コラム一覧

当カテゴリは、アイドル個人のことではなく20世紀におけるアイドル界全体に関する記事の一覧です。

分散化する90年代アイドル② 『グラビアアイドルの台頭』

1990年代に既存のアイドル定義が崩れ去った最大の原因は“グラビアアイドル”の存在にあります。
1990年以前にもグラビアで活躍するモデルや水着キャンペーンガールなどはいましたが、1990年以降に誕生するグラビアアイドルはこういった人たちと微妙に異なる存在でした。
1980年代までのグラビアモデルや水着キャンペーンガールは足が長くスラッとしたスタイル(俗に言うモデル体型)の人がほとんどなのですが、グラビアアイドルはモデル体型というよりもグラマラスで健康的なスタイルの人がほとんどです。

更に、1980年代までのグラビアモデルや水着キャンペーンガールと1990年代以降のグラビアアイドルには活動的な違いもあります。
水着キャンペーンガールはテレビなどで紹介されることがあっても、水着を着ている女性としてだけの扱いで全く会話をしないか簡単な自己紹介をする程度でしかありませんでした。
一方、グラビアアイドルはバラエティ番組にどんどん出演し、その中でトークはもちろんゲーム、コント、レポーターなど様々な活動を行っていました。
これは1980年代までのアイドル(アイドル歌手)が行っていたことであり、そのため彼女たちのことをグラビアモデルではなく“グラビアアイドル”という名前で呼ぶわけです。
1990年代は歌番組がなくなってきているので、グラビアアイドルのような歌手以外の活動をメインとした新しいアイドル像が誕生するのも当然といえば当然の話と言えるでしょう。

こういった当時の状況について、分かりやすい例がいくつかあります。
例えば1990年に一回終了した女性アイドルを対象とするコンテスト『ミスマガジン』は、『ミスヤングマガジン』としてグラビアアイドルに特化する形で1996年に復活、ヤングマガジンのライバル誌のヤングジャンプも『全国女子高生制服コレクション』として同じようなコンテストを1992年から実施しています。
更に、1992年に始まった『フジテレビビジュアルクイーン』は1995年あるいは1996年以降にグラビアドルに特化したプロジェクトに変化し、同様のシステムとして『日テレジェニック』も1998年から始まります。
以上のことから分かるように、1990年代中盤以降は何かとグラビアアイドルが注目される時代だったのです。

この時代、特に台頭したグラビアアイドル系の芸能事務所が『イエローキャブ』で、雛形あきこ、山田まりあ、小池栄子、佐藤江梨子などの有名グラビアアイドルを次々と世に送り出します。
また、1990年代後半以降には新たな勢力(芸能事務所)として、『アバンギャルド』や『アーティストハウス・ピラミッド』所属のグラビアアイドルも台頭してきました。

当サイトではこのようなグラビアアイドルのことをあまり大きく扱いませんので、この場で一気に紹介させていただきます。

※2021年4月5日、レースクイーン出身者の情報を追加しました。


21世紀以降のアイドル界について

今記事をもって、当サイトの記事投稿は一旦終りとなります。
ということで、最後に21世紀以降(正確には2000年以降)の女性アイドル界の状況も簡単にまとめたいと思います。

2000年以降のアイドルとして、まず取り上げなければならないのが『モーニング娘。』です。
1990年代終盤に大ブレイクを果たしたモーニング娘は2000年以降も人気を保ち、2007年までNHK紅白歌合戦に出場し続けました。
そんなモーニング娘のプロデューサーである“つんく”は他のアイドルグループも次々とプロデュースし、『ハロー!プロジェクト』としてひと括りにまとめられシャッフルユニットの結成や合同コンサートの開催など大きなムーブメントを巻き起こします。
これらハロプロ系アイドルにより1990年代に衰退した歌手型アイドル(ヒラヒラのスカートを履いて歌うようなアイドル)が再興しました。
更に、松浦亜弥や藤本美貴といった当時“絶滅危惧”状態だったソロのアイドル歌手も人気を得て、単独でNHK紅白歌合戦出場を果たしています。



日本のアイドル文化に対する外国人アーティスの影響

日本に“アイドル”という言葉が定着したのは、フランス人歌手の『シルヴィ・ヴァルタン』(ヒット曲:アイドルを探せ、あなたのとりこ)が主演し主題歌も歌った映画『アイドルを探せ』(1963年公開)がきっかけと言われています。
このシルヴィ・ヴァルタンが流行した影響で、1960年代から1970年代初めにかけて同じフランス人歌手の『フランス・ギャル』(ヒット曲:夢見るシャンソン人形)や『ダニエル・ビダル』(ヒット曲:オー・シャンゼリゼ)などが次々と来日し、大きな話題となりました。
こういったフランス人歌手の日本での成功が、日本のアイドル誕生に少なからず影響を与えている可能性も考えられます。

1980年代に入ると、1983年に『シンディ・ローパー』が『ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン』、1984年に『マドンナ』が『ライク・ア・ヴァージン』という世界的なヒット曲をそれぞれ発売し、世界規模での大きなムーブメントを起こします。
その後もシンディ・ローパーは『タイム・アフター・タイム』や『トゥルー・カラーズ』、マドンナは『マテリアル・ガール』、『ヴォーグ』、『ハング・アップ』などのヒット曲を発売し、世界的な注目を受け続けました。
1980年代後半には、オーストラリア出身の『カイリー・ミノーグ』(ヒット曲:ラッキー・ラヴ、熱く胸を焦がして)がデビューし日本でも人気となります。
このような外国人の女性歌手たちは、セクシーさや奇抜なファッションなどといったビジュアル面に注目が集まり、日本の芸能界にも大きな影響を与えたようです。
実際に日本では、1988年に杉本彩がセクシーさを前面に出した衣装・楽曲でデビューを果たしています。


ガールズバンドの歴史とアイドルとの関係性

1976年、ガールズバンドの元祖と言われる『ザ・ランナウェイズ』(ヒット曲:チェリー・ボンブ)がアメリカでデビューするのですが、本国ではあまり受け入れられず、なぜか日本で流行し1977年に初来日を果たします。
その後、海外では『バングルス』(ヒット曲:胸いっぱいの愛)や『ゴーゴーズ』などといったガールズバンドが誕生し、カールズバンドの創世記を支えます。
日本では、ザ・ランウェイズに触発される形で『ガールズ』というガールズバンドが1977年にデビュー、翌年には後に『ZELDA』(1980年10月デビュー)を率いる小嶋さちほがベースを担当した『BOYS BOYS』が結成されました。
しかし当時はまだ『バンド=男性』というイメージがあったのか、メディアでもどう扱っていいのか分からず、アイドルグループのような扱いを受けることもあったそうです。
『ザ・ランナウェイズ』も『ガールズ』も1979年に解散と、いずれも短命に終わったことから考えても、当時は女性だけのバンドが広く認められる存在ではなかったのかもしれません。


1990年代は、なぜアイドル冬の時代だったのか?

1990年代は“アイドル冬の時代”や“アイドル氷河期”と言われるアイドル文化が衰退していった時代です。
しかし、1980年代に大流行したアイドル文化が、なぜ1990年代に入った途端に衰退してしまったのでしょうか?

1980年代のアイドルブームがあまりに大きすぎたため、国民が飽きてしまった?
バブルが崩壊し日本中が暗くなっていたため、華やかなアイドル文化を国民が受け付けなくなった?

様々な意見や考えはあるかと思います。
現実的には、1989年終盤から1990年代初頭にアイドルが活躍するような音楽番組(ザ・ベストテン、ザ・トップテン、夜のヒットスタジオ)が次々と終了、更には全民放キー局が行っていた音楽賞も日本レコード大賞を除き軒並み廃止となり、アイドルが活躍する場がほとんどなくなってしまいました。
では、なぜこのような急激な変化がテレビ業界に起こったのでしょうか?
当時の社会状況を踏まえ考えていきたいと思います。