高田みづえプロフィール
生年月日 | 1960年6月23日 |
芸能界入り | 『君こそスターだ!』第18代グランドチャンピオン |
キャッチフレーズ | - |
レコードデビュー | 1977年3月25日(硝子坂) |
主要音楽祭受賞歴 (最優秀新人賞) | 1977年日本歌謡大賞放送音楽新人賞 1977年FNS歌謡祭最優秀新人賞 1977年新宿音楽祭金賞 1977年銀座音楽祭グランプリ |
主要音楽祭受賞歴 (大賞) | - |
ゴールデン・アロー賞 受賞歴 | - |
主要映画賞受賞歴 (主演賞、助演賞、新人賞) | - |
ドラマアカデミー賞受賞歴 (主演賞、助演賞、新人賞) | - |
紅白歌合戦出場回数 (2024年まで) | 7回 |
代表曲 ()内はオリコン最高順位 | 77年:硝子坂(9位) 80年:私はピアノ(5位) 83年:そんなヒロシに騙されて(6位) 他多数 |
目次
2、高田みづえは『君こそスターだ!』出身
3、デビュー曲『硝子坂』がいきなりのヒット!
4、デビュー3年目に『私はピアノ』がヒット!!
5、デビュー6年目に『そんなヒロシに騙されて』がヒット!!!
6、大相撲力士・若嶋津との結婚
7、その後と現在の高田みづえ
8、私の好きな高田みづえ楽曲
9、クイズ
10、アンケート
11、ホームページ・SNS
12、関連記事
高田みづえは『君こそスターだ!』出身
高田みづえがデビューする少し前は、日本テレビの『スター誕生!』が大成功した影響で各局がオーディション番組を放送していました。
高田みづえは、その中でも『スター誕生!』に次ぐ人気を誇り、1980年まで放送を続けたフジテレビ系列放送の『君こそスターだ!』の第18代グランドチャンピオンに選ばれ芸能界入りを果たします。
この『君こそスターだ!』は、第1代グランドチャンピオンの林寛子の他、石川ひとみや越美晴らを輩出したことで知られています。

デビュー曲『硝子坂』がいきなりのヒット!
高田みづえは、1977年2月25日に発売したデビュー曲の『硝子坂』がいきなりのヒットで、累計31.1万枚という自身2番目の売り上げとなっています。
高田みづえと同期の榊原郁恵(1977年1月1日デビュー)、清水由貴子(1977年3月1日デビュー)の3人は『フレッシュ三人娘』として売り出されましたが、この中でレコードの売り上げは高田みづえが抜群に良く、音楽賞の最優秀新人賞相当の賞も多数獲得している他、デビュー年でいきなりNHK紅白歌合戦にも出場しています。
その後も4枚目のシングルまではオリコン最高10位以内をキープし、翌年もNHK紅白歌合戦に出場しました。

デビュー3年目に『私はピアノ』がヒット!!
以上の好調なデビューを飾った高田みづえでしたが、デビューから3年近くが経つと次第にレコードの売り上げが低下し、1979年にはNHK紅白歌合戦の出場も途絶えてしまいます。
そんな中で出した12枚目のシングル『私はピアノ』(1980年7月25日発売)は、『サザン・オールスターズ』のアルバムにあるカバー曲でした。
デビュー当時のサザン・オールスターズはコミックバンドのような扱いでしたが、1979年3月25日発売の3枚目のシングル『いとしのエリー』で大幅なイメージチェンジを行い、世間から大きな注目を集めるようになっていたのです。
このカバーは見事に成功し、『私はピアノ』は49.3万枚を売り上げる高田みづえ最大のヒット曲となりました。
このヒットを受け1980年にはNHK紅白歌合戦に復帰し、以降は5年連続で出場を続けます。

デビュー6年目に『そんなヒロシに騙されて』がヒット!!!
『私はピアノ』のヒットから3年が経つと、レコードの売り上げは再び低下してしまいます。
そんな中、高田みづえは再びサザン・オールスターズの『そんなヒロシに騙されて』(1983年8月21日発売)をカバーしました。
ただし今回は、サザン・オールスターズの楽曲発表(アルバム発売)から1ヶ月半しか空いていないので、最初から高田みづえが歌うことが決まっていたものと思われます。
このカバーも見事成功し、30.6万枚を売り上げる自身3番目のヒット曲となってます。
以上のように、高田みづえは3年ごとに大きなヒット曲を出すという非常に稀な売上推移をたどるアイドル歌手だったわけです。(;^_^A
大相撲力士・若嶋津との結婚
このように歌手活動を続けていた高田みづえでしたが、1985年2月に同じ鹿児島県出身の大相撲力士で大関の若嶋津との婚約を発表すると同時に、芸能界からの引退も表明します。
同年の6月5日放送『夜のヒットスタジオ』では、高田みづえを送る特別構成の番組が放送され、これをもって高田みづえは芸能界から引退します。
9月に行われた結婚式の様子はテレビで生放送され30.2%の高視聴率を記録するなど、高田みづえの結婚及び引退は、世間でも大きな話題となる出来事でした。

その後と現在の高田みづえ
1987年に引退し親方となっていた若嶋津(松ヶ根親方)が自身の相撲部屋を持った1990年から、高田みづえは部屋の女将としての活動を開始させます。
女将時代は部屋の催し物などで歌を披露する姿が確認された他、小規模ながらに芸能活動を再開させます。
2015年8月には、夏の紅白と呼ばれるNHKの『思い出のメロディー』に出演して生歌を披露し、2016年2月には芸能活動をしている娘のアイリと共に『徹子の部屋』に出演するなど多少活動が盛んになる時期もありました。
若嶋津(名称変更をして二所ノ関親方)が2021年に部屋持ち親方の座を後進に譲ったため、現在は女将を卒業していますが、特に表立った活動はしていないようです。
私の好きな高田みづえ楽曲
私が1番好きな高田みづえの楽曲は、
『私はピアノ』
です。
カバー曲なので当たり前ですが、『私はピアノ』はサザンオールスターズの曲調が強く現れ、サザンファンの私にはとても耳心地の良い楽曲となります。
クイズ
只今制作中・・・少々お持ちください。m(_ _)m
アンケート
2023年4月、ブログのリニューアルに伴いアンケートを新しいものに差し替えました。投票数はリセットされているので、過去に投票した人も再びの参加をお待ちしております。
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