1986年1月25日、早瀬優香子という女性が『サルトルで眠れない』というシングルと『躁鬱 SO・UTSU』というアルバムを同時リリースしてデビューしました。
サルトルとは『ジャン=ポール・サルトル』という哲学者のことで、深い闇にハマってしまうような楽曲の数々がアルバムには収められています。(アルバム内には『水曜日までに死にたいの』というハッキリと自死をテーマにした楽曲もある)
そして、早瀬優香子のデビューから約2ヶ月後の3月30日に遠藤康子が、4月8日に岡田有希子が自ら命を絶つのです。
この早瀬優香子の楽曲を作詞しプロデュース(クレジット上はドラマティスト)した人は、当時、作詞家として台頭し始めた秋元康でした。
更に秋元康は、1986年3月19日に発売された森川美穂の3枚目のシングル『赤い涙』でも、学生の自死を連想させるような詞を書いています。
以上のことから、1986年当時の秋元康は若者の鬱や自死について何かを感じとっていた可能性が高いのです。
これらの楽曲が秋元康の個人的なものから発生しているのか、時代背景的なものから発生しているのかは分かりません。
森田童子や山田ハコの作詞なら個人の資質と言えるでしょうが、秋元康は暗い詞ばかり書くような人ではないですし、作詞の数から考えて個人的な経験以外で作詞することのほうが多かったはずです。
もちろん、鬱や自死というものが世の中から完全になくなる時代はないでしょうが、秋元康が1986年当時の社会に何かを感じとったのであれば、遠藤康子や岡田有希子の死には時代的な背景があったということになります。
しかし私は、1980年代中盤の日本にそこまで暗い時代背景を感じていませんでした。
1980年中盤の社会問題と言って第一に思い浮かべるのは、校内暴力や暴走族といった若者の非行でしょう。
この問題はドラマや映画などで取り上げられることも多いのですが、冒頭で紹介した楽曲の数々は、もっと個人の内面的なものを表しているように感じます。
お笑いコンビ『爆笑問題』の太田光(岡田有希子より1学年上)は、高校生時代に友達が1人もおらず、学校で一言も話さずに太宰治の本をひたすら読んでいたとメディアで度々語っています。
冒頭で示した楽曲には、こういった類の雰囲気を感じるのです。
自分の知らない世界としては、少女漫画の存在も1つのキーポイントになるかもしれません。
かつてNHKで放送されていた『BSマンガ夜話』では少女漫画が先鋭的であるとの説明がされ、病気で普通の生活ができない将棋棋士の村山聖(岡田有希子より2学年下)が大量の少女漫画を読んで過ごしていたという話もあります。
おそらく遠藤康子や岡田有希子も少女漫画の1つや2つは読んでいたでしょうから、彼女たちの死に少女漫画の影響があってもおかしくありません。
私は女性向けの漫画を読んだことが一切ないので、実態を掴むのはなかなか難しい状態ですが、1980年代後半に岡崎京子などに代表されるアンニュイな雰囲気を醸し出す漫画が登場して一定の話題に得ているので、ひょっとしたら少女漫画の中に岡田有希子や遠藤康子の死に関するヒントがあるのかもしれません。
ここまで書いて思い出したことがあります。
ずいぶん昔(おそらく1990年代)の話ですが、個人店舗の本屋に大量の少女漫画を持ってきて、ブックカバーを付けてくれと頼んでいる若い女性を見たことがありました。
本屋の店主はできないと断っていましたが、あまりにもしつこく頼むので、困り果ててカバーをあげるから自分で付けるようにと促します。
しかし、その女性はどうしてもカバーを付けてくれと引き下がらなかったのです。
その後どうなったかは記憶にないのですが、今考えるとその女性は何かしらの精神的な問題を抱えていた可能性もあります。
1992年に自ら命を断った漫画家の山田花子(岡田有希子と同学年)は、解雇された喫茶店に赴き何度も再び雇ってもらえるようにと頼んでいたそうで、何か同じ雰囲気を感じました。
以上のように、少女漫画には私の知らない暗い何かが渦巻いていたのかもしれません。
話がだいぶ脱線しましたが、岡田有希子や遠藤康子が生きた時代には負のオーラが漂っており、後に大作詞家となる秋元康は、そういった時代を敏感に感じとっていた可能性も十分にあるかと思います。
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