小室プロデュース最後のヒットアーティスト『鈴木あみ』

鈴木あみ/鈴木亜美プロフィール

90年代アイドルの鈴木あみ

生年月日 1982年2月9日
芸能界入り 『ASAYAN』ボーカリストオーディション・ファイナル
出世作 テレビ番組『ASAYAN』(1998年2月)
CDデビュー 1998年7月1日(love the island)
主要音楽祭受賞歴
(最優秀新人賞)
主要音楽祭受賞歴
(大賞)
ゴールデン・アロー賞
受賞歴
主要映画賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
ドラマアカデミー賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
2000年10~12月新人俳優賞(深く潜れ〜八犬伝2001〜)
紅白歌合戦出場回数
(2023年まで)
3回
代表曲
()内はオリコン最高順位
98年:love the island(5位)
98年:alone in my room(3位)
98年:all night long(2位)
98年:white key(2位)
99年:Don’t leave me behind(3位)
99年:BE TOGETHER(1位)
99年:OUR DAYS(1位)
00年:THANK YOU 4 EVERY DAY EVERY BODY(1位)
他多数

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目次

鈴木あみはASAYAN出身!

鈴木あみは、当時人気を誇っていたテレビ東京のオーディション番組『ASAYAN』の出身で、番組内でも最高倍率※となる『ヴォーカリストオーディション ファイナル』という名のオーディションでグランプリを獲得し、小室哲哉プロデュースのもと華々しくデビューします。
この時期はASAYAN人気がピークに達していた時期で、鈴木あみはモーニング娘。と共にASAYAN出身者としてとても注目を浴びていました。

※鈴木あみがグランプリを獲得した『ヴォーカリストオーディションファイナル』は応募者総数13,500人、後藤真希が合格した『モーニング娘。第2回追加オーディション』は応募総数約11,000人だったそうです。

アイドルオーディションの一覧とその出身者
1970年から1999年までに行われた、一般人女性を対象としたオーディションや新人発掘型のコンテストの結果(グランプリ、入選者)や著名な落選者などを、この場で一気にまとめたいと思います。 ただし、大学が主催するミス・キャンパスや、...

モーニング娘。との直接対決

テレビ番組とタイアップしたオーディションから選ばれたこともあって好調なデビューを飾った鈴木あみは、その後もASAYANで取り上げられることで注目され人気は向上していきます。
シングルCDはデビュー曲『love the island』の5位を皮切りに、3位→2位→2位→3位→3位と高順位をキープし続けました。
そんな状況の1999年7月14日、7枚目のシングル『BE TOGETHER』が発売されます。(『TM NETWORK』のカバー曲)

実はこの日、鈴木あみとちょっとした因縁のあるグループもシングルCDを発売しています。
それが同じASAYAN出身のモーニング娘。で、このことは同門対決ということでASAYAN内でも大きく取り上げられます。
結果、モーニング娘。の6枚目のシングル『ふるさと』が5位だったのに対し、鈴木あみの『BE TOGETHER』は見事1位を獲得し、鈴木あみの完勝という結果となりました。
以上のことから分かる通り、この時点の鈴木あみは、たった1人でモーニング娘。というグループ全体よりも高い人気を誇っていたのです。

オーディション落選からの大逆転『モーニング娘。』
モーニング娘。プロフィール メンバー生年月日 下記参照 結成日 1997年9月7日 出世作 TV番組『ASAYAN』(1997年) CDデビュー 1997年11月3日(愛の種)※インデ...
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鈴木あみと90年代アイドル

当ブログでは、1990年代の“アイドル冬の時代”を終わらせたのが『モーニング娘。』、特に後藤真希が加入し『LOVEマシーン』が大ヒットした後のモーニング娘。であるという話が何度も出てきます。
これは紛れもない事実ですが、今になって振り返ってみると、鈴木あみもアイドル冬の時代を終わらす一端を担っていたかもしれません。
鈴木あみは小室哲哉プロデュースということで、そこまでアイドル扱いはされませんでしたが、顔は完全にアイドルですし、衣装や明るい性格もアイドルに通ずるものがあります。
つまり鈴木あみはTKサウンドというアイドルっぽくない楽曲を歌いながら、音楽以外の部分はほぼ全てアイドルだったと言っても過言ではないのです。

そもそも鈴木あみをプロデュースした小室哲哉は、日本有数のアイドルオタクでした。Σ(゚Д゚)
以下、小室哲哉とアイドルに関わる出来事です。

・最初の結婚相手はマイナーアイドルグループ『キララとウララ』のキララ
・公然の仲だった華原朋美は元グラビアアイドルの遠峰ありさ
・結成段階からプロデュースしている『dos』にボーカルとして入れたtaekoは元アイドル歌手の西野妙子
・プロデュースした観月ありさ、内田有紀などは当時のトップアイドル
・プロデュースした篠原涼子は元アイドルグループ『東京パフォーマンスドール』出身(東京パフォーマンスドールの曲も一部小室哲哉のプロデュース)
・プロデュースした安室奈美恵は元々アイドル要素の高いグループ(SUPER MONKEY’S)の出身

このように、小室哲哉とは公私共に女性アイドルに近づきたい欲求で動いていた人物であり、そんな小室哲哉がオーディションで選んだ鈴木あみのアイドル要素は高くて当然だったわけです。(;^_^A

90年代のアイドルグループ完全一覧&メンバーまとめ
80年代アイドルは基本的にソロで活動をしていましたが、1990年代に入るとグループ型のアイドルが増え、アイドルグループの全盛期を迎えます。 特に『夕やけニャンニャン』と『おニャン子クラブ』のような、テレビ番組とタイアップされたアイ...

小室ブームの終焉

鈴木あみの同期(1998年デビュー)には、後の日本音楽界を変えてしまうほどの衝撃を与えた1人の女性歌手がいます。
それは、言わずもがな『宇多田ヒカル』です。

1998年12月9日に『Automatic/time will tell』でデビューした宇多田ヒカルの音楽的才能は凄まじく、trfから始まった小室ブームをたった1人で終わらせるほどの衝撃を世に与えます。
1996年4月15日付のオリコンシングルチャートでは、小室ファミリーと呼ばれた小室哲哉プロデュースのアーティストが1位から5位まで独占していますが、その5組が宇多田ヒカルデビュー後にどうなったかをまとめてみました。

アーティスト宇多田ヒカルデビュー後のシングル状況
安室奈美恵RESPECT the POWER OF LOVE前作まで6曲連続で獲得していた1位の座から2位に陥落
華原朋美as A personこの曲から小室哲哉プロデュースを離れる
globeMISS YOUR BODY前作2位から6位にランクダウン
dos既に解散
TRFJOY既に小室哲哉プロデュースから離れて1年経過

以上のように、宇多田ヒカルのデビュー後には小室ブームを支えてきたアーティストの人気が低下、あるいは既に小室哲哉の元を離れている様子が分かります。
安室奈美恵は既に結婚・出産した後でしたが、小室哲哉自身も参加し高い人気を保っていたglobeも宇多田ヒカル登場後は人気が明らかに下がっていきます。
鈴木あみは、このような小室ブームに陰りが出てきた状況でデビューしており、そういった意味では小室哲哉がプロデュースした最後のヒットアーティストと言えるのかもしれません。

デビューアルバム700万枚の衝撃『宇多田ヒカル』
前回まで、SUPER MONKEY’S(安室奈美恵、MAX)、SPEED、モーニング娘。と、3回連続で1990年代後半の音楽シーンを席巻したアイドル/アーティストの記事を書いてきましたが、今回はこの時代を語る上で絶対に欠かせない1人...

事務所独立騒動と活動休止

鈴木あみは、デビュー2年が過ぎた2000年末に所属事務所からの独立騒動が起こします。
同年に所属事務所であった『エージーコミュニケーション』の社長が東京地検から告発され、それまで溜まっていた事務所に対する不満が爆発したものと思われます。
その結果、出演が決まっていたドラマ『新・星の金貨』は降板となり、2001年4月以降は芸能活動が休止となってしまいました。

2002年は、7月に写真集(亜美’02夏)の発売、秋に公式サイトの設立、年末に鈴木亜美への改名発表などがあったのみで、表舞台に立つことは1度もありませんでした。
2003年はDVD付き写真集『ami book』が発売されたのみで、この年も表舞台には立っていません。
ようやく芸能活動を再開したのは、2004年4月に写真集とセットという形で新曲を発表したときのことです。
ただしこのときも、所属するレコード会社がないため書籍扱い出来る写真集として新曲を発表しており、まだ芸能活動をすることに制限がかかっている様子が窺えます。

結局、鈴木あみ→鈴木亜美の活動休止期間は3年以上にも及んでしまいました。

芸能界復帰とその後の苦戦

芸能界に復帰しばらく後、エイベックス所属となった鈴木亜美は、復帰直後こそ多少の注目を集め2005年にはNHK紅白歌合戦にも出場していますが、その後はCD売り上げが伸び悩みます。
なにせ19歳から22歳という芸能人としてもっとも輝けるであろう時期に活動休止しているので、その影響は計り知れません。
活動休止期間に小室哲哉サウンドが完全に過去のものになり、自身の出身番組であるASAYANは終了、当時の鈴木亜美は正に浦島太郎状態でした。
世間から事務所独立騒動に巻き込まれた被害者みたいな目で見られた感もあったかと思います。
そんな影響からか、楽曲リリースは2009年10月28日に発売した24枚目のシングル『KISS KISS KISS/aishiteru…』で休止となってしまいました。

鈴木亜美の取り巻く環境において何が“正解”だったかは分からないですが、所属事務所からの独立騒動が鈴木亜美の芸能活動にとって良くない影響を与えたことは間違いないと思われます。

その後の鈴木亜美はまさかの・・・

その後の鈴木亜美は、ファンクラブの会員とバスツアーをするなど、人気を得ていたデビュー当時では考えられないような仕事もこなすようになります。
音楽活動は、巨額詐欺事件で執行猶予となったかつての恩師・小室哲哉の音楽が歌番組で特集される際に歌を披露することなどはありましたが、それ以外の音楽活動は限定的あるいは小規模なものとなっていきました。

そんな鈴木亜美も2016年には結婚・出産をして、他の女性芸能人と同じく表舞台から次第にフェードアウトするのかと思いきや、なんと2021年1月にYouTuberとしてデビュー(チャンネル名:あみーゴTV)を果たします。
しかも、かつての歌を披露するわけでもなく、激辛料理を食べるという誰も想像しなかったテーマで活動し、それが逆に大きな話題になりました。
2020年以降は新型コロナウイルスによる芸能活動自粛の影響で、かつての女性アイドルたちがYouTubeに続々と参入しますが、苦戦しているケースが多くなっています。
しかし激辛というテーマのもと鈴木亜美のチャンネルはかなり善戦しており、今や鈴木亜美は歌手ではなく激辛女王として人気を馳せています。Σ(゚Д゚)
更にこの激辛活動?が功を奏したのか、5年振りにオリジナル楽曲(Drip)が発表された他、11年振りの単独ライブも開催されるなど、鈴木亜美は再び世間の注目を浴びるようになっています。

世の中、本当に何が“正解”なのか分かりませんね。(;^_^A

私の好きなあみ〜ゴ楽曲

私が1番好きな鈴木あみの楽曲は、

THANK YOU 4 EVERY DAY EVERY BODY

です。
『THANK YOU 4 EVERY DAY EVERY BODY』は、鈴木あみの11枚目のシングルで小室哲哉ブームが去っていく頃に発表された楽曲です。
今になって聴くと、そんな背景に詞や曲調が合っているような感じがして好きな1曲となっています。

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鈴木亜美の動画(個人チャンネル)

クイズ

只今制作中・・・
少々お持ちください。m(_ _)m

アンケート

2023年4月、ブログのリニューアルに伴いアンケートを新しいものに差し替えました。
投票数はリセットされているので、過去に投票した人も再びの参加をお待ちしております。
※110組以上から選択可能な本格的なアンケートは『こちらのページ』から!
あなたの好きな90年代アイドルは?(簡略版)

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You Tube:鈴木亜美のあみーゴTV

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