実は、この時代の女性アイドルが、いかに人気が高かったかを示すひとつの指標と言えるでしょう。
ライバル山口百恵
桜田淳子は、デビューするにあたって秋田から東京に引っ越し品川中学校に転校しますが、この品川中学校の同じクラス(そもそも1クラスしかない)に山口百恵も転校してきます。
ここで初めて出会った2人ですが、芸能界での成功を目指して慣れない東京で生活するという同じ境遇だったためか、自然と意気投合し親しくなったそうです。(山口百恵の家は横須賀なので東京からそれほど遠くはないが)
しかし世間はこの2人をライバルと煽り立てました。
実際に人気は拮抗しており、特に同時期に発売された桜田淳子の8枚目のシングル『はじめての出来事』(1974年12月5日発売)と山口百恵の7枚目のシングル『冬の色』(1974年12月10日発売)は、売り上げが『はじめての出来事』52.7万枚、『冬の色』52.9万枚という極めて僅差な結果となっています。
このような環境からか、当初仲の良かった2人も次第に口を利かなくなっていったそうです。
その後、時が進むに連れて山口百恵の人気が高まっていき、2人のライバル関係の結果は明らかとなり、またその差は開いていきました。
そんな矢先に、山口百恵は結婚・引退を発表。
このような波乱万丈の2人の関係は、桜田淳子のその後の人生にも影響を与えているものと思われます。
本格的歌手を目指すも・・・
デビュー5年目となり19歳になった桜田淳子は、アイドルからの脱却を目指した21枚目のシングル『しあわせ芝居』で、初めて中島みゆきからの楽曲提供を受け見事ヒットさせます。
しかし、次のシングル『追いかけてヨコハマ』はオリコンチャート最高11位止まりで、以降の楽曲のオリコン最高順位は、
リップスティック(1978年6月5日発売):10位
20才になれば(1978年9月5日発売):14位
冬色の街(1978年12月25日発売):29位
サンタモニカの風(1979年2月25日発売):24位
MISS KISS(1979年5月25日発売):25位
パーティー・イズ・オーバー(1979年8月25日発売):51位
と、見る見るうちに売上をを落としていきました。
これは、アイドルとしての素養が高すぎて本格的な歌手に向かなかった桜田淳子の宿命なのかもしれません。
紅白であの曲を?
1982年、既にヒット曲がなくなっていた桜田淳子は、第33回NHK紅白歌合戦で1981年12月に公開され社会現象化していた映画『セーラー服と機関銃』の主題歌(映画タイトルと同名)を歌うことになります。
これは『セーラー服と機関銃』の本来の歌唱者である薬師丸ひろ子が、学業優先のため芸能活動を休業したことが発端で、この楽曲をどうしても紅白内で使用したいと思ったNHK側と、これといって歌う楽曲がなくなっていた桜田淳子側の思惑が一致したものと思われます。
このことが桜田淳子にとって良かったのか悪かったのか判断するのは難しいですが、この年を最後に桜田淳子はNHK紅白歌合戦への出場は途絶えることとなりました。
コメディエンヌ桜田淳子
同じ中三トリオの中で桜田淳子は、演技力の面では山口百恵に、歌唱力の面では森昌子に水をあけられた感があったのですが、彼女らに圧倒的に勝っていたものがありました。
それがコメディエンヌとしての才能です。
当時のアイドルはテレビ番組でコントをすることが定番でしたが、桜田淳子はこのコントで類稀な才能を見せたのです。
特に『8時だョ!全員集合』で見せた志村けんとの夫婦コントは秀逸で、何度となく同じ設定のコントが披露されるほどの人気となっていました。
他のアイドルも同じ設定のコントをしていますが、桜田淳子のコントが圧倒的に面白く仕上がっています。
このコントはあまりに人気があったため、別のテレビ局の番組である『ドリフの大爆笑』でも類似のコントを行っていたほどです。
今になって考えると、この2人、本当の夫婦になっていれば良かったのではないかと意味のない想像をしてしまう今日このごろです。(;^_^A
そして宗教へ・・・
桜田淳子は、アイドルとしての活動が完全に終わりメディアへの出演も減っていた1990年代初め、再び注目を集めることとなります。
その注目とは、新興宗教の世界基督教統一神霊協会(現名は世界平和統一家庭連合、以下、統一教会)が行う合同結婚式への参加を表明したことでした。
統一教会の合同結婚式とは、見知らぬ人と突然結婚するという一般人からはかなり理解しがたい結婚方法で、その衝撃的事実に、当時のマスコミはこの問題を大きく取り上げました。
更に当時の統一教会は霊感商法などの問題を抱えていたため、桜田淳子が統一教会の広告塔になっているとの批判が高まり、半ば強制的に芸能界から追放され現在に至るまでその状態が続いています。
しかし桜田淳子の芸能活動を考えると、中学生の時代から同級生の友達とライバルと煽り立てられ、またそのライバルが自分を遥かに超えたスターへの道を駆け上がっていく姿を1番近くで見せつけられたのです。
このような状況に置かれたら誰だって精神が病みがちになり、心の落ち着きを宗教に求めることも否定できないのではないでしょうか?
もし桜田淳子の宗教に関する行動に問題があるというのなら、それは当時のメディアや国民全体に責任の一端があると私は思います。
少なくとも、統一教会における諸問題の全てを桜田淳子1人に押し付けるような現メディアの姿勢は、理解し難いと言わざるを得ません。
桜田淳子の芸能界復帰問題
2013年5月28日、桜田淳子はサンミュージック会長の相澤秀禎の通夜に参列し、16年半ぶりに公の場に現れます。
更に同年11月26日には、芸能活動40周年を記念して銀座博品館劇場でコンサートも行い、限定的に芸能活動を開始しました。
2017年以降は、イベントへのゲスト出演、新アルバムの発売、ファンイベントの開催、コミニティーラジオへの出演など、本格的な活動再開の模索を初めている様子が窺えます。
とは言え、肝心なテレビなどの主要メディアへの復帰はできておらず、また現状テレビなどの復帰は関係者曰く難しいとのことです。
しかし日本の芸能人は新興宗教を信仰している人も多く、そういった宗教は統一教会と同じような強引な入会や金銭供与などの問題を抱えていると言われています。
また、過去に薬物事件で逮捕された人なども芸能界では多数活躍しています。
そのような人たちが普通にテレビに出演できて、なぜ桜田淳子の出演は叶わないのでしょうか?
もし桜田淳子のテレビなどのメディア出演がどうしてもダメだというのなら、メディアはその理由をしっかりと説明するべきでしょう。
私は、犯罪を犯したわけでもない桜田淳子だけを極端に排除する現在の主要メディアは異常だと思い、桜田淳子の芸能界復帰を強く望みます。
私の好きな桜田淳子楽曲
私が好きな桜田淳子の楽曲は、
『夏にご用心』
と、
『気まぐれヴィーナス』
です。
まあ、定番ですね。(^_^;)
それ以外に後期の作品として、
『追いかけてヨコハマ』
が好きです。
クイズ
只今制作中・・・少々お持ちください。m(_ _)m
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コメント
昔の芸能人なんて薬物関連で逮捕されても普通に復帰して大御所のポジションに付いてる奴らもいっぱいいいるじゃん。逮捕されたわけでもない桜田淳子を徹底的にテレビ出演させないのは本当に意味がわからん!