東京パフォーマンスドールプロフィール
メンバー生年月日 | 下記参照 |
結成日 | 1990年4月 |
出世作 | CM『メガネスーパー』(1991年) |
CDデビュー | 1991年7月1日(WAKE ME UP!!) ※アルバム(Cha-DANCE Party Vol.1)は1990年11月21日に発売 |
主要音楽祭受賞歴 (最優秀新人賞) | - |
主要音楽祭受賞歴 (大賞) | - |
ゴールデン・アロー賞 受賞歴 | 1994年新人賞(篠原涼子) 1994年音楽新人賞(篠原涼子) 1994年音楽新人賞(市井由理)※ 2003年放送賞(仲間由紀恵) ※『EAST END×YURI』として |
主要映画賞受賞歴 (主演賞、助演賞、新人賞) | 【篠原涼子】 2018年度報知映画賞主演女優賞(人魚の眠る家、他) 【仲間由紀恵】 ※エランドール新人賞はテレビドラマでの活躍を含んだ俳優賞 |
ドラマアカデミー賞受賞歴 (主演賞、助演賞、新人賞) | 【篠原涼子】 2003年4~6月助演女優賞(ぼくの魔法使い) 2004年4~6月主演女優賞(光とともに…自閉症児を抱えて) 2004年10~12月助演女優賞(マザー&ラヴァー) 2005年4~6月主演女優賞(anego[アネゴ]) 2006年1~3月主演女優賞(アンフェア) 2007年1~3月主演女優賞(ハケンの品格) 2013年4~6月主演女優賞(ラスト・シンデレラ) 【仲間由紀恵】 |
紅白歌合戦出場回数 (2023年まで) | 【東京パフォーマンスドール】 0回 【篠原涼子】 【市井由理 ※『EAST END×YURI』として】 |
代表曲 ()内はオリコン最高順位 | 91年:WEEKEND PARADISE(カップリング曲) 92年:放課後はいつもパーティー(87位) 92年:Romanticに背のびして(カップリング曲)※ 92年:十代に罪はない(64位) 93年:キスは少年を消費する(34位) 93年:ダイヤモンドは傷つかない(34位) 他多数 ※『東京パフォーマンスドール featuring 八木田麻衣』名義 |
目次
2、東京パフォーマンスドールとは
3、波紋を呼んだチーム分け
4、人気アイドルへ
5、東京パフォーマンスドール結成前史
6、主な東京パフォーマンスドール出身者
6-1、最初のフロントメンバー(1軍)
6-2、結成時のメンバー(フロントメンバー以外)
6-3、ライブメンバーからフロントメンバーに昇格した者
6-4、ライブメンバーのまま卒業・退団した者
6-5、メンバー総入れ替え後(第二期TPD)のフロントメンバー
6-6、研修生のまま退団したメンバー
7、東京パフォーマンスドールから生まれたグループ
8、姉妹グループ『大阪パフォーマンス』
8-1、フロントメンバー(結成メンバー)
8-2、その他の主なメンバー(結成メンバー)
8-3、その他の主なメンバー(追加メンバー)
9、2人のミリオンセラー歌手
10、アイドルグループの人気総選挙は東京パフォーマンスドールが元祖?
11、AKB48との比較
12、東京パフォーマンスドールとは何だったのか?
13、その後の東京パフォーマンスドール
14、東京パフォーマンスドールメンバーの名前の話
15、私の好きなTPD楽曲
16、東京パフォーマンス&大阪パフォーマンスドールの動画
17、クイズ
18、アンケート
19、ホームページ・SNS
20、関連記事
東京パフォーマンスドールとは
東京パフォーマンスドールは、新宿から移転してきたばかりの『原宿RUIDO』を拠点に活動したアイドルグループ(パフォーマンスグループ)で、1990年6月9日に初ライブを行います。
結成時のメンバーは井口美津子、川村知砂、木原さとみ、篠原リエ、篠原涼子、柳瀬美穂、米光美保の7人で、分かりやすく言えば今でいうAKB48のような存在でした。
AKB48の公演初日の一般客が7人だったことは今や伝説となっていますが、東京パフォーマンスドールのライブの最低観客数は8人と言われており、変なところで肩を並べています。(;^_^A
波紋を呼んだチーム分け
初ライブ後、東京パフォーマンスドールは何人かのメンバー脱退・加入を行い、1990年12月に1軍(後のフロントメンバー)7人と、2軍(後のライブメンバー、更に『TPD DASH!!』と命名)にチーム分けされます。
1軍(フロントメンバー)に選ばれたのは、
木原さとみ
篠原涼子
川村知砂
米光美保
市井由理
八木田麻衣
穴井夕子
の7人で、以降、一般的に東京パフォーマンスドールとして認識されるのは、この7人に限定されると言っても過言ではありません。(CDジャケットなどもこの7人しか写っていない)
この際に1軍(フロントメンバー)に選ばれなかった結成メンバーの篠原リエは、このチーム分けに不満を感じて脱退してしまいました。(井口美津子と柳瀬美穂は既に脱退していた)
その後、フロントメンバーとなった7人はCMなどに出演するなど人気を集めていき、ライブメンバーとは雲泥の差の扱いを受けます。
人気アイドルへ
その後も東京パフォーマンスドールには多くのメンバーが加入し、当時、テレビ番組とタイアップされていないアイドルグループとしては、異例な大人数グループを形成していきました。
1992年10月3日には、日本テレビの土曜夕方に自分たちをメインとした番組『HYU2』が始まり、一般世間の人にもその名が知れ渡ります。(番組は1993年7月17日で終了)
そして、1993年8月16日・17日には東京武道館、1994年8月7日には横浜アリーナと、大規模な会場でもコンサートを行い、見事にそれを成功させるのでした。
このような東京パフォーマンスドール全体の活動に先んじて、篠原涼子は1991年12月8日に放送開始された『ダウンタウンのごっつええ感じ』にレギュラー出演し、また穴井夕子も『HYU2』開始前からバラエティ番組などにちょくちょく出演していました。
私が東京パフォーマンスドールのことを詳しく認識していくのは『HYU2』からでしたが、篠原涼子は『HYU2』が始まる前に既に有名で他のメンバーと知名度に圧倒的な差があったため、当然のように篠原涼子が東京パフォーマンスドールの大エースとして君臨しているのかと勝手に思っていました。
しかしスケジュールの関係で番組出演が遅れたためか、篠原涼子の『HYU2』内のでの扱いは大きくなく、むしろ他のメンバーのほうが良い扱いを受けていました。(歌唱の際も篠原涼子は端のほうのポジションだった)
特に目立っていたのが穴井夕子です。
そのため、東京パフォーマンスドールは穴井夕子を中心に結成されたグループなのかと思ったのですが、彼女はフロントメンバーの中で1番遅く加入しており、年齢も2番目若いメンバーだったのです。
この事実を知ったとき、私は東京パフォーマンスドールの奥深さを知るのでした。
東京パフォーマンスドール結成前史
東京パフォーマンスドールが『原宿RUIDO』で始めてライブを行ったのは1990年6月9日ですが、実際に東京パフォーマンスドールの歴史は1989年11月19日に行われた『EPIC・ソニー/アンクルF合同オーディション』まで遡ることができます。
このオーディション後に集められたメンバーは、当初、木原さとみと篠原涼子の2人だけだったそうです。
その後、この2人に川村知砂を加え3人で活動していくことが決まるのですが、直前になって3人では少ないという意見が出され7人にすることが決まり、急遽4人のメンバーが集められます。
最初に集められた3人は、『原宿RUIDO』デビュー前に『ゴルビーズ』として1990年5月21日にCDデビューしていることからも分かるように、東京パフォーマンスドールの始まりはかなりごたごたしたものでした。
ちなみに『ゴルビーズ』という名前は、当時のソ連で改革を行っていたゴルバチョフ書記長のニックネームであるゴルビーをもじったもので、アイドル界に革命を起こすという意味があります。
しかし、誰がどう見てもとってつけた名前であることは明らかです。
このような事例からも分かるように、東京パフォーマンスドールはオーディションなどで人を集めて明確に始まったわけではなく、レコード会社の『EPIC・ソニー』と芸能事務所の『アンクルF』が何かを始めようとして、とにかくメンバーを集めて活動し始めたものだったと思われます。
ちなみに、東京パフォーマンスドールがCDデビューするより前にデビューしたソロメンバーやグループ内ユニットは、
1990年 5月21日:ゴルビーズ(JUST LIKE MAGIC)
1990年 6月21日:篠原リエ(愛がすべて)
1990年 7月21日:米光美保(予感)
1990年 8月 1日:木原さとみ(ブギウギ・ダンシング・シューズ)
1990年 8月22日:原宿ジェンヌ(純愛90’s)
1990年11月 1日:川村知砂(誓い)
1991年 1月21日:篠原涼子(恋はシャンソン)
1991年 2月21日:市井由理(恋して女みがいて)
1991年 3月21日:穴井夕子(WE SHOULD BE DANCING)
と、多くの人数及びユニットに渡ります。
これは、AKB48でいうと公演曲を次から次へとシングルCD化するようなもので、東京パフォーマンスドールの活動を支えていたのがレコード会社(EPIC・ソニー)であったという事情も絡んでいるかと思います。
主な東京パフォーマンスドール出身者
最初のフロントメンバー(1軍)
木原さとみ
生年月日:1971年7月4日
加入日:1990年4月(結成メンバー)
卒業日:1995年10月1日
参加ユニット:ゴルビーズ
ソロデビュー日:1990年8月1日(ブギウギ・ダンシング・シューズ)
【人物】
テレビ東京の夕方に放送していたティーンエージャー向け情報番組『少女雑貨専門TV エクボ堂』出身で、1989年に開催された第1回のミスチャンピオンに『鈴木蘭々』と共に準グランプリを獲得(グランプリは、3代目ミニスカポリスの『宮内知美』)。
東京パフォーマンスドールでは年長メンバーだったため自ずとリーダーとなった。
東京パフォーマンスドールのメンバーは、彼女を中心に未だちょくちょく再開しているようで、やめてからのほうがリーダーをしているとの話もある。
【ホームページ・SNS】
ブログ:めざせ!かわ元気ママ 子育て奮闘中!!
Twitter:@satop3103
Instagram:satop0704
篠原涼子
生年月日:1973年8月13日
加入日:1990年4月(結成メンバー)
卒業日:1994年9月1日
参加ユニット:ゴルビーズ、原宿ジェンヌ、UL-SAYS
ソロデビュー日:1991年1月21日(恋はシャンソン)
【人物】
卒業後に歌にドラマに大活躍する。
川村知砂
生年月日:1973年10月23日
加入日:1990年4月(結成メンバー)
卒業日:1995年10月1日
参加ユニット:ゴルビーズ、原宿ジェンヌ、Les,TPD
ソロデビュー日:1990年11月1日(誓い)
【人物】
ダンスが得意な男前メンバーというイメージだが、グループ加入前のダンス経験は一切なかった。
東京パフォーマンスドール卒業後しばらくして芸能界を引退、その後”男性”と結婚した。
後述するラジオ『帰って来たパフォーマンスドール〜TPD Returns〜』に2014年に登場した際は、尋常じゃないぐらいのおばさんキャラになっていました。Σ(゚Д゚)
米光美保
生年月日:1973年5月26日
加入日:1990年4月(結成メンバー)
卒業日:1994年9月1日
参加ユニット:UL-SAYS
ソロデビュー日:予感(1990年7月21日)
【人物】
顔立ちが良く非常に人気の高かったメンバー(個人的な好みを含むw)。
独特の雰囲気があり、また歌唱力が高かったため、コンサートではソロで歌うことが多いメンバーでした。
卒業後もソロ活動を続けたが長続きせずに引退、その後1度復帰するも目立ったな活動はせずにフェードアウト。
現在は地元である広島の動物愛護団体に加入しているようで、動物の殺処分を扱ったドキュメンタリーに出演し一部で話題となった。
市井由理
生年月日:1972年12月20日
加入日:1990年7月
卒業日:1994年9月1日
参加ユニット:ViVA!
ソロデビュー日:1991年2月21日(恋して女みがいて)
【人物】
元『乙女塾』の1期レッスン生。
歌があまり得意でなかったが・・・
八木田麻衣
生年月日:1976年5月15日
加入日:1990年7月加入
卒業日:1995年10月1日
参加ユニット:ViVA!
ソロデビュー日:1991年10月10日(青空のハイウェイ)
【人物】
フロントメンバーの中では最年少の妹キャラだが、実際には長女気質だったらしい。
東京パフォーマンスドールのフロントメンバーが出演したメガネスーパーのCMで流された『Romanticに背伸びして』は彼女の楽曲である。
【ホームページ・SNS】
Instagram:yagitamai
穴井夕子
生年月日:1974年6月7日
加入日:1990年10月加入
卒業日:1995年4月30日
参加ユニット:UL-SAYS、ViVA!
ソロデビュー日:1991年3月21日(We should be dancing)
【人物】
同じオーディション(『ロッテ CMアイドルはキミだ!』オーディション)を受けたことのある『八木田麻衣』がいるということで、たまたま東京パフォーマンスドールのライブ会場に入り、当然のように加入を勧められそのままメンバー入りした。
東京パフォーマンスドールがアイドル路線に向かうきっかけになったメンバーと言われている。
結成時のメンバー(フロントメンバー以外)
篠原リエ
生年月日:1975年6月16日
加入日:1990年4月(結成メンバー)
退団日:1990年12月
ソロデビュー日:1990年6月21日(愛がすべて)
【人物】
東京パフォーマンスドールから初めてソロデビューしてメンバーで、元々芸歴があったらしい。
1軍と2軍のクラス分けで2軍に入れられたことに納得できず、同級生で仲の良かった『仲田薫理』と共に脱退。
井口美津子
生年月日:1969年7月1日
加入日:1990年4月(結成メンバー)
退団日:1990年7月
ソロデビュー日:-
【人物】
元々はダンスを教える立場として集められたが、メンバーが揃わず無理やりメンバー入りさせられる。
人数が揃ったので即脱退。
柳瀬美穂
生年月日:1971年12月29日
加入日:1990年4月(結成メンバー)
退団日:1990年9月
ソロデビュー日:-
【人物】
グループ結成時にスカウトで急遽集められたメンバーだったが、体力の限界を感じ脱退。
ライブメンバーからフロントメンバーに昇格した者
木伏夏子
生年月日:1972年8月21日
加入日:1990年9月
卒業日:1995年10月1日
参加ユニット:ファイヤードールズ、TWO TOPS、Les,TPD
ソロデビュー日:-
【人物】
1994年9月フロントメンバーに昇格。
『市井由理』と同じオーディションを受け(東京パフォーマンスドール関係のないオーディション)、後日2人揃ってに東京パフォーマンスドールへの参加に誘われた。
ライブメンバーのリーダー的存在で、東京パフォーマンスドール卒業後も1年程は『川村知砂+Les,TPD』というユニットでの活動を継続していた。
櫃割香奈子
生年月日:1975年10月1日
加入日:1990年10月
退団日:1995年10月1日
参加ユニット:ファイヤードールズ、TWO TOPS、Les,TPD
ソロデビュー日:-
【人物】
1994年9月フロントメンバーに昇格。
島津志穂
生年月日:1972年3月17日
加入日:1992年1月
退団日:1995年6月
参加ユニット:ファイヤードールズ
ソロデビュー日:-
【人物】
多忙でスケジュールが合わない『篠原涼子』の代わりにフロントメンバー入りし、『篠原涼子』が復帰後はライブメンバーに戻ったが、その後正式にフロントメンバー入りする。
それから10年ほどして名前も生年月日も変わってしまいました。(意味は察してください)
関ひろみ
生年月日:1973年5月7日
加入日:1992年1月
卒業日:1995年10月1日
参加ユニット:ファイヤードールズ、Les,TPD
ソロデビュー日:-
【人物】
1994年9月フロントメンバーに昇格。
ライブメンバーのまま卒業・退団した者
秋山久美
生年月日:1974年2月10日
加入日:1991年8月
退団日:1992年5月30日
ソロデビュー日:1996年8月21日(WILD BLOOD)
【人物】
『第9回ミスマガジン』(1990年)の準グランプリ獲得者。
東京パフォーマンスドール加入前に『桜っ子クラブ』の前身番組『アイドル共和国』内のオーディション『HOP!STEP!とびだせアイドル』に参加している。
中川雅子
生年月日:1976年10月5日
加入日:1991年8月
退団日:1994年9月1日
ソロデビュー日:2015年10月4日(あなたといっしょ/OTONA-REVORUTION)
【人物】
信じられないことに未だに(2019年現在も)アイドル活動をしています!
【ホームページ・SNS】
ブログ:machandoll(更新停止)
Twitter:@nakamako1005
You Tube:中川雅子machako chandoll
大藤史
生年月日:1974年8月17日
加入日:1991年9月
退団日:1994年9月1日
ソロデビュー日:1998年8月21日(季節を抱きしめて)
【人物】
グループ在籍時からシンガーソングライターとして活動し、現在も音楽活動を継続中。
『乃木坂46』などにも楽曲提供を行っている。
【ホームページ・SNS】
ホームページ:公式ホームページ
ブログ:公式ブログ
Twitter:@fumifumioto
You Tube:大藤史 眠れるピアノ弾き語り
岩名美紗子
生年月日:1976年8月20日
加入日:1992年4月
退団日:1993年7月
ソロデビュー日:1996年4月20日(OVER THE TIMES 〜時を超えて)※『MISA』名義
【人物】
後に『桜っ子クラブさくら組』加入。
東亜佐美
生年月日:1974年6月2日
加入日:1993年2月(第2期研修生)
卒業日:1995年10月1日
ソロデビュー日:1995年5月21日(夏がキライ)
【人物】
グループ在籍時からシンガーソングライターとして活動していたが、卒業後は長続きせずに芸能界を引退した。
【ホームページ・SNS】
ブログ:https://ameblo.jp/axis-asami(同一人物??)
佐々木智美
生年月日:1978年10月9日
加入日:1993年8月(第3期研修生)
退団日:1994年2月
ソロデビュー日:-
【人物】
東京パフォーマンスドール退団後しばらくして芸能界を引退したが、2002年に『慈音』と改名し『SkyLight』というバンドのボーカルとなる。
現在もいろいろと活動を行っている模様。
【ホームページ・SNS】
Twitter:@zionwith
メンバー総入れ替え後(第二期TPD)のフロントメンバー
新井雅
生年月日:1980年2月2日
加入日:1993年10月(第3期研修生)
退団日:1996年秋
ソロデビュー日:-
【人物】
メンバー総入れ替え後の新リーダー。
元『南青山少女歌劇団』の出身で、今でも懲りずに踊っているそうです。
【ホームページ・SNS】
Twitter:@miyabi5522
Instagram:miyabi5522
その他:Facebook
徳永愛
生年月日:1977年3月12日
加入日:1994年11月(第5期研修生)
退団日:1996年秋
ソロデビュー日:1999年3月21日(HeartfulCandy)
【人物】
東京パフォーマンスドール解散後、声優に転身し活躍した。
【ホームページ・SNS】
ブログ:とくながあい-Heartful☆Community-(更新停止)
Twitter:@tokunagaai
仲間由紀恵
生年月日:1979年10月30日
加入日:1995年7月(第6期研修生)
退団日:1996年秋
ソロデビュー日:1996年6月24日(MOONLIGHT to DAYBREAK)
【人物】
元々は沖縄のタレント養成所『沖縄タレントアカデミー』の出身で、東京パフォーマンスドール解散後は女優として大活躍。
研修生のまま退団したメンバー
平地礼子
生年月日:1976年9月4日
加入日:1992年11月(第1期研修生)
退団日:?
ソロデビュー日:-
【人物】
後に『宍戸留美』や『水野あおい』などと共に、地下アイドルの創世記を支えた。
1997年7月16日に『コスプレックス』という3人組アイドルグループを結成し『GO!GO!コスプレ』という歌でCDデビューした。
現在は『平地レイ』として活動。
【ホームページ・SNS】
ホームページ:公式ホームページ
ブログ:ひらちれのDIARY(更新停止)
Twitter:@hirachire
清水章代
生年月日:1975年8月26日
加入日:1994年11月(第5期研修生)
退団:1995年10月
ソロデビュー日:1998年10月21日(by name)※
【人物】
後に『晶姫』、更に『maylee』(メイリー)と改名し、『KRUD』というダンスボーカルグループにボーカルとして所属していた。
東京パフォーマンスドール退団後の活躍として顕著なのは、1996年から現在まで続くFM NACK5で放送されているラジオ番組『HITS! THE TOWN』の出演で、帰国子女だった彼女は番組内でとんちんかんな発言を行い人気を集め、1999年10月から2008年3月までの8年半という非常に長い期間出演した。
田中千鶴
生年月日:1977年12月24日
加入日:1994年11月?(第5期研修生)
退団日:?
ソロデビュー日:-
【人物】
後に『うらりんギャル』や『フィーバーズ』などのテレビ番組とタイアップしたアイドルグループなどに加入。
一時期は警視庁立川警察署にも”加入”していた。
【ホームページ・SNS】
ブログ:https://ameblo.jp/chizuru-kizu-nazu/(更新停止)
その他:Facebook
嘉門洋子
生年月日:1980年3月6日
加入日:1995年7月?(第6期研修生)
退団日:?
ソロデビュー日:-
【人物】
グループ卒業後にグラビアアイドルに転身し人気者となる。
その後、女優などとして活動したが仕事は先細りとなり、アダルティな仕事をこなしていた時期もある。
三田佳子家の地下室でも大活躍したとのこと。
吉川春菜
生年月日:1982年4月27日
加入日:1996年3月(7期研修生)
退団日:?
ソロデビュー日:-
【人物】
グラビアアイドルが多数所属する芸能事務所サンズエンタテインメントを経て、現在はものまねタレントとして活動。
一時期流行っていた女子芸能人のフットサルにもよく参加していた。
【ホームページ・SNS】
ブログ:Hal’s Diary
Twitter:@ayuharuna
Instagram:haru0427dearest0801
笛木夕子
生年月日:1979年6月21日
加入日:?
退団日:?
ソロデビュー日:-
【人物】
『笛木優子』に改名した後、韓国に渡り映画やドラマで大活躍した。
現在は日本に帰国して女優として活動中。
【ホームページ・SNS】
ホームページ:所属事務所
ブログ:公式ブログ
Instagram:yukofuekiyumin
鈴木明日香
生年月日:1980年7月11日
加入日:?
退団日:?
ソロデビュー日:-
【人物】
後に『奥村飛鳥』と改名し演劇界で活躍。
【ホームページ・SNS】
ホームページ:笛井事務所(主幹する劇団)
Twitter:@askafeyokumura
竹内リサ
生年月日:1979年7月26日
加入日:?
退団日:?
ソロデビュー日:-
【人物】
後に『涼花リサ』の名で宝塚歌劇団に入団し、雪組の娘役として活躍した。
元アイドルから宝塚歌劇団に加入した例はかなり珍しい。
東京パフォーマンスドールから生まれたグループ
東京パフォーマンスドールは、ソロはもちろん派生ユニットも片っ端からCDデビューしていたため、以下で紹介するグループはAKB48でいうところの劇場公演ユニットのような感じで、本格的にグループ活動をしていないグループも含みます。
Golbies(ゴルビーズ)
メンバー:木原さとみ、篠原涼子、川村知砂
デビュー日:1990年5月21日(JUST LIKE MAGIC)
【概要】
東京パフォーマンスドールが結成される前に集められた3人で、当初はこの3人でデビューする予定だった。
原宿ジェンヌ
メンバー:篠原涼子、川村知砂
デビュー日:1990年8月22日(純愛90’s)
【概要】
フロントメンバーかつ結成メンバーの2人ユニット。東京パフォーマンスドールにおける主要ユニットの1つ。
UL-SAYS
メンバー:米光美保、篠原涼子、穴井夕子
デビュー日:1991年10月25日(BEGIN THE 綺麗)
【概要】
アニメ映画『うる星やつら いつだってマイ・ダーリン』の主題歌を歌ったユニットで、基本的にこの歌のみユニットだった。(3人でラジオをやっていたが『UL-SAYS』としてではなく、東京パフォーマンスドールから選ばれたのが3人だったに過ぎない)
ViVA!
メンバー:市井由理、穴井夕子、八木田麻衣
デビュー日:1993年4月21日(史上最大の誘惑)
【概要】
フロントメンバーの途中加入組の3人で結成したメンバーで、東京パフォーマンスドールでもっともアイドル要素の強いユニット。他の派生ユニットと違い、握手会やインストアライブなど普通にアイドル活動を行っていた。
TWO TOPS
メンバー:木伏夏子、櫃割香奈子
デビュー日:1994年9月21日(恋のイエローカード・パトロール)
【概要】
東京パフォーマンスドールが1軍2軍にチーム分けする前から所属し、1軍入りできずもグループに残り続けた2人で結成したユニット。
Les,TPD
メンバー:川村知砂、木伏夏子、櫃割香奈子、関ひろみ
デビュー日:1995年7月21日(気持ちはING)
【概要】
篠原涼子、米光美保、市井由理が卒業した後に生まれた東京パフォーマンスドール後期のユニットで、1995年10月にメンバーが東京パフォーマンスドールを卒業した後も、櫃割香奈子を除いて『川村知砂+Les,TPD』として1年ほど活動した。
TPD DASH!!
メンバー:木伏夏子、櫃割香奈子、関ひろみ、島津志穂、東亜佐美、中川雅子、大藤史、藤本佐織、篠原礼、名取美穂
デビュー日:1994年4月16日(空に太陽がある限り)
【概要】
東京パフォーマンスドールの人気向上と共に、ライブメンバーにも人気が出てきたため独り立ちさせグループを結成。
今でいえば『乃木坂46』アンダーライブで人気が出たアンダーメンバーに近い。
ファイヤードールズ
メンバー:木伏夏子、櫃割香奈子、関ひろみ、島津志穂
デビュー日:-
【概要】
後にフロントメンバーとなるライブメンバーの主要メンバー4人組で、CDなどは出していないためユニット名も通称でしかない。
姉妹グループ『大阪パフォーマンス』
大阪パフォーマンスドールは、吉本興業が運営した東京パフォーマンスドールの姉妹グループで、1993年8月の東京パフォーマンスドール日本武道館コンサートでお披露目されます。
名前の通り大阪を中心に活動し、コンセプトは『家から通える芸能界』でした。
そして1993年11月1日には、『満月の夜だから/生まれた街のフェンスを越えて』でCDデビューも果たします。
吉本興業所属ということで関西圏では順調に仕事をこなしていた大阪パフォーマンスドールでしたが、東京パフォーマンスドールと合同でコンサートをする際はあまり良い待遇を受けられず、おまけみたいな存在になっていました。
こんな大阪パフォーマンスドールの活動は本家よりも後の1997年まで続くのですが、結局は東京パフォーマンスドールと同じで自然消滅していきます。
フロントメンバー(結成メンバー)
武内由紀子
生年月日:1973年3月19日
ソロデビュー日:1995年10月21日(Ruby 〜 悲しい自由(リバティ)〜)※
※『YUKI from O.P.D』名義、その前に『WEST END×YUKI』として1995年2月22日に『SO.YA.NA』でデビュー。
【人物】
大阪パフォーマンスドールの最年長でリーダー。大阪パフォーマンスドールの中では圧倒的に知名度が高く、グループ解散後もタレント活動を継続中。
【ホームページ・SNS】
ホームページ:所属事務所
※SNSは全て削除されました。(T_T)
稲葉貴子
生年月日:1974年3月13日
ソロデビュー日:-
【人物】
グループ脱退後、ASAYANから生まれた『太陽とシスコムーン』に加入し『ハロー!プロジェクト』の一員となる。1度芸能界を引退したが、2014年に同じ大阪パフォーマンスドールメンバーの古谷文乃と音楽ユニット『Pirit color』を結成。
【ホームページ・SNS】
Twitter:@inaba_atsuko
Instagram:attchu
上田美穂
生年月日:1977年12月14日
ソロデビュー日:1996年11月21日(THIS IS YOUR NIGHT)※『夜空』名義
【人物】
『夜空』と改名しCDデビューするが、現在は引退。
中野公美子
生年月日:1977年3月3日
ソロデビュー日:-
【人物】
後に女優に転身し現在も活躍中。
【ホームページ・Twitter】
ブログ:~「くみこ」は「公美子」です~
Twitter:@nakanokumiko
Instagram:kumikorion
古谷文乃
生年月日:1977年8月6日
ソロデビュー日:-
【人物】
後に『Ayano』と改名し『DRAMATIC BLUE BIRD』という音楽ユニットに参加。
その後、2014年に同じ大阪パフォーマンスドールメンバーの稲葉貴子と音楽ユニット『Pirit color』を結成。
【ホームページ・SNS】
Twitter:@ayano_furutani
その他の主なメンバー(結成メンバー)
津川友美
生年月日:1976年6月14日
ソロデビュー日:-
【人物】
結成メンバー。
1994年3月卒業、『関口宏の東京フレンドパークII』のアシスタントや『進ぬ!電波少年』の“15少女漂流記”などに出演した。
その他の主なメンバー(追加メンバー)
水野由加里
生年月日:1979年11月22日
ソロデビュー日:-
【人物】
第1次追加メンバー。
競馬関連の番組によく出演した縁で、JRA騎手と結婚した。
【ホームページ・SNS】
ブログ:水野由加里のSKY walk
森宏子
生年月日:1978年8月16日
ソロデビュー日:1999年8月25日(my soul love)
【人物】
第2次追加メンバー。
後にグラビアアイドルに転身し、『第2回ミスヤングマガジン』(1997年)でグランプリを獲得。
現在は『森ひろこ』。
【ホームページ・SNS】
ブログ:Hiroko Moriのsugar time(更新停止)
大山ルミ
生年月日:1979年6月24日
ソロデビュー日:-
【人物】
第2次追加メンバー。
後に加入した実妹と共に『大山姉妹』を結成し、大坂のTV番組などに出演していた。
大山恵理乃
生年月日:1981年10月13日
ソロデビュー日:-
【人物】
第3次追加メンバー。
上記の実姉と共に『大山姉妹』を結成し、大坂のTV番組などに出演していた。
2人のミリオンセラー歌手
東京パフォーマンスドールからは2人のミリオンセラー歌手が生まれています。
2人とも個別記事も書く予定なので簡単な説明で済ませますが、1人目は篠原涼子で1994年7月21日発売の『恋しさと せつなさと 心強さと』がダブルミリオンを達成し、1994年のNHK紅白歌合戦に出場します。
2人目は、市井由理で『EAST END×YURI』名義で1994年8月21日発売した『DA.YO.NE』が、1994年末以降に大ヒットしミリオンセールスを達成、1995年2月13日発売した『MAICCA〜まいっか』もミリオンセールスを達成しています。(『MAICCA』のほうが先にミリオンを達成)
そして市井由理は、篠原涼子が出た翌年のNHK紅白歌合戦に『EAST END×YURI』として出場します。
この2人がミリオンセールスを達成した楽曲は、東京パフォーマンスドール卒業後に出した楽曲と思われがちですが、実際は東京パフォーマンスドール在籍時に出した楽曲です。(ただしミリオンセールスを達成した時期は既に卒業している)
2人は同時期にヒット曲を出しているので、歌番組で顔を合わせるようなこともあったことでしょう。
ちなみに、アイドルを問わず2人のミリオンセラー歌手を生んだグループは、現在のところ東京パフォーマンスドールと『黒BUTAオールスターズ』(持田香織、華原朋美)だけですが、同時に活動していたメンバーでミリオンを達成したのは東京パフォーマンスドールが唯一となっています。
アイドルグループの人気総選挙は東京パフォーマンスドールが元祖?
東京パフォーマンスドールはメンバーを1軍と2軍に分けただけでは飽き足らず、フロントメンバーの人気ランキングのようなものも実施しています。
どのような方法でランキングを算出するかというと、フロントメンバー7人のCDを同時に発売し、オリコンランキングで結果を明確にするわけです。Σ(゚Д゚)
これは、今でいうAKB48の選抜総選挙に類似するものと言えるでしょう。
最初に行われたのはアルバムの同時発売で、1993年1月15日に実施されました。
結果は、以下の通りです。
【フロントメンバー アルバム同時発売ランキング】
54位:穴井夕子
57位:米光美保
62位:市井由理
63位:篠原涼子
64位:木原さとみ
67位:川村知砂
68位:八木田麻衣
※タイトルは、全て『○○(メンバー名のローマ字表記) from Tokyo Performance Doll』となっています。
続いて行われたのは、1994年2月2日に行われたシングルの同時発売で、結果は以下の通りです。
【フロントメンバー シングル同時発売ランキング】
54位:穴井夕子(WILD CHILD)
58位:米光美保(あなただけ感じて)
61位:篠原涼子(Sincerely)
62位:八木田麻衣(逢いたい人の名を)
64位:木原さとみ(太陽はくやしがらない)
65位:市井由理(Rainbow Skip)
68位:川村知砂(GET ON IT)
※()内はタイトル
以上の結果を見ると、東京パフォーマンスドールのフロントメンバー人気No.1は穴井夕子で、次いで米光美保となります。
しかし正直どんぐりの背比べで、人気はほぼ横並びと考えて差支えなかったようです。
これ以外にもライブの中で人気投票をする演出があったと思います。
AKB48との比較
当記事における東京パフォーマンスドールの説明の中で、何度もAKB48の話が出てきますが、この2つのグループは時代は違えど数々の共通点が多数あります。
例えば、
大人数の女性アイドルグループ
特定の劇場でパフォーマンスを行う
楽曲ごとに様々なユニットを組む
地方支店グループの存在
メンバー内の人気ランキングの公開
などがその代表例として挙げられ、それ以外にも7人のフロントメンバー(TPD)と神7(AKB48)の存在など数々の共通点があるのです。
しかし、完全に違う点が1つありました。
それはパフォーマンス能力です。
AKB48は、『成長を見せる』や『会いに行ける』をコンセプトに、あまり完成されていない部分をあえて見せ、身近な存在であること売りにしていました。
しかし東京パフォーマンスドールは、名前が示す通り圧倒的なパフォーマンス能力でファンを魅了しました。(歌も基本的に生歌)
ノンストップで行われるライブパフォーマンスは圧巻で、当時バラエティ番組でおバカ系タレント的な扱いを受けることもあった篠原涼子も、ステージの上では別人のような動きを見せていたことを覚えています。
東京パフォーマンスドールとは何だったのか?
1990年代は、1980年代に最盛を誇ったアイドルブームが去り、アイドル文化が崩壊していくわけですが、こういった状況の中で様々な人が“何か新しいこと”をしようと模索した結果の象徴が東京パフォーマンスドールだったと思います。
・メンバーの異様な集め方
・原宿RUIDOでの定期公演
・尋常ではないペースでCD販売※
※1990年から1998年にかけて発表された東京パフォーマンスドール関連の楽曲は、アルバム28枚、シングル86枚で、およそ600曲の楽曲を世に提供した。
などの現象を考えると、東京パフォーマンスドールは今までのアイドルとは明らかに違う何かを求めていたように感じます。
同じ時代に活躍した大人数アイドルグループの『乙女塾』や『桜っ子クラブさくら組』と比べ、東京パフォーマンスドールが斬新だったことは明らかで、旧来のアイドル(80年代アイドル)とは違うものだという感覚は当時から確実にありました。
東京パフォーマンスドールの手法の全てが上手くいったとは限りませんが(CD売り上げは明らかに苦戦していた)、アイドルという巨大コンテンツが廃れいくあの時代において、一石を投じたことは確実だと思います。
その後の東京パフォーマンスドール
東京パフォーマンスドールの終焉は、他のアイドルグループと同じで、初期の主要メンバーが去って人気がなくなり、最終的には自然消滅に近い形で終わってしまいました。
しかし、その後の芸能界で活躍したメンバーもそりなりにいるわけで、東京パフォーマンスドールの活動は十分意味があったと思います。
そして本当のその後はここからで、東京パフォーマンスドールの存在を知らない人も多くなった2013年に、新たなメンバーで第二期東京パフォーマンスドールが復活したのです。(1995年のメンバー一新後の東京パフォーマンスドールを第二期と言う場合もあるので、ややこしくて困るが)
この影響から、初代東京パフォーマンスドールのフロントメンバーである木原さとみと八木田麻衣の最年長と最年少コンビが、2014年からおよそ2年間に渡りインターネットラジオ(帰って来たパフォーマンスドール〜TPD Returns〜)を配信します。
このことについて旧来のファンは当然喜んだのですが、個人的な意見を言わせてもらえば、毎回元メンバーの1人をゲストに呼んで(2本撮りなので2回分同一ゲスト)、最終回に市井由理か篠原涼子が来たら最高に盛り上がったなと思います。
もちろん様々な事情があるのでしょうが、ちょっと消化不良だった感は否めません。
また、パーソナリティーの中に話の聴き上手な人がおらず、ゲストがファン心をくすぐるような深い話に入ろうとしたところで話がとっちらかることも多くありました。
というか、せめて米光美保は呼んでほしかったです!(;^_^A
同じ1990年代の多人数アイドルグループの『乙女塾』や『桜っ子クラブさくら組』にも、メンバーが集まって当時の裏話をするラジオやネット配信番組などをやってほしいですが、ソニーレコードのような大手がバックについていないと難しいのかもしれません。
東京パフォーマンスドールメンバーの名前の話
東京パフォーマンスドールのメンバーは名前に特徴のある人が多くいました。
フロントメンバーは、『米光 美保』(よねみつ みほ)1人ぐらいしか変わった名前の人はいませんでしたが、ライブメンバーは難読苗字の人が多くいました。
『木伏 夏子』(きぶし なつこ)はまだいいとして、『大藤 史』(おおとう ふみ)は読みづらかったし、『櫃割 香奈子』(ひつわり かなこ)に関しては初めて見た苗字で漢字のインパクトも大きかったです。
『篠原 礼』(しのはら あや)の名前も、ほとんどの人は1回で読めないと思います。
そして、もう一つ東京パフォーマンスドールメンバーにまつわる名前の話があります。
それは、篠原率が高すぎるという大問題です!
篠原涼子(フロントメンバー)、篠原リエ(結成メンバー)、篠原礼(ライブメンバー)と、同じグループに兄弟姉妹でもないのに3人も篠原のいるグループなんて聞いたことがありません。
以上、東京パフォーマンスドールのメンバーにまつわる名前の話でした。(;^_^A
私の好きなTPD楽曲
私が好きな東京パフォーマンスドールの楽曲は、
『十代に罪はない』
です。
この曲は、東京パフォーマンスドール版『セーラー服を脱がさないで』と言えるような内容で、タイトルにもあるように歌詞の中で『十代に罪はない』と言い切ることに、斬新さを超えた一種の過激さを感じました。
もう1つ好きな曲は『WEEKEND PARADISE』で、この曲は東京パフォーマンスドールのコンサートの最後を飾る定番曲なのですが、明るさと切なさが入り混じったとても良い曲です。
それと『東京パフォーマンスドール featuring 八木田麻衣』名義で発売された『Romanticに背伸びして』は、メガネスーパーのCMでよく流れていたため頭によく残っています。
これ以外に東京パフォーマンスドール関連の楽曲で大好きな曲がもう1曲あるのですが、それはメンバーの個別記事で書きたいと思います。
東京パフォーマンス&大阪パフォーマンスドールの動画
東京パフォーマンスが再結成された際に行われたラジオの公開収録動画(出演者は木原さとみ、八木田麻衣、櫃割香奈子)
ライブメンバーだった大藤史の弾き語り動画
クイズ
只今制作中・・・少々お持ちください。m(_ _)m
アンケート
2023年4月、ブログのリニューアルに伴いアンケートを新しいものに差し替えました。投票数はリセットされているので、過去に投票した人も再びの参加をお待ちしております。
※60組以上から選択可能な本格的なアンケートは『こちらのページ』から!
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関連記事
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・20世紀アイドルのデビュー日一覧
・20世紀アイドルの生年月日一覧
・90年代アイドルの記事一覧
・90年代のアイドルグループ一覧
2019年01月10日:記事の作成
2019年09月20日:ブログの移転
2019年11月08日:フロントメンバーのアルバム&シングル同時発売のランキング情報を追記
2023年03月08日:プロフィール情報の更新、SNS情報の拡充、動画の埋め込み
2024年01月04日:オススメ商品の削除、埋め込み動画の一部削除
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