21歳で引退した伝説のアイドル『山口百恵』

山口百恵プロフィール

生年月日 1959年1月17日
芸能界入り スター誕生!第5回決戦大会合格
キャッチフレーズ
レコードデビュー 1973年5月21日(としごろ)
主要音楽祭受賞歴
(最優秀新人賞)
主要音楽祭受賞歴
(大賞)
ゴールデン・アロー賞
受賞歴
1974年特別賞
1976年ゴールデン・アロー賞
1976年放送賞
1979年話題賞 ※
※三浦友和と2人で受賞
日本アカデミー賞受賞歴
(最優秀賞、新人賞)
ドラマアカデミー賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
紅白歌合戦出場回数
(2019年まで)
6回
代表曲
()内はオリコン最高順位
73年:青い果実(9位)
73年:禁じられた遊び(12位)
74年:春風のいたずら(11位)
74年:ひと夏の経験(3位)
74年:冬の色(1位)
75年:夏ひらく青春(4位)
76年:横須賀ストーリー(1位)
76年:赤い衝撃(3位)
77年:夢先案内人(1位)
77年:イミテイション・ゴールド(2位)
77年:秋桜(3位)
77年:プレイバックPart2(2位)
78年:絶体絶命(3位)
78年:いい日旅立ち(3位)
79年:美・サイレント(4位)
79年:しなやかに歌って(8位)
80年:謝肉祭(4位)
80年:ロックンロール・ウィドウ(3位)
80年:さよならの向う側(4位)
他多数
ホームページ http://www.sonymusic.co.jp/artist/MomoeYamaguchi/

スター誕生!でデビュー&花の中三トリオ結成

山口百恵は、『スター誕生!』の第5回決勝大会で20社からのスカウトを得て中学校3年生のときにデビューするのですが、デビュー前の山口百恵は、勉強のため『スター誕生!』の第1回決勝大会の優勝者で事務所の先輩でもあった森昌子のカバン持ちをしていたそうです。
その後、この森昌子に同じ『スター誕生!』出身で同学年だった桜田淳子を加えた3人で『花の中三トリオ』を結成したことは、みなさんもご存知のことでしょう。
当初、このトリオは森昌子、山口百恵と同じ事務所(ホリプロ)だった石川さゆりを入れる構想だったそうですが、同じ『スター誕生!』出身で歳が同じ桜田淳子が入ることとなりました。(石川さゆりは花の中三トリオより1歳年上)
結果、花の中三トリオと石川さゆりも成功したので、森昌子・桜田淳子・山口百恵の3人組が最高の形だったのだと思われます。

今まで書いてきたアイドルの松田聖子と宮沢りえを除き、ピンクレディーの2人、山口百恵、桜田淳子、森昌子、中森明菜、小泉今日子の7人には共通点が...
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縁のなかった新人賞

同じ花の中三トリオの森昌子は、日本歌謡大賞放送音楽新人賞・日本有線大賞優秀新人賞、桜田淳子は、日本レコード大賞最優秀新人賞・日本歌謡大賞放送音楽新人賞と、各音楽賞の新人賞を獲得していますが、山口百恵は大きな音楽賞の新人賞に呼ばれることはありませんでした。
特に同期デビューで同じ花の中三トリオの桜田淳子がレコード大賞新人賞を獲得しており、水をあけられる形となりました。
人気面でもデビュー当時は桜田淳子のほうが高かったようです。

青い性路線

山口百恵は、2枚目のシングル曲『青い果実』以降、年齢にそぐわない過激な歌詞を採用した曲がヒットし、当時イメージが出来始めていた『清楚で親しみやすい』というアイドル像を壊し、新たなアイドル像を確立していきます。
これは俗に『青い性路線』と呼ばれ、初期の山口百恵を表徴するものとなっています。
その後もこの路線でヒット曲を連発し、5枚目のシングル曲『ひと夏の経験』は山口百恵の初期の代表曲となっています。

ライバル桜田淳子

新人時代は桜田淳子と人気面で水をあけられていた感がありましたが、山口百恵もすぐにヒット曲を連発し、この2人はライバル関係となります。
森昌子はアイドルというより演歌歌手のような扱いだったため、花の中三トリオの残りの2人は必然的にライバルとして世間に注目されていったのです。
特に1974年12月10日発売された山口百恵の7枚目のシングル曲『冬の色』と、1974年12月5日発売に発売された桜田淳子の8枚目のシングル『はじめての出来事』は、オリコンチャート上でも激しい争いが繰り広げられました。

20世紀のアイドルのことを色々書いて、ふと思ったことがあります。 それが何かというと、70年代アイドルはライバル関係が顕著であるということ...

ドラマや映画もヒット

山口百恵は、歌のみならず演技の方でも大活躍しました。
特に有名なのがドラマ『赤いシリーズ』で、

赤い迷路:1974年10月4日~1975年3月28日 ◯
赤い疑惑:1975年10月3日~1976年4月16日 ◯
赤い運命:1976年4月23日~1976年10月29日 ◯
赤い衝撃:1976年11月5日~1977年5月27日 ◎
赤い激流:1977年6月3日~1977年11月25日 △
赤い絆 :1977年12月2日~1978年6月9日 ◎
赤い激突:1978年6月23日~1978年12月15日
赤い嵐 :1979年11月30日~1980年3月28日
赤い魂 :1980年4月4日~1980年9月19日
赤い死線:1980年11月7日、1980年11月14日 ◎

と、”赤い”と名が付くドラマが立て続けに作られるほどのヒット作でした。
この赤いシリーズは女優としての山口百恵の象徴する作品となっています。
(山口百恵出演は、◎は主演、◯は準主演、△はゲスト出演、無印は出演なし)

映画では、主演作がドキュメンタリー作品を除き13作あり、この内12作品が後に結婚する三浦友和との共演となっています。
三浦友和とは映画以外にドラマでも多数共演しており、当時この2人が交際していることは周知の事実だったのです。
山口百恵の芸能活動期間は1973年から1980年までの8年間ですから、振り返ってみるとよくこんなにも多くの作品に出演できたものだなと感心させられます。(ドラマは上記したもの以外にも多数出演している)

イメージチェンジ

山口百恵の楽曲は、デビューから12枚目のシングルまで全て千家和也が作詞していましたが、13曲目で作詞・阿木燿子、作曲・宇崎竜童を変えイメージチェンジを図ります。
そして、この阿木燿子・宇崎竜童コンビとなった第1作『横須賀ストーリー』が大ヒットし、山口百恵最大のヒット曲となりました。
この『横須賀ストーリー』以降、山口百恵は青い性路線から脱却し、少し悪っぽい大人の女性の歌を歌うことが多くなりました。
阿木燿子・宇崎竜童コンビからの楽曲提供は山口百恵が引退するまで続き、代表曲『プレイバックPart2』もこのコンビから生まれています。

アイドルからスターへ

阿木燿子・宇崎竜童コンビ時代の山口百恵の楽曲には、別のアーティストから提供されたシングル曲がいくつかあります。
有名なものは、

『秋桜』
『いい日旅立ち』

で、この2曲は、2006年に文化庁と日本PTA全国協議会が選定した『日本の歌百選』に選ばれています。
この『日本の歌百選』に同じ歌唱者の曲が2曲が選ばれたのは、山口百恵と坂本九(上を向いて歩こう、見上げてごらん夜の星を)だけで美空ひばり(川の流れのように)ですら1曲しか選ばれていません。
このように、山口百恵は後世まで歌い継がれる歌を歌い、日本を代表するような国民的な歌手にまで成長していったのです。
オリコンチャート上でも5thシングルから26thシングルまで連続して5位以上を獲得し、これはオリコン1位を獲得することが容易ではなかった当時としては凄まじい記録となります。

このように、山口百恵は1970年代に『昭和の歌姫』と称されるような活躍をしていきました。

また、山口百恵は上記した通り歌手以外の活動でも成功しており、ただのアイドル歌手ではなく、国民的なスターにまで駆け上がっていくのでした。

獲れなかったレコード大賞

山口百恵がレコード大賞の新人賞はかすりもしなかったことは前記しましたが、レコード大賞そのものの獲得も果たせませんでした。
レコード大賞獲得にもっとも迫ったのは1978年の『プレイバックPart2』のときでしょうが、当時人気絶頂のピンクレディー(UFO)に阻まれます。
実は、山口百恵は他の音楽賞もノミネート止まりで、1つもグランプリ相当の賞は獲得していません。
1970年代の前半から各テレビ局が続々と音楽賞が創設し、当時は、

・日本レコード大賞
・日本有線大賞
・日本歌謡大賞
・FNS歌謡祭グランプリ
・日本テレビ音楽祭グランプリ
・全日本歌謡音楽祭ゴールデングランプリ

など、多数の音楽賞がありましたが、これら全ての音楽賞で山口百恵はグランプリ相当の賞を獲得できていないのです。
これはある意味驚きですが、そもそも当時はアイドルが音楽賞のグランプリ獲ることは相当難しく、1970年代にアイドル歌手が音楽賞のグランプリを獲得した例は、1972年に日本歌謡大賞を獲得した小柳ルミ子と、1978年に日本レコード大賞、日本歌謡大賞、日本テレビ音楽祭グランプリを獲得したピンクレディーの2組4例しかありません。

1970年代後半から1980年代には1年に1回開催される形の音楽賞が多数ありました。 そんな音楽賞における大賞相当の賞および最優秀新人賞相...

俳優・三浦友和との関係

山口百恵と三浦友和の交際が始まったのは、山口百恵16歳、三浦友和23歳のときと言われていますが、三浦友和は16歳の山口百恵に対し、20歳までこの関係が続いたら結婚しようと約束していたそうです。
この関係、今だったら色々なところからツッコまれそうな気がするのは私だけではないでしょう。
これは、

昔の感覚がおかしいのか?
今の感覚がおかしいのか?

私には到底判断できませんが、若い者の恋愛であってもちゃんと幸せが築けるということを、山口百恵は自らをもって証明しています。

21歳で結婚・引退

山口百恵は、1979年10月20日に自らの口で三浦友和との交際を発表し、更に1980年3月7日には三浦友和との結婚と芸能界からの引退も発表します。
そして1980年10月5日のファイナルコンサートを最後に芸能界を引退しました。
このコンサートの最後にマイクを置くシーンは、今もなお語り継がれる日本歌謡界の名シーンとなっています。

1970年代のアイドル界には、今でも語り継がれる2つの伝説的な出来事があります。 それは、 ・キャンディーズの解散 ・山口百恵の引...

そして伝説へ・・・

1970年代の女性アイドルは若くして引退した人がかなりいますが、そのほとんどは後に復帰しています。(当時、女性は結婚したら芸能界を引退するものだった)
しかし山口百恵は、芸能界を引退してから表舞台に立つことは一切ありません。
このことが山口百恵を神格化し、後年の評価は上がり続けているのです。

山口百恵という人物

山口百恵は外見がずば抜けて可愛かったわけでもありません。
アイドルとしての資質も桜田淳子のほうが上だったでしょう。
しかし、あの笑顔の奥にどことなく悲しさがあるような独特の雰囲気は、とても人を惹きつけるものがありました。
そして実際に、山口百恵は愛人の子として生まれたという複雑な家庭の事情があったのです。
皮肉ながらも、このことが若いながらも歌や芝居に深みを生み、人気を得たのかもしれません。
山口百恵が早く結婚・引退して家庭に入ったことも、このような家庭の事情があったものと思われます。

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私の好きな山口百恵楽曲

後年まで歌い継がれている山口百恵の楽曲は、『いい日旅立ち』や『秋桜』などのしっとりとした歌や、または阿木燿子・宇崎竜童コンビに代わった後のヒット曲『横須賀ストーリー』や『プレイバックPart2』でしょう。
私が好きな山口百恵楽曲は、阿木燿子・宇崎竜童コンビに代わった後の激しい曲で、特にお気に入りは、

イミテイション・ゴールド

と、

「絶体絶命」

です。

差別発言があるという理由で、あまり披露されなかった『謝肉祭』も好きな楽曲の1つです。
それと山口百恵最後の楽曲『さよならの向う側』、これはは絶対に欠かせない1曲ですね。

山口百恵のおすすめ商品

GOLDEN☆BEST 山口百恵 アルバム・セレクション

昭和の歌姫と称されるだけあって山口百恵のベストアルバムは多数あるようです。

伝説から神話へ BUDOKAN・・・AT LAST 1980.10.5.(Blu-ray Disc)

こちらは、伝説となったファイナルコンサートのBlue-rayディスクです。
あのマイクを置くシーンも見ることができます!!

山口百恵 in 夜のヒットスタジオ [DVD]

こちらは、フジテレビの歌番組『夜のヒットスタジオ』に出演した山口百恵の名シーンをまとめたDVDです。

ザ・ベストテン 山口百恵 完全保存版 DVD BOX

こちらは、TBSの歌番組『ザ・ベストテン』に出演した山口百恵の名シーンをまとめたDVDです。

伊豆の踊子 [DVD]

こちらは山口百恵が初めて主演した映画『伊豆の踊り子』のDVDです。

蒼い時

こちらは山口百恵が引退する年に発売され、賛否両論あった山口百恵の自叙伝。
読むにはそれなりの覚悟が必要です。(^_^;)

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コメント

  1. シートカーチャージャー より:

    友人は山口百恵の歌が大好きです。昨年、友人がアメリカに留学しました。山口さんの歌を聞いたとき、友人のことを思い出して、本当に懐かしかったです。

  2. ひでき より:

    オリコンとか見てると大して売れてなかったんだな
    自信でも「数少ない1位」って言ってる動画あったしね
    引退してから創られたスターって感じでは稀有であるが
    百恵はどちらかといえば歌手というよりは女優、マルチタレントっていうイメージが強い