平成の歌姫・安室奈美恵を輩出した『SUPER MONKEY’S』

SUPER MONKEY’Sプロフィール

90年代アイドルのスーパー・モンキーズ
メンバー生年月日下記参照
結成日1991年
出世作 CM『ロッテ シリアルアイス』
CDデビュー 1992年9月16日(恋のキュート・ビート/ミスターU.S.A.)
主要音楽祭受賞歴
(最優秀新人賞)
主要音楽祭受賞歴
(大賞)
【安室奈美恵】
1996年日本レコード大賞(Don’t wanna cry)
1996年日本ゴールドディスク大賞
1997年日本レコード大賞(CAN YOU CELEBRATE?)
2018年日本ゴールドディスク大賞アーティスト・オブ・イヤー
ゴールデン・アロー賞
受賞歴
1995年音楽賞
主要映画賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
ドラマアカデミー賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
紅白歌合戦出場回数
(2023年まで)
【安室奈美恵】
10回

【MAX】
5回

※『SUPER MONKEY’S』として森口博子のバックダンサーで1回

代表曲
()内はオリコン最高順位
【SUPER MONKEY’S】
93年:愛してマスカット(67位)
94年:PARADISE TRAIN(137位)
95年:TRY ME 〜私を信じて〜(8位)
他多数

【安室奈美恵】
95年:太陽のSEASON(5位)
95年:Stop the music(4位)
95年:Body Feels EXIT(3位)
95年:Chase the Chance(1位)
96年:Don’t wanna cry(1位)
96年:You’re my sunshine(1位)
96年:SWEET 19 BLUES(2位)
96年:a walk in the park(1位)
97年:CAN YOU CELEBRATE?(1位)
97年:How to be a Girl(1位)
97年:Dreaming I was dreaming(1位)
98年:I HAVE NEVER SEEN(1位)
99年:RESPECT the POWER OF LOVE(2位)
00年:NEVER END(2位)
08年:NEW LOOK(1位)※
他多数
※シングルCD『60s 70s 80s』にある楽曲

【MAX】
95年:Kiss me Kiss me, Baby(63位)
96年:TORA TORA TORA(19位)
96年:Seventies(7位)
96年:GET MY LOVE!(4位)
97年:Give me a Shake(1位)
97年:Love is Dreaming(4位)
98年:閃光-ひかり-のVEIL(5位)
98年:Ride on time(4位)
98年:Grace of my heart(2位)
99年:一緒に・・・(8位)
他多数

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目次

SUPER MONKEY’Sは沖縄アクターズスクール出身

1980年代終盤から1990年代序盤にかけて、GWINKO、仲村知夏、里中茶美、早坂好恵などの沖縄アクターズスクール出身の女性ソロアイドルが東京(全国区)に進出してきて、ちらほらと話題を集めていきます。
そんな話題を集めつつあった沖縄アクターズスクールから、初めて東京に送り出されたアイドルグループが『SUPER MONKEY’S』だったのです。
その後、沖縄アクターズスクールからは『SPEED』、『D&D』、『Folder』、『y’z factory』などのグループが多数東京に進出し日本の芸能界を席巻するのですが、その元祖かつ筆頭が『SUPER MONKEY’S』ということになります。

SUPER MONKEY’Sはアイドル?

安室奈美恵やMAXにはあまりアイドルとしてのイメージはなく、アーティスト的なイメージが強いかもしれませんが、デビュー当時はがっつりとアイドル活動を行っていました。
アイドルとしてテレビ番組にも多数出演していましたし、本人たちが出演し主題歌も歌ったロッテのアイスやガムのCMはとてもアイドル要素の強いものでした。
私からすると、『SUPER MONKEY’S』は完全にアイドルであり、アーティスト路線のほうがよっぽど受け入れられない心境です。
このような話をしても、『SUPER MONKEY’S』を知らない世代の人は、

安室奈美恵はグループの中でもアイドル的ではなかったのではないか?
事務所などに無理やりアイドルをやらされていただけなのではないか?

などと考える人もいることでしょう。

しかし実態は全く違い、安室奈美恵こそがアイドルそのものだったのです。
安室奈美恵は小学6年生の素人時代に、ちびっこカラオケ大会のようなテレビ番組で初めて人前で歌を披露するのですが、そのとき歌った歌は岩井由紀子(おニャン子クラブ)のセカンドシングル『-3℃』です。
当時はアイドル歌謡全盛の時代なので、この手の番組でアイドルの歌を歌うことは理解ができますが、よりによって岩井由紀子の歌、しかもファーストシングルの『天使のボディーガード』ではなくセカンドシングルの『-3℃』を歌うのは、超がつくアイドル好きでしかあり得ない選択と言えます。
しかも『-3℃』を歌った際の番組の放送は1989年8月1日で、おニャン子ブームなどとっくに終わっていたにもかかわらずです。(おニャン子クラブの解散は1987年9月20日)
この事実は、安室奈美恵自体がアイドル志向の強い考えをもっていたという証拠と言えるのではないでしょうか?

そして、後に『SUPER MONKEY’S』のメンバーとなる沖縄アクターズスクールの人たちは、この安室奈美恵の番組出演に衝撃を覚えたそうです。
なぜなら、当時の安室奈美恵はスクール内でも目立たない暗いイメージの子だったらしく、そんな安室奈美恵がテレビに出演してニコニコスマイルを振りまきオリジナルダンスでアイドルの曲を歌っていたわけですから、当時の安室奈美恵を知る人々にとっての衝撃はかなりのものだったと推測されます。

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初ヒット曲『TRY ME 〜私を信じて〜』

そんなアイドルとして活躍していた『SUPER MONKEY’S』ですが、アイドル冬の時代と言われた当時の状況もあってか、なかなか苦戦を強いられていました。
デビューからCM出演が続くなどメディア露出は多いのですが、如何せんCDの売り上げが全く奮わないのです。
オリコン最高チャートは、デビューシングル『恋のキュート・ビート/ミスターU.S.A.』の29位以降、68位→67位→137位と、4thシングルでは100位以下までランクが下がり、グループを継続することも困難な状況に陥ってしまいました。
そんな危機迫る中で、5thシングル『TRY ME 〜私を信じて〜』が1995年1月25日に発売されます。
結果、初週のオリコンチャートは49位と前作より大幅アップするものの、周囲を満足させるまでには至りませんでした。

しかし、ウインタースポーツショップのCMソングに使用されたこともあってか、『TRY ME 〜私を信じて〜』はスキー場などで繰り返し流され若者の間で徐々に話題となっていきます。
オリコンチャートもみるみる上昇し、最終的には8位を獲得、総売上70万枚を超す大ヒットとなりました。

安室奈美恵の独り立ちとMAXの結成

このようにヒット曲にも恵まれた『SUPER MONKEY’S』でしたが、この曲を最後に安室奈美恵が独り立ちすることになりました。
『TRY ME 〜私を信じて〜』の売れ始めるのがもう少し早ければ結果は違ったのか、それとも既に決定していたことなのかはわかりませんが、唯一のヒット曲がグループとしてのラストソングになってしまいました。
そもそも『SUPER MONKEY’S』は安室奈美恵がメインボーカルとして目立っていたグループで、更に時代が経つごとにその傾向が高まっていたので、安室奈美恵が独り立ちする未来は変わらなかったのかもしれません。
そして残ったメンバーはしばらくした後『MAX』を結成し、『SUPER MONKEY’S』は安室奈美恵とMAXの2組のアーティスト※に分かれて活動することとなります。(といっても、しばらくは安室奈美恵のバックダンサーとしてMAXメンバーは活動していた)

※この頃は既にアイドルではなくなっていた。

SUPER MONKEY’Sの名前遍歴

『SUPER MONKEY’S』は、安室奈美恵とMAXに分かれるまで、名前が何度も変わっていますので、以下で説明していきます。

スーパーモンキーズスペシャル

これは、デビュー前に活動していた沖縄アクターズスクール内での名前で、当時はメンバーも多数いた模様。

SUPER MONKEY’S

メンバー:安室奈美恵、天久美奈子、澤岻奈々子、新垣寿子、牧野アンナ

【概要】
上記のスーパーモンキーズスペシャルから選抜された5人で結成されたメンバーで、東京に進出してCDデビューを果たす。

SUPER MONKEY’S4

メンバー:安室奈美恵、天久美奈子、澤岻奈々子、新垣寿子

【概要】
上記から牧野アンナが抜けてメンバーが4人に減ったので改名。

安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S

メンバー:安室奈美恵、天久美奈子、澤岻奈々子、新垣寿子、(松田律子)、(宮内玲奈)

【概要】
4thシングルの『PARADISE TRAIN』以降、安室奈美恵をメインボーカルにする形にして改名。
途中で新垣寿子が脱退し、松田律子と宮内玲奈が加入する。

SUPER MONKEY’Sのメンバー

結成メンバーで最終メンバー

安室奈美恵

生年月日:1977年9月20日
ソロデビュー日:1995年4月26日(太陽のSEASON)

【人物】
メインボーカル。
イギリス人の血が1/4入ったクォーター。

【ホームページ・SNS】
Youtube:Namie Amuro

天久美奈子

生年月日:1977年12月29日
ソロデビュー日:-

【人物】
後のMinaでMAXメンバー。

【ホームページ・SNS】
Instagram:mina_1977

澤岻奈々子

生年月日:1976年3月25日
ソロデビュー日:-

【人物】
後のNanaでMAXメンバー。
2代目リーダー。

【ホームページ・SNS】
ブログ:Cafe nana-cha
Twitter:@MAX_NANA_

途中脱退した結成メンバー

新垣寿子

生年月日:1977年8月8日
脱退時期:5thシングル『TRY ME 〜私を信じて〜』発売前
ソロデビュー日:-

【人物】
脱退後に沖縄アクターズスクールのインストラクターに就任した後、振付師として活躍。
近年は同じ『SUPER MONKEY’S』脱退組の牧野アンナと共にAKB48グループ関連の仕事をよくこなしている。

【ホームページ・SNS】
ホームページ:公式ホームページ
ブログ:新垣 寿子(振付師)のブログ(更新停止)
Twitter:@hisako88arakaki
Instagram:hisako88arakaki

牧野アンナ

生年月日:1971年12月4日
脱退時期:2ndシングル『ダンシング・ジャンク』発売前
ソロデビュー:1987年1月21日(Love Song 探して)

【人物】
『SUPER MONKEY’S』初代リーダー。
沖縄アクターズスクールの校長・マキノ正幸の娘で、更に家系を遡れば日本映画の父『牧野省三』の曾孫。
『SUPER MONKEY’S』デビューの5年半前に沖縄アクターズスクールから初のソロデビューしているにもかかわらず、グループ内では安室奈美恵のバックダンサー的な扱いとなり、結果すぐにグループを脱退してしまう。
在籍時は他のメンバーがトラウマになるほど厳しかったとのこと。
『SUPER MONKEY’S』脱退後、沖縄アクターズスクールのインストラクターに就任、近年は振付師としてAKB48の活動に深く関わることとなる。
ちなみに、社会的な話題となったゲーム『ドラゴンクエストII』(ペルポイの町)に登場している。Σ(゚Д゚)

【ホームページ・SNS】
ブログ:from Anna
Twitter:@lovejunx210
Instagram:annamakino

追加メンバー

松田律子

生年月日:1977年2月26日
ソロデビュー日:-

【人物】
後のLinaでMAXのメンバー。

【ホームページ・SNS】
ブログ:Lips
Instagram:xxlina_now

宮内玲奈

生年月日:1978年1月6日
ソロデビュー日:-

【人物】
後のReinaでMAXのメンバー。
安室奈美恵とは中学生時代の同級生。

【ホームページ・SNS】
ブログ:えめふぃ~ゆ
Instagram:reina017max

幻のメンバー

中曾根梨乃

生年月日:1977年7月25日
加入時期:1stシングル『恋のキュート・ビート/ミスターU.S.A.』発売後
脱退時期:2ndシングル『ダンシング・ジャンク』発売前
ソロデビュー日:-

【人物】
短期間だけ加入していた幻のメンバー。
同じ沖縄県出身で、同じようなダンスを仕事をしている同世代同姓同名(漢字も一緒※)の人物がいるが“別人であるとされている”。

※そもそもSUPER MONKEY’Sの『ナカソネ リノ』は仲宗根梨乃という名前であり、“中曾根梨乃”という漢字がどこから出てきたのかもよく分からない。

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女優・安室奈美恵

安室奈美恵と言えば歌手のイメージしかないでしょうが、活動初期はそれなりに女優活動を行っており、

1993年1月11日~3月15日放送の『いちご白書』(小田茜、辺見えみりと共に主要キャストの1人)
1994年2月19日~3月19日放送の『時をかける少女』(主演した内田有紀の妹役)

などのドラマに『SUPER MONKEY’S』在籍当時出演していました。
こういった安室奈美恵の女優活動に対し、沖縄アクターズスクールの代表であるマキノ正幸などは不満を持っていたそうで、おそらくその気持は安室奈美恵も同じだったのではないかと思います。
結果、安室奈美恵の女優活動はソロデビューして1年程で終了となり、本格的なアーティストへの道に進みます。

アイドルからアーティストへ

1980年代は、アイドルが本格的なアーティストへと移行する例はほとんどなかったのですが、1980年代終盤には、

工藤静香
森高千里
渡瀬マキ

などのアイドルが本格的なアーティストへ移行していきます。
しかし、アイドル時代に売れてそのままアーティスト路線へ移行した工藤静香を除き、森高千里は売れてからもアイドル的要素が強かったですし、渡瀬マキはアイドル時代がほとんどないに等しいぐらいの活動しかしておらず、この時期はまだまだアイドルから本格的なアーティストへの移行は珍しいものでした。
こういった状況が変わってくるのが1990年代中盤以降で、この時期からはアイドルからアーティストへの移行が本格化します。

浜崎あゆみ
持田香織
華原朋美

などは、アイドル時代を完全に払しょくする形でアーティスト活動を行い、見事シングル曲でミリオンセラーを達成しています。
1990年代後半は、このような元アイドルの女性アーティストが次々と誕生した時代でした。
そして、その先駆者的存在が安室奈美恵なのです。
安室奈美恵は、1995年4月26日に『太陽のSEASON』でソロデビューをすると、4曲目のシングル『Chase the Chance』で見事オリコン1位を獲得し、トップアーティストの仲間入りをします。

そして『SUPER MONKEY’S』の凄いところは、安室奈美恵以外のメンバーも活躍したことです。
通常、グループの主力が1人立ちして残されたメンバーは、大きなヒットもせずに消えていくのが芸能界の常識でしたが、安室奈美恵は以外の『SUPER MONKEY’S』メンバーで結成された『MAX』は見事に成功を遂げます。
MAXは6枚目のシングル『Give me a Shake』でオリコン1位を獲得、アルバムではミリオンセールス達成、日本レコード大賞のノミネート(1997年:Give me a Shake)など、1990年代後半に大活躍しました。

しかし、なぜ『SUPER MONKEY’S』のメンバーは1人立ちした安室奈美恵も、残ったメンバーで結成されたMAXも売れたのでしょうか?
当然、彼女たちの能力が高かったということもありますが、それだけでは説明のつかない部分も多々あり、そこには1990年代特有の時代背景があるので少し説明します。

1990年代の中ごろに差し掛かると、1980年代から続いたアイドル文化の衰退は顕著になっていき、アイドル達の活躍の場がなくなっていきます。
一方で、レコードからCDへと音楽媒体が変わった1990年代は、CD文化が花開き(例えば車の中で聴く音楽がカセットからCDに変わるなど)、圧倒的にCDが売れた時代でした。
こういった状況から、1990年代前半にアイドルとして活躍した人たちが芸能界に溢れ出て、1990年代中盤以降にアーティストへ移行するということが頻発するのです。

こういった時代の波にうまく乗ったのが、安室奈美恵でありMAXであったというわけです。

実はアイドルグループ出身の有名芸能人たち!
現在活躍する女性芸能人の中には、世間的にはあまり知られていないものの、実はアイドルグループ出身だったという人がかなり存在しています。 特にアイドル文化が衰退し、グループ型のアイドルが多くなっていた1990年代のアイドルに、このケー...

解散後も行動を共にした安室奈美恵とMAX

安室奈美恵がソロデビューした当初、MAXのメンバーはSUPER MONKEY’Sとして、安室奈美恵のライブやテレビ番組にダンサーとして参加していました。
またテレビ番組でも、

『夜もヒッパレ』
『アムロ今田きっとNo.1』

などに安室奈美恵とMAXはレギュラー出演しており、彼女らが一緒にいることは『SUPER MONKEY’S』時代とそう変わらない状況でした。
もちろんMAXのメンバーには、安室奈美恵が1人立ちすることへの不満や確執も大なり小なりあったでしょうが、このように同じ番組に出ていたぐらいですから、そこまで関係性が悪化しているようなことはなかったと思われます。

安室奈美恵のその後

安室奈美恵のその後の活躍は、もはや説明するまでもないでしょう。
代表曲『CAN YOU CELEBRATE?』は、女性ソロアーティストのシングルとして歴代最高記録の売り上げで、シングル総数でも浜崎あゆみに次ぐ2位の記録(記事投稿時)を誇っています。

安室奈美恵は、ソロに移行してすぐ(もしくはその少し前)から人気が爆発し、コギャルのカリスマとしてアムラー現象を引き起こします。
更に1996年にはソロアーティストとして歴代最年少でレコード大賞を受賞し、翌年も同賞を獲得、その他にも、

各世代別(10代から40代)のオリコン1位獲得
シングル曲のオリコンTOP10入り連続年数(24年)

などの記録も保持しており、国民的なスターへと駆け上がっていくのです。
※個人的な意見を言わせてもらえば、アイドル的な要素を完全に失ってしまった安室奈美恵に対しそこまで興味を持てなかったので、世間での関心が上がるほど自分の関心は下がるという不思議な感覚で見ていました。

結婚・妊娠以降の安室奈美恵はCDの売り上げも低下していき、かつてのような人気もなくなりますが、00年代後半には再評価され若い世代にも支持されます。
そして2018年9月16日に引退し、このことはファンに関わらず日本全体で(海外でも)大きな話題となりました。

プライベートの安室奈美恵は、20歳でtrfのダンサーであるSAMと結婚し、同じく20歳での出産を経験するも24歳で離婚、子供の親権もSAMが持つこととなります。(その後、子供の親権は安室奈美恵に移る)
更に産休明け間もない21歳のときには、実の母親が親族に殺害されるという衝撃的な出来事も起こり、芸能界での成功と反比例するように順風とは言えないような人生を歩んでいきます。
このようなこともあってか、安室奈美恵は歌を歌う以外に人前でしゃべることはほとんどなくなってしまいました。

シングル売り上げランキングから女性アイドル界を読み解く
今回は、20世紀(1970年代から1990年代)の女性アイドルにおける、シングルレコード/CDの売り上げランキングから、当時のアイドル界の様子を考えていきたいと思います。 まずは、以下で示す20世紀の女性アイドルのシングル売り上げ...

MAXのその後

一方のMAXは、安室奈美恵がソロデビューして以降、一時期は宙ぶらりんの状況となり、1995年5月10日に『恋するヴェルファーレダンス 〜Saturday Night〜』というかなりふざけた企画物CDのような曲でデビューします。
実はMAXはこれで終わる予定だったのです。
MAXという名前も、今考えればとってつけたような名前と言えるでしょう。(私は当時からMAXという名前に強い違和感を感じていましたが)

その後しばらく様子見で活動を続け、3rdシングルの『TORA TORA TORA』がスマッシュヒットとなり、その後もヒット曲が続きます。(『TORA TORA TORA』がヒットしなけらば解散する予定だった)
勢いに乗ったMAXは、上記した通りオリコン1位獲得やアルバムでのミリオンセラーを達成したほか、

主演映画の公開(麗霆゛子 レディース!!MAX )
主演ドラマの放送(スウィートデビル)
自身がMCを務めるTV番組の放送(daiba:ba)
写真集の発売(collection)

などと人気を極めていきます。
当時、既に近づきがたいような存在になっていた安室奈美恵に比べ、MAXは圧倒的に親しみやすい存在で、安室奈美恵よりMAXのほうが好きという人はざらにいました。

その後、セールスが落ち込んできた時期にメンバーのMinaが妊娠してグループを脱退し、メンバー間に亀裂が入ります。
更に新メンバーAKIを迎え入れますが、それは当然ファンが望む形ではなく、新メンバー・旧メンバー共にストレスを感じる活動になっていったと予想され、結局新メンバーAKIは短期間で脱退することになります。

そんなこんなでいろいろあったMAXですが、現在はMinaが復帰し4人体制に戻り、2019年現在も活動を続けています。
最近はちょっと面白味のある楽曲を多く発表し、これは同時期に活躍した同じ沖縄アクターズスクール出身の『DA PUMP』の『U.S.A.』と同じ路線なので、一歩間違えば?MAXからも大ヒット曲が生まれるかもしれません。(;^_^A

私の好きなSUPER MONKEY’S楽曲

私が好きなSUPER MONKEY’Sの楽曲は、

PARADISE TRAIN』と『愛してマスカット

です。
この2曲は、ロッテのマスカット味のガムのCMでヘビーローテーションされていました。

MAXの楽曲では、

Kiss me Kiss me, Baby

がお気に入りです。
MAXのそれ以降の楽曲や安室奈美恵の楽曲は、アーティスト路線に入ってからの楽曲ということで私の管轄外になりますが、強いてあげるなら安室奈美恵の『SWEET 19 BLUES』が好きです。

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安室奈美恵のMV(公式)

安室奈美恵のMVは非公開となりました・・・

MAXのMV(公式)

MAXの動画(個人チャンネル)

クイズ

只今制作中・・・
少々お持ちください。m(_ _)m

アンケート

2023年4月、ブログのリニューアルに伴いアンケートを新しいものに差し替えました。
投票数はリセットされているので、過去に投票した人も再びの参加をお待ちしております。
※60組以上から選択可能な本格的なアンケートは『こちらのページ』から!
20世紀を代表するアイドルグループと言えば?(簡略版)

選択肢が足りない(増やす)
完全版へGO!
※こちらのアンケートは簡略版です。以下で示す『完全版』が本番のアンケートになりますので、そちらでの投票もお願いします。

※その他のアンケート・人気投票は『アンケート記事の一覧』から!

ホームページ・SNS

【安室奈美恵】
Youtube:Namie Amuro
※引退に伴いYou Tube以外のサイトは閉鎖(後にYou Tubeも閉鎖)

【MAX】
ホームページ:レコード会社
X(旧Twitter):@MAX_4_official
Instagram:max_staffofficial
You Tube:MAX THE BOMB【MAX】MTB まっく素のて〜げ〜ちゃんねる
その他:Facebook

※その他個人のSNS等は各メンバーの項目で記載済み

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【更新履歴】
2019年09月25日:記事の作成
2020年10月16日:“初ヒット曲『TRY ME 〜私を信じて〜』”の項目を追記
2023年02月27日:SNS情報の記載、動画の埋め込み
2024年01月04日:オススメ商品の削除、埋め込み動画の一部削除

コメント

  1. エル より:

    初めまして!SUPER MONKEY’Sについてコメントさせて頂きます。
    このグループは少し複雑なので説明させて頂きますが、初ヒットの「TRY ME」を最後に安室奈美恵が独立し、SUPER MONKEY’Sの4人はバックダンサー化したと思われがちですが、次のシングル「太陽のSEASON」、その次の「Stop the music」はCDの裏ジャケットには「安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S」とクレジットされ、出演していた歌番組でもこの名義で出演しており、小室プロデュース第1弾の「Body Feels EXIT」でも一部の番組でこの名義が使用されており、安室さんも「私たちのニューシングル」という言い方をしていた。
    ライブの方も1996年9月1日の千葉マリンスタジアムの公演までグループ名義で行われており、実際はこのライブまでは完全分離はしていませんでした。
    なので厳密に言うと、「安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S」という本体グループがあり、その中で「安室奈美恵」というソロプロジェクト、「MAX」という内部ユニットで活躍していたということになります。

    • エル より:

      追記
      「Body Feels EXIT」、「Chase the Chance」でのMステ出演のビデオを確認しましたが、「安室奈美恵」名義ですが5人揃って登場し、タモリさんとのトークも5人で行っています。
      なお、前年の「PARADISE TRAIN」から既に安室さんのソロボーカルだったので、ここから「Chase~」までは体制は変わらなかったことになります。
      ですが、5人で活動している中でソロ名義で出演していたのは、MAXの4人の心境は複雑だったでしょうね。

  2. そういった経緯もあり、私は今でも『MAX』のことを『SUPER MONKEY’S』と呼び、メンバーも『○ナ』ではなくフルネームで呼んでいます。(;^_^A

  3. エル より:

    返信ありがとうございます!!
    この記事の「安室奈美恵の独り立ちとMAXの結成」、「解散後も行動を共にした安室奈美恵とMAX」という長目ですが、安室さんは上記に書いた通り96年9月まで独り立ちしていないことと、MAXがブレイクした後も「安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S」というグループは存続していたので、SUPER MONKEY’Sファンとしては事実を書いて頂けたら光栄ですm(_ _)m

  4. エル より:

    お久しぶりです。何度もすみませんが、こちらのサイトは規模が大きい為、観ている方の誤解を招くため、正しい情報を書いて頂きたくて再度コメントさせて頂きました。
    「解散後も行動を共にした安室奈美恵とMAX」という長目がございますが、スーパーモンキーズのwikiにも書いてある通り、安室さんのソロ名義になってからもグループは解散していません。
    ソロ名義になったと言われている「太陽のSEASON」、「Stop the music」もCDの表面は安室さんの単独ですが、裏ジャケットには「安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S」と記載されており、歌番組でもこの名義で出演していたため、安室さんの名前を前面に出していますが、実はグループとしての楽曲なのです。
    小室さんのプロデュースになってからも、1995年のレコード大賞でも「安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S」とクレジットされて出演してますし、96年9月のライブまで「安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S」として行っています。つまり、96年の9月まで「安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S」というグループは存続しているわけです。
    「安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S」という本体グループがあり、「安室奈美恵」というソロプロジェクト、「MAX」という内部ユニット で活躍していた、というのが正解です。
    訂正をお願いしたいですm(_ _)m

    • 安室奈美恵が『SUPER MONKEY’S』からいつ独立したかについて、明確な答えはないと思われます。
      おそらく本人たちや周辺のスタッフですら時期の特定はしていない(出来ない)はずです。
      確かに1996年夏のコンサートまで安室奈美恵とMAXメンバーは活動を共にする機会が多く、1つのグループとしても機能していたかもしれません。
      しかし、これが『安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S』という1つのグループとしての活動なのか、『安室奈美恵』というソロシンガーと『SUPER MONKEY’S』というダンサーグループそれぞれの活動なのかという判断は誰にも出来ないかと思います。

      そもそも『安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S』という名前自体が1つのグループを表しているのか曖昧な部分があり、人によっては『SUPER MONKEY’S 4』から『安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S』に改名した1994年の時点で、既に『安室奈美恵』は『SUPER MONKEY’S』から独り立ちしていたと考える人がいても何ら不思議ではありません。
      CDジャケットも、『TRY ME 〜私を信じて〜』までは大きさの違いはあれどメンバー全員で表ジャケットに写っていたのに、『太陽のSEASON』からは安室奈美恵が表ジャケットに大きく載り、他のメンバーは裏ジャケットに小さく載るだけになっているので、この時点でグループ内に大きな変化があったことは明らかです。
      特にレコード会社がエイベックスに移ってから(『Body Feels EXIT』以降)は、CDジャケット上、完全に安室奈美恵のソロ名義になっているので、さすがにこの時点で安室奈美恵は『SUPER MONKEY’S』から独立していたと個人的には考えています。

      『ミュージックステーション』で『Body Feels EXIT』や『Chase the Chance』を披露する際に、5人揃ってトークをしていたとの話ですが、、NHKの『ポップジャム』では、トークを安室奈美恵が1人で行い歌を披露する際に5人揃っているというパターン(MAXメンバーは完全なバックダンサー扱い)もありました。
      『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』では、『Stop the music』(エイベックス移籍前の最終シングル)の時点で5人揃っているのに『安室奈美恵』として紹介されたりもしていました。
      以上のようにメディアの対応もまちまちで、『太陽のSEASON』(1995年4月26日発売)から『Chase the Chance』(1995年12月4日発売)の活動までは、『安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S』というグループがかなり曖昧な状態であったことが伺えます。

      1996年の夏まで『SUPER MONKEY’S』が存在していたことは間違いありません。
      しかし、この『SUPER MONKEY’S』に安室奈美恵が含まれるかどうか(『安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S』なのか)について、明確な決まりはないものと思われます。
      私個人としては、安室奈美恵のCDに『SUPER MONKEY’S』の名前が載らなくなった時点で、安室奈美恵は『SUPER MONKEY’S(安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S)』から完全に独立したと考えているわけです。
      エルさんは、『安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S』という大元のグループがあって、安室奈美恵とMAXがそれぞれ別の活動をしているという考えなのかと思いますが、私は『安室奈美恵』というソロ歌手と『SUPER MONKEY’S』という安室奈美恵専属のバックダンサーグループがおり、『SUPER MONKEY’S』が通常の芸能活動する際は『MAX』と名乗っているという認識をしています。
      実際に安室奈美恵は1996年に行われた自身のコンサート(安室奈美恵とMAXメンバーが一緒に活動した最後のコンサート)で、MAXメンバーを『SUPER MONKEY’S』と呼んでステージに呼び込んでいるのですが、明らかに自分とは別のグループを呼んでいるような感じで、安室奈美恵自身も自分がこの時点で『安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S』のメンバーであるという認識をしていないように感じました。

      このときのコンサート名は『SUMMER PRESENTS ’96 AMURO NAMIE with SUPER MONKEY’S』であるため、『安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S』がこの時点でも存在しているように感じますが、『〇〇 with 〇〇』という言葉は普通の英語としても使うものなので、『安室奈美恵』と『SUPER MONKEY’S』は別々であるという考えも普通に出来ます。
      安室奈美恵の『SUPER MONKEY’S』からの独立は、ある日突然100から0になったわけではなく、徐々に100から0へと移行していったものと考えられます。
      エルさんは0になるまでは『安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S』という1つのグループが存在していたとの考えなのでしょうが、その考えは人それぞれであり、場合によっては100から99になった時点で既に『安室奈美恵』は『SUPER MONKEY’S』から独り立ちしていたと考える人もいるかもしれないのです。

      以上がコメントに対する答えであり、検討の結果、記事本文の修正はしない判断を下しました。

      • ちなみに、『THE夜もヒッパレ』に安室奈美恵が出演していたのが1997年6月まで(MAXは1999年3月まで)で、『アムロ今田きっとNo.1』の放送期間は1996年10月から1997年9月までですので、『SUPER MONKEY’S』が完全に解散(グループ消滅)した後も安室奈美恵とMAXメンバーがTV番組で共演していたことになります。
        ですので、『解散後も行動を共にした安室奈美恵とMAX』というタイトルに間違いはないと思っております。

        • 安室零 より:

          横やり失礼します。😅
          安室奈美恵がソロになった時期は確かに曖昧だった覚えがありますね。ただ安室奈美恵とスーパーモンキーズはいつの頃からか別物と考えていた記憶があります。自分も管理人さんと同じくスーパーモンキーズがMAXに名前を変えた感覚で記事に違和感はなかったですよ。👍

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