おバカ系タレントから大女優になると誰が予想した?『篠原涼子』

篠原涼子プロフィール

東京パフォーマンスドールの篠原涼子

生年月日 1973年8月13日
芸能界入り 事務所のオーディション
初出世作 CM『ファミリーマート』(1991年)
CDデビュー 1991年1月21日(恋はシャンソン)
主要音楽祭受賞歴
(最優秀新人賞)
主要音楽祭受賞歴
(大賞)
ゴールデン・アロー賞
受賞歴
1994年新人賞
1994年音楽新人賞
主要映画賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
2018年度報知映画賞主演女優賞(人魚の眠る家、他)
ドラマアカデミー賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
2003年4~6月助演女優賞(ぼくの魔法使い)
2004年4~6月主演女優賞(光とともに…自閉症児を抱えて)
2004年10~12月助演女優賞(マザー&ラヴァー)
2005年4~6月主演女優賞(anego[アネゴ])
2006年1~3月主演女優賞(アンフェア)
2007年1~3月主演女優賞(ハケンの品格)
2013年4~6月主演女優賞(ラスト・シンデレラ)
紅白歌合戦出場回数
(2023年まで)
2回
代表曲
()内はオリコン最高順位
94年:恋しさと せつなさと 心強さと(1位)※
95年:もっと もっと…(3位)※
95年:Lady Generation(5位)
95年:ダメ!(20位)
96年:平凡なハッピーじゃ物足りない(19位)
他多数

※『篠原涼子 with t.komuro』名義

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目次

デビュー当時の篠原涼子

篠原涼子の芸能界デビューは、『高速戦隊ターボレンジャー』という戦隊ものドラマへのゲスト出演で、その後しばらくして『東京パフォーマンスドール』に結成メンバーとして加入します。(東京パフォーマンスドールの前身グループであるゴルビーズから在籍)

そんな篠原涼子は、東京パフォーマンスドール在籍時からCMやバラエティに単独出演し、グループの中で圧倒的な知名度を誇っていました。
とくに有名なのが『ダウンタウンのごっつええ感じ』というドバラエティ番組への出演で、この番組では、セクハラを超えた今だったらわいせつ事件にすらなりかねないような扱いを受けていました。
また、おバカタレントのような扱いをされることもあり、こんな扱いを受けていた人が後に大女優になるなど、当時は誰も予想していなかったと思います。

時代を先取りしたアイドルグループ『東京パフォーマンスドール』
東京パフォーマンスドールプロフィール メンバー生年月日 下記参照 結成日 1990年4月 出世作 CM『メガネスーパー』(1991年) CDデビュー 1991年7月1日(WAKE ME UP!...

大ヒット曲『恋しさと せつなさと 心強さと』

篠原涼子が1994年7月21日に小室哲哉プロデュースのもと出した4枚目のシングル『恋しさと せつなさと 心強さと』(『篠原涼子 with t.komuro』名義)が大ヒットしたことは、ご存知の方も多いことでしょう。

この曲は、アニメ映画『ストリートファイターII MOVIE』の主題歌として採用されますが、今と違ってアニメ映画の主題歌というタイアップはあまり良いものではありませんでした。
ましてやゲーム原作であるアニメ映画のタイアップは相当レベルが低いもので、事実、『恋しさと せつなさと 心強さと』の最初の出荷量は2万枚にも至らなかったそうです。
しかし映画のCMで曲が流れていた効果もあって少しずつ話題となり、最終的に200万枚を超える大ヒットとなります。
これは、オリコン調べによると安室奈美恵の『CAN YOU CELEBRATE?』に次ぐ女性アイドルのシングル売り上げ第2位の記録であり、おそらくここまでの大ヒットは、関係者も含め誰も予想していなかったものと思われます。

※ちなみに、『恋しさと せつなさと 心強さと』発売当時の篠原涼子は、まだ東京パフォーマンスドールに在籍中でした

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歌手としての篠原涼子

『恋しさと せつなさと 心強さと』のヒット以降も、篠原涼子は小室哲哉プロデュースのもと、

1994年7月21日:『もっと もっと…』
1995年8月2日:『Lady Generation』

などのヒット曲を連発します。
更に小室哲哉の元を離れてた後に出した

1995年11月22日:『ダメ!』(作詞作曲:井上陽水)
1996年5月22日:『平凡なハッピーじゃ物足りない』(作詞作曲:広瀬香美)

などもヒットし、篠原涼子は1990年代中盤に歌手として大成功することとなります。
しかし本格的な歌手といった感じでもなく、この頃はまだバラエティ番組を主戦場にしていました。

女優としての篠原涼子

1990年代の終盤に入り、歌手としての活動が徐々に下火になってきた篠原涼子は、徐々に女優としての活動がメインとなり、バラエティの出演もほとんどなくなっていきます。
脇役の多かった配役も次第によくなり、遂にはゴールデンタイムで放送される連続ドラマで主役を張るような女優にまで成長、2006年には『アンフェア』という大ヒットドラマに主演します。
このドラマは、後にスペシャルドラマやスピンオフドラマが何本も作られた他、映画化までされ篠原涼子の代表作となっていることは、皆さんもご存知のことでしょう。
このように、現在の篠原涼子は日本の大女優として広く知られる存在であり、むしろ女優としての篠原涼子しか知らない人も近年は増えているようです。

ザテレビジョンドラマアカデミー賞の『主演女優賞』&『助演女優賞』&『新人俳優賞』歴代受賞者一覧
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篠原涼子は芸能界のオールジャンル成功者?

篠原涼子は、上記したようにバラエティタレント、歌手、女優として大成功を果たします。
芸能界の中でここまで幅広く活躍した女性はほとんどいません。

山口百恵は歌手としても女優としても大成功していますが、バラエティでの活躍はイマイチです。
桜田淳子は歌手とバラエティ(コント)で活躍しましたが、演技でも活躍はそこまででした。
榊原郁恵は女優とバラエティで活躍しましたが、歌手として大成功したとは言えません。
薬師丸ひろ子、斉藤由貴、南野陽子、中山美穂などの80年代アイドルは歌手でも女優でも成功しましたが、バラエティタレントして大成功したとは思えません。
キャンディーズの伊藤蘭と田中好子は、解散後の個人の活動を含めれば、歌手、女優、バラエティタレントとして活躍しましたが、グループと個人の活動が混ざってしまいます。

私が知る限り、歌手、女優、バラエティの3パターンで大成功した女性芸能人は、篠原涼子以外に1人しか知りません。
それは小柳ルミ子です。
小柳ルミ子は、デビュー曲の『私の城下町』でミリオンセールスを達成し、翌年発売した『瀬戸の花嫁』では日本歌謡大賞も受賞しています。
日本アカデミー賞では、最優秀主演女優賞、最優秀助演女優賞を獲得している他、1970年代から1980年代前半に絶材な人気を誇った『8時だョ!全員集合』には最多ゲスト出演など、歌手としても女優としてもバラエティタレントとしても大成功しているのです。

つまり篠原涼子は、小柳ルミ子以来の歌手、女優、バラエティタレントで成功した女性ということになります。
近年、小柳ルミ子といえばサッカー解説でも有名ですが、もし篠原涼子がスポーツ解説にまで進出すれば、小柳ルミ子に並ぶ芸能界の全方向型成功者として名を残すことができるでしょう。
篠原涼子は今まで誰も予想しないことを次々と実現しているので、案外スポーツ解説進出も実現させるかもしれません。(;^_^A

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市村正親との結婚

2005年12月8日、篠原涼子はミュージカル俳優の市村正親と結婚します。
結婚当時の2人の年齢は、市村正親56歳、篠原涼子32歳で、その年齢差は24歳という年の差婚でした。
既に女優として成功している人が24歳年上の男性と結婚するケースはかなり稀で、篠原涼子は結婚相手すらも世間の予想を大きく覆すのでした。(;^_^A

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私が好きな篠原涼子の楽曲

私が1番好きな篠原涼子の曲は

もっと もっと…

です。
この曲は、大ヒットとなった『恋しさと せつなさと 心強さと』の次に出されたシングルで、レコード会社の関係者などは、大ヒットした前作の路線で勝負したかったらしいのですが、プロデューサーの小室哲哉がバラードで勝負することを強引に推し進めたと言われています。
結果は見事オリコン3位のヒットで、篠原涼子はこの曲のヒットにより一発屋になることを免れたのです。(;^_^A

小室哲哉プロデュースを離れた楽曲では『平凡なハッピーじゃ物足りない』、東京パフォーマンスドール当時の楽曲では『RYOKO from Tokyo Performance Doll』に収録されている『この悪魔め!!』がお気に入りです。
『この悪魔め!!』は、口ひげをつけたメンバーがバックダンサーをするという“予想外”な謎の演出が、当時ファンの間で話題となりました。(;^_^A

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篠原涼子のMV(公式)

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