史上最強の素人集団『おニャン子クラブ』

おニャン子クラブプロフィール

80年代アイドルのおニャン子クラブ

メンバー生年月日 下記参照
結成日 1985年4月1日
キャッチフレーズ
レコードデビュー 1985年7月5日(セーラー服を脱がさないで)
主要音楽祭受賞歴
(最優秀新人賞)
主要音楽祭受賞歴
(大賞)
ゴールデン・アロー賞
受賞歴
主要映画賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
1987年度エランドール新人賞(国生さゆり)※

※エランドール新人賞はテレビドラマでの活躍を含んだ俳優賞

ドラマアカデミー賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
紅白歌合戦出場回数
(2025年まで)
【おニャン子クラブ】
0回

【工藤静香】
9回

代表曲
()内はオリコン最高順位
85年:セーラー服を脱がさないで(5位)
85年:真っ赤な自転車(アルバム)
85年:およしになってねTEACHER(2位)
86年:じゃあね(1位)
86年:会員番号の唄※
86年:お先に失礼(1位)
86年:恋はくえすちょん(1位)
他多数

※会員番号の唄は、吉沢秋絵のシングルである『季節はずれの恋』のB面曲

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目次

おニャン子クラブのメンバーとは?

おニャン子クラブのメンバーと言えば、パッと浮かんだだけでも、

新田恵利(会員番号4番)
国生さゆり(会員番号8番)
城之内早苗(会員番号17番)
渡辺美奈代(会員番号29番)
渡辺満里奈(会員番号36番)
工藤静香(会員番号38番)
生稲晃子(会員番号40番)

などの現在でも芸能界で活躍する人たちがおり、その他にも秋元康夫人の高井麻巳子(会員番号16番)、作曲家である後藤次利夫人の河合その子(会員番号12番)、90年代にバラエティ番組で大活躍した岩井由紀子(会員番号19番)などなど、おニャン子クラブは本当に数多くのアイドルを輩出するグループでした。
また、グループ内ユニットとしても、

ニャンギラス(樹原亜紀、名越美香、立見里歌、白石麻子)
うしろゆびさされ組(高井麻巳子、岩井由紀子)
うしろ髪ひかれ隊(工藤静香、生稲晃子、斉藤満喜子)

の3組がレコードデビューし、ヒット曲にも恵まれます。

元々は夕やけニャンニャンの番組アシスタント

おニャン子クラブが出演したテレビ番組『夕やけニャンニャン』は、元は素人大学生がアシスタントを務めるオールナイト・フジの高校生版として企画されたもので、毎週月曜日から金曜日までの夕方に生放送されていました。
このような企画だったため、おニャン子クラブメンバーはほとんどが素人の高校生で構成されます。
これは、アイドルの成長を見せることをコンセプトとした未完成なAKB48にも繋がり、AKB48自身も当初『平成のおニャン子クラブ』などと称されていました。
そもそも、おニャン子クラブの楽曲の作詞を担当し、夕やけニャンニャンの企画や構成をしたのがAKB48グループのプロデューサーである秋元康なのですから、当たり前といえば当たり前の話です。

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主なおニャン子クラブ出身者

※名前が青くなっている人は個別記事があるので、名前部分をクリック/タップして個別記事で詳細な情報をご覧ください。

初期メンバー

『オールナイトフジ』の女子高生スペシャルで集められた中から選抜されたメンバー。
当初は11人だったが俗に言う『タバコ事件』で5人が脱退。

新田恵利

会員番号:4番
生年月日:1968年3月17日
ソロデビュー日:1986年1月1日(冬のオペラグラス)
加入日:1985年4月1日(結成メンバー)
卒業日:1986年9月26日

【人物】
初期のフロントメンバー。

中島美春

会員番号:5番
生年月日:1967年10月1日
ソロデビュー日:1986年2月21日(じゃあね)※
加入日:1985年4月1日(結成メンバー)
卒業日:1986年3月31日

【人物】
初期のフロントメンバー。

※おニャン子クラブ名義の曲だが、実質的に中島美春のソロ曲なのでソロデビュー日とする。

樹原亜紀

会員番号:6番
生年月日:1969年3月30日
ソロデビュー日:-
加入日:1985年4月1日(結成メンバー)
卒業日:1987年3月30日

【人物】
ニャンギラスのメンバー。
タバコ事件唯一の生き残り。

国生さゆり

会員番号:8番
生年月日:1966年12月22日
ソロデビュー日:1986年2月1日(バレンタイン・キッス)
加入日:1985年4月1日(結成メンバー)
卒業日:1987年3月30日

【人物】
初期から中期の主要メンバー。

名越美香

会員番号:9番
生年月日:1966年4月13日
ソロデビュー日:-
加入日:1985年4月1日(結成メンバー)
卒業日:1986年9月26日

【人物】
ニャンギラスのメンバー。
バラエティー担当。

福永恵規

会員番号:11番
生年月日:1967年1月26日
ソロデビュー日:1986年5月21日(風のInvitation)
加入日:1985年4月1日(結成メンバー)
卒業日:1986年9月26日

【人物】
おニャン子クラブの初代リーダーで初期のフロントメンバー。

途中加入メンバー

『夕やけニャンニャン』内で毎週行われていた『ザ・スカウトアイドルを探せ』というオーディションコーナーに合格して加入したメンバー。

河合その子

会員番号:12番
生年月日:1965年6月20日
ソロデビュー日:1985年9月1日(涙の茉莉花LOVE)
加入日:1985年4月5日
卒業日:1986年3月31日

【人物】
おニャン子クラブの最年長メンバーで最も早くソロデビューしている。
追加加入メンバーだが『夕やけニャンニャン』には1回目から参加している。

内海和子

会員番号:13番
生年月日:1967年2月16日
ソロデビュー日:1986年11月7日(蒼いメモリーズ)
加入日:1985年4月5日
卒業日:1987年3月30日

【人物】
初期のフロントメンバーで子役出身。
追加加入メンバーだが『夕やけニャンニャン』には1回目から参加している。

富川春美

会員番号:14番
生年月日:1968年9月26日
ソロデビュー日:-
加入日:1985年4月5日
卒業日:1987年9月20日(解散メンバー)

【人物】
おニャン子クラブにもっとも長く在籍したメンバーで、中後期のフロントメンバー。
追加加入メンバーだが『夕やけニャンニャン』には1回目から参加している。
おニャン子クラブ解散後も芸能活動を続けるが、程なくして引退し沖縄のリゾートホテルに就職。

立見里歌

会員番号:15番
生年月日:1965年11月14日
ソロデビュー日:1987年3月18日(そんなつもりじゃなかったのに)
加入日:1985年4月19日
卒業日:1987年3月30日

【人物】
ニャンギラスのメンバー。
バラエティー担当。

高井麻巳子

会員番号:16番
生年月日:1966年12月28日
ソロデビュー日:1986年6月25日(シンデレラたちへの伝言)
加入日:1985年4月26日
卒業日:1987年3月30日

【人物】
うしろゆびさされ組のメンバー。
『夕やけニャンニャン』の放送作家で、おニャン子クラブ楽曲のほとんどの作詞を手掛けた秋元康と結婚。

城之内早苗

会員番号:17番
生年月日:1968年5月17日
ソロデビュー日:1986年6月11日(あじさい橋)
加入日:1985年5月10日
卒業日:1987年9月20日(解散メンバー)

【人物】
おニャン子クラブ加入前から演歌歌手として活動していた。

永田ルリ子

会員番号:18番
生年月日:1967年6月23日
ソロデビュー日:-
加入日:1985年5月17日
卒業日:1987年9月20日(解散メンバー)

【人物】
おニャン子クラブ中後期のフロントメンバーとして活躍。
解散翌年の1988年にテレビディレクターと結婚し芸能界を引退。
おニャン子クラブの出版物では全て彼女の存在が消されており、結婚の時期や相手から旦那とフジテレビに何らかのトラブルがあったのではないかと噂されているが真相は不明。

岩井由紀子

会員番号:19番
生年月日:1968年5月26日
ソロデビュー日: 1987年3月25日(天使のボディーガード)
加入日:1985年6月21日
卒業日:1987年9月20日(解散メンバー)

【人物】
うしろゆびさされ組のメンバー。
中期フロントメンバー。

五味岡たまき

会員番号:21番
生年月日:1970年1月19日
ソロデビュー日:-
加入日:1985年7月26日
卒業日:1985年9月20日

【人物】
おニャン子クラブとしての活動はほとんどないが、卒業後にテレビ朝日の子供向けバラエティ番組『パオパオチャンネル』や、3年B組金八先生のスペシャルドラマなどに出演していた。
おニャン子クラブを辞めた後も、なぜか番組内で芸人などにイジられる(名前を出される)ことが多く、素人ですらイジっていたことがあった。
現在は芸能界を引退した模様。

白石麻子

会員番号:22番
生年月日:1969年6月12日
ソロデビュー日:-
加入日:1985年8月2日
卒業日:1987年9月20日(解散メンバー)

【人物】
ニャンギラスのメンバー。
後期フロントメンバー。

三田文代

会員番号:24番
生年月日:1967年1月6日
ソロデビュー日:-
加入日:1985年8月16日
卒業日:1986年3月27日

【人物】
あまり活躍の場がなかった地方駐在員(広島)の1人。
1987年の日本旅行キャンペーンガール
00年代まで女優として活動していた。

吉沢秋絵

会員番号:25番
生年月日:1968年10月20日
ソロデビュー日:1985年11月1日(なぜ?の嵐)
加入日:1985年8月30日
卒業日:1986年9月26日

【人物】
『夕やけニャンニャン』内で行われた『スケバン刑事II』主演オーディションに合格してメンバー入り。
グループ内から2番目にソロデビューした。

横田睦美

会員番号:28番
生年月日:1967年9月26日
ソロデビュー日:-
加入日:1985年11月29日
卒業日:1987年9月20日(解散メンバー)

【人物】
おニャン子クラブ解散後しばらくは芸能活動を続けたが、比較的早い時期に芸能界をやめた模様。
現在はヨガ教室を開いているとの噂。

【SNS】
Instagram:karen_garden_

渡辺美奈代

会員番号:29番
生年月日:1969年9月28日
ソロデビュー日:1986年7月16日(瞳に約束)
加入日:1985年11月29日
卒業日:1987年9月20日(解散メンバー)

【人物】
中後期の主要メンバーの1人。

山本スーザン久美子

会員番号:32番
生年月日:1966年6月26日
ソロデビュー日:-
加入日:1985年12月13日
卒業日:1986年9月26日

【人物】
おニャン子クラブ唯一のハーフメンバーで、活動期間は短いがとても目立つ存在だった。
卒業後はJR東海に就職。

布川智子

会員番号:33番
生年月日:1968年8月30日
ソロデビュー日:-
加入日:1986年1月17日
卒業日:1987年9月20日(解散メンバー)

【人物】
シブがき隊の布川敏和の妹で『夕やけニャンニャン』内でも、そのことをよくイジられていた。
おニャン子クラブ解散と同時に芸能界を引退したが、2011年に本名(夫の名字)の『荻野智子』として芸能活動を再開した。

【SNS】
ブログ:Happy Beautiful Life

弓岡真美

会員番号:34番
生年月日:1970年9月15日
ソロデビュー日:-
加入日:1986年3月14日(オーディション合格は1986年1月10日)
卒業日:1986年12月25日

【人物】
中学生でオーディションに合格したメンバーで、中学卒業後に正式メンバーとなる。
卒業後しばらく芸能活動を続けるも程なく引退し、地元の千葉で看護師として働き1995年に結婚し“外山”性となる。
現在ものTikTokなどに登場することがある。

渡辺満里奈

会員番号:36番
生年月日:1970年11月18日
ソロデビュー日:1986年10月8日(深呼吸して)
加入日:1986年3月27日
卒業日:1987年9月20日(解散メンバー)

【人物】
中後期の主要メンバー。

工藤静香

会員番号:38番
生年月日:1970年4月14日
ソロデビュー日:1987年8月31日(禁断のテレパシー)
加入日:1986年5月23日
卒業日:1987年9月20日(解散メンバー)

【人物】
うしろ髪ひかれ隊のメンバー。
中後期の主要メンバーでグループ内からの最後にソロデビューした。

生稲晃子

会員番号:40番
生年月日:1968年4月28日
ソロデビュー日: 1988年5月21日(麦わらでダンス)
加入日:1986年6月13日
卒業日:1987年9月20日(解散メンバー)

【人物】
うしろ髪ひかれ隊のメンバー。

貝瀬典子

会員番号:41番
生年月日:1970年3月5日
ソロデビュー日:-
加入日:1986年8月10日
卒業日:1987年9月20日(解散メンバー)

【人物】
おニャンクラブのメンバーオーディションも兼ねた1986年の『ミス・セブンティーンコンテスト』グランプリ獲得者。
本当は、彼女が『うしろ髪ひかれ隊』に加入する予定だったらしい。
解散後も芸能活動を続けたが現在は引退。

斉藤満喜子

会員番号:42番
生年月日:1970年9月19日
ソロデビュー日:1988年7月21日(やりたい放題)
加入日:1986年8月10日
卒業日:1987年9月20日(解散メンバー)

【人物】
うしろ髪ひかれ隊のメンバー。

山森由里子

会員番号:47番
生年月日:1970年11月30日
ソロデビュー日:-
加入日:1986年10月24日
卒業日:1987年9月20日(解散メンバー)

【人物】
オーディションを2回受けて合格。
加入間もなかったにもかかわらず、おニャン子メンバーの実質的な人気投票だった『おニャン子ダービー』のランクイン(10位圏内)常連だった。
おニャン子クラブ解散と共に芸能界を引退。

我妻佳代

会員番号:48番
生年月日:1968年7月25日
ソロデビュー日:1987年11月21日(プライベートはデンジャラス)
加入日:1987年1月23日
卒業日:1987年9月20日(解散メンバー)

【人物】
80年代アイドル『芹沢直美』の妹。
おニャン子クラブの人気がだいぶ落ちていた時期に加入したメンバーだったが、解散後すぐにソロデビューするなど、それなりに人気メンバーであった。
1989年に芸能界を引退。

おニャン子クラブB組メンバー

おニャン子クラブB組は、『夕やけニャンニャン』放送中期に集められた中学生メンバー。
B組メンバーだけのコーナーなどもあったが、いまいちブレイクせずに正規メンバーに吸収される。

宮野久美子

会員番号:B組3番 → 51番
生年月日:1971年12月13日
ソロデビュー日:-
加入日:1986年8月10日
卒業日:1987年9月20日(解散メンバー)

【人物】
B組として加入後、高校進学と共に正規メンバーに昇格。
1990年代に『KISS』というグループのメンバーとなる。
現在は芸能界を引退。

山崎真由美

会員番号:B組5番
生年月日:1971年12月1日
ソロデビュー日:1988年4月1日(瞳をみつめて)
加入日:1986年9月25日
卒業日:1987年3月20日

【人物】
中学生メンバーのB組出身。
卒業後もアイドル活動をした後、イエローキャブに所属しグラビアアイドルとして活躍していた。
イエローキャブ所属時代は『細川ふみえ』、『藤崎仁美』と『Lady’s』というユニットでも活動し、その後『La-2』というグループを結成するもグループ活動は限定的だった模様。
現在は芸能界を引退。

【SNS】
Twitter:@MayumiYamazaki_

おニャン子クラブから生まれたグループ(派生ユニット)

メンバー:高井麻巳子、岩井由紀子
デビュー日:1985年10月5日(うしろゆびさされ組)
解散日:1987年4月5日(高井麻巳子卒業のため)

【概要】
おニャン子クラブから初めて誕生した派生ユニット。
アニメ『ハイスクール奇面組』の主題歌のほとんどを歌った。

ニャンギラス

メンバー:立見里歌、樹原亜紀、名越美香、白石麻子
デビュー日:1986年4月1日(私は里歌ちゃん)
解散日:1986年9月26日(名越美香卒業のため)

【概要】
おニャン子クラブのお笑い担当3人組に白石麻子を加えて誕生した、立見里歌がメインのグループ。

うしろ髪ひかれ隊

メンバー:工藤静香、生稲晃子、斉藤満喜子
デビュー日:1987年5月7日(時の河を越えて)
解散日:1988年5月2日(活動休止)

【概要】
おニャン子クラブ最後の派生ユニットで、おニャン子クラブ解散後も活動した唯一のグループ。

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おニャン子クラブから歌手デビューしたメンバー・グループの順番

おニャン子クラブ在籍中にレコードデビューしたメンバーやグループは、夕やけニャンニャン内でプロモーション活動を兼ねて毎日のように歌を披露していました。
そんなメンバーやグループの一覧です。

デビュー日 名前 デビュー曲
1985年7月5日 おニャン子クラブ セーラー服を脱がさないで
1985年9月1日 河合その子 涙の茉莉花LOVE
1985年10月5日 うしろゆびさされ組 うしろゆびさされ組
1985年11月1日 吉沢秋絵 なぜ?の嵐
1986年1月1日 新田恵利 冬のオペラグラス
1986年2月1日 国生さゆり バレンタイン・キッス
1986年2月21日 中島美春※ じゃあね
1986年4月1日 ニャンギラス 私は里歌ちゃん
1986年5月21日 福永恵規 風のInvitation
1986年6月11日 城之内早苗 あじさい橋
1986年6月25日 高井麻巳子 シンデレラたちへの伝言
1986年7月16日 渡辺美奈代 瞳に約束
1986年10月8日 渡辺満里奈 深呼吸して
1986年11月7日 内海和子 蒼いメモリーズ
1987年3月25日 ゆうゆ(岩井由紀子)※ 天使のボディーガード
1987年5月7日 うしろ髪ひかれ隊 時の河を越えて
1987年8月31日 工藤静香 禁断のテレパシー

※『じゃあね』は、おニャン子クラブの楽曲だが、夕やけニャンニャン内では『中島美春 with おニャン子クラブ』名義でクレジットされるなど、実質ソロ曲だった。
※岩井由紀子は『ゆうゆ』名義でデビュー。

加入からデビューまでの時間が短いメンバー

1位、吉沢秋絵(2ヶ月2日)
2位、河合その子(4ヶ月27日)
3位、渡辺満里奈(6ヶ月11日)

加入からデビューまで時間が長いメンバー

1位、岩井由紀子/ゆうゆ(1年9ヶ月4日)
2位、内海和子(1年7ヶ月2日)
3位、工藤静香(1年3ヶ月8日)
※ただし、岩井由紀子と工藤静香は派生ユニットでデビューしている

おニャン子クラブのフロントメンバー遍歴

人数の多いおニャン子クラブの楽曲は、メンバーの何人かがが前に出て歌うスタイルをとっていました。
その前に出ていたフロントメンバーの遍歴を、シングルレコード表題曲ごとに記載します。
※書いてある順が実際のポジションとなります。(向かって見たポジション)

セーラー服を脱がさないで 新田恵利、福永恵規、内海和子、中島美春
およしになってねTEACHER 新田恵利、福永恵規、内海和子、中島美春
じゃあね 中島美春、(2列目:新田恵利、永田ルリ子、3列目:内海和子、名越美香、福永恵規)
おっとCHIKAN! 横田睦美、城之内早苗、福永恵規、内海和子、永田ルリ子
お先に失礼 岩井由紀子、富川春美、渡辺満里奈、布川智子
恋はくえすちょん 生稲晃子、永田ルリ子、岩井由紀子、白石麻子
NO MORE 恋愛ごっこ 富川春美、岩井由紀子、永田ルリ子、白石麻子
かたつむりサンバ 吉見美津子、工藤静香、富川春美、杉浦美雪
ウェディングドレス 富川春美、布川智子、白石麻子、永田ルリ子、横田睦美

※『じゃあね』は中島美春の実質ソロ曲で、()内の5人が前列でマイクを持ちコーラスを担当した。

当初のおニャン子クラブフロントメンバーは新田恵利、中島美春、福永恵規、内海和子の4人でした。
この4人は選抜されたメンバーという感じがしましたが、途中からは“それなりに人気はあるもののソロデビューするには至らない人”がフロントメンバーに選ばれるようになります。
そのため、国生さゆりや高井麻巳子といった人気メンバーは1度もフロントメンバーに選ばれていません。
3枚目のシングルまでで初期フロントメンバーだった中島美春が卒業したことにより、4枚目のシングル以降でフロントメンバーに大きな入れ替わりがありました。
以降、富川春美、永田ルリ子、白石麻子などソロデビューしていないメンバーが主にフロントメンバーを任されることになります。
※このことはソロデビューしたメンバーが所属するレコード会社の影響もある。

【フロントメンバー選抜回数ランキング】

4回:永田ルリ子(+1)、富川春香
3回:福永恵規(+1)、内海和子(+1)、中島美春、岩井由紀子、白石麻子
2回:新田恵利(+1)、横田睦美、布川智子
1回:城之内早苗、渡辺満里奈、工藤静香、生稲晃子、吉見美津子、杉浦美雪

※(+1)は『じゃあね』でマイクを持ってコーラスを担当したメンバー。

80年代アイドルで数少ないグループアイドル成功例

現在のアイドルは、ほぼ漏れなくと言っていいほどグループで活動しています。
しかし80年代のアイドルは、ほとんどがソロ(個人)で活動していました。
70年代にはキャンディーズとピンク・レディーというグループ型のトップアイドルがいましたし、新三人娘(小柳ルミ子、天地真理、南沙織)や中3トリオ(森昌子、桜田淳子、山口百恵)のように一括りにされたアイドルもいましたが、80年代のアイドルでまともにヒットしたアイドルグループは、おニャン子クラブ(グループ内ユニットを含む)とWinkぐらいしかいません。
ピンク・レディーの流行からWinkの登場までは10年ほどの開きがあるため、おニャン子クラブはこの間に唯一ヒットしたアイドルグループであり、この点においても当時のおニャン子クラブは異質な存在でした。

80年代のアイドルグループ一覧&メンバーまとめ
キャンディーズが1978年に、ピンク・レディーが1981年にそれぞれ解散してしまい、この2組の解散ショックからか、1980年代前半は女性アイドルグループがほとんど売れませんでした。そんな1980年代も半ばとなった1985年に『おニャン子クラ...

ヒットチャートを席巻

1985年におニャン子クラブ系でオリコン1位を獲得したシングル曲は、河合その子の『涙の茉莉花LOVE』だけでしたが(9月16日と23日に1位獲得)、1986年にはオリコン1位を獲得した46曲中30曲をおニャン子クラブ系が占めます。(週で言えば52週中36週)
ということで、以下に1985年から夕やけニャンニャンが終了する1987年8月31日までのオリコン1位楽曲をまとめます。
※太字がおニャン子クラブ、おニャン子クラブメンバー(卒業生も含む)、おニャン子クラブ内ユニットの楽曲です。

【1986年】

1月6日・13日:冬のオペラグラス(新田恵利)
1月20日:冬のオペラグラス(新田恵利)
1月27日:冬のオペラグラス(新田恵利)
2月3日 バナナの涙(うしろゆびさされ組)
2月10日:くちびるNetwork(岡田有希子)
2月17日:DESIRE -情熱-(中森明菜)
2月24日:Broken Sunset(菊池桃子)
3月3日:じゃあね(おニャン子クラブ)
3月10日:季節はずれの恋(吉沢秋絵)
3月17日:季節はずれの恋(吉沢秋絵)
3月24日:My Revolution(渡辺美里)
3月31日:青いスタスィオン(河合その子)
4月7日:青いスタスィオン(河合その子)
4月14日:私は里歌ちゃん(ニャンギラス)
4月21日:恋のロープをほどかないで(新田恵利)
4月28日:恋のロープをほどかないで(新田恵利)
5月5日:おっとCHIKAN!(おニャン子クラブ)
5月12日:象さんのすきゃんてぃ(うしろゆびさされ組)
5月19日:夏を待てない(国生さゆり)
5月26日:夏色片想い(菊池桃子)
6月2日:風のInvitation(福永恵規)
6月9日:ジプシー・クイーン(中森明菜)
6月16日:Song for U.S.A.(チェッカーズ)
6月23日:あじさい橋(城之内早苗)
6月30日:自分でゆーのもなんですけれど(ニャンギラス)
7月7日:シンデレラたちへの伝言(高井麻巳子)
7月14日:再会のラビリンス(河合その子)
7月21日:ダイヤモンド・アイズ(少年隊)
7月28日:瞳に約束(渡辺美奈代)
8月4日:お先に失礼(おニャン子クラブ)
8月11日:不思議な手品のように(新田恵利)
8月18日:スキップ・ビート(KUWATA BAND)
8月25日:ノーブルレッドの瞬間(国生さゆり)
9月1日:青空のかけら(斉藤由貴)
9月8日:渚の『・・・・・』(うしろゆびさされ組)
9月15日:Say Yes!(菊池桃子)
9月22日:鏡の中の私(吉沢秋絵)
9月29日:メロディ(高井麻巳子)
10月6日:Fin(中森明菜)
10月13日:CHA-CHA-CHA(石井明美)
10月20日:深呼吸して(渡辺満里奈)
10月27日:雪の帰り道(渡辺美奈代)
11月3日:悲しい夜を止めて(河合その子)
11月10日:恋はくえすちょん(おニャン子クラブ)
11月17日:ONE DAY(KUWATA BAND)
11月24日:内緒で浪漫映画(新田恵利)
12月1日:技ありっ!(うしろゆびさされ組)
12月8日:バラードのように眠れ(少年隊)
12月15日:あの夏のバイク(国生さゆり)
12月22日:ないものねだりのI Want You(C-C-B)
12月29日:約束(高井麻巳子)

【1987年】

1月5日・12日:ホワイトラビットからのメッセージ(渡辺満里奈)
1月19日:楽園のDoor(南野陽子)
1月26日:TOO ADULT(渡辺美奈代)
2月2日:NO MORE 恋愛ごっこ(おニャン子クラブ)
2月9日:雪國(吉幾三)
2月16日:TANGO NOIR(中森明菜)
2月23日:TANGO NOIR(中森明菜)
3月2日:かしこ(うしろゆびさされ組)
3月9日:水のルージュ(小泉今日子)
3月16日:stripe blue(少年隊)
3月23日:サファイアの瞳(THE ALFEE)
3月30日:かげろう(高井麻巳子)
4月6日:アイドルを探せ(菊池桃子)
4月13日:話しかけたかった(南野陽子)
4月20日:マリーナの夏(渡辺満里奈)
4月27日:PINKのCHAO(渡辺美奈代)
5月4日:Strawberry Time(松田聖子)
5月11日:Strawberry Time(松田聖子)
5月18日:時の河を越えて(うしろ髪ひかれ隊)
5月25日:Strawberry Time(松田聖子)
6月1日:かたつむりサンバ(おニャン子クラブ)
6月8日:水の中のAnswer(杉山清貴)
6月15日:BLONDE(中森明菜)
6月22日:BLONDE(中森明菜)
6月29日:さよならの果実たち(荻野目洋子)
7月6日:君だけに(少年隊)
7月13日:パンドラの恋人(南野陽子)
7月20日:WANDERER(チェッカーズ)
7月27日:夏休みだけのサイドシート(渡辺満里奈)
8月3日:Marionette(BOØWY)
8月10日:アマリリス(渡辺美奈代)
8月17日:Marionette(BOØWY)
8月24日:北の旅人(石原裕次郎)
8月31日:STAR LIGHT(光GENJI)

このように、オリコンの週間シングルチャートはおニャン子クラブ関連の楽曲が並びます。
おニャン子クラブブームの影響で、この時期に楽曲を発表した人の多くがオリコン1位を獲得できなかったため、おニャン子クラブは他のアーティストから恨まれていたという話もあります。

あまりに短かったおニャン子ブーム

夕やけニャンニャンの放送が開始され2年程で初期の主要メンバーが次々と卒業し、夕やけニャンニャン及びおニャン子クラブの人気や活動は先細りとなります。
結果1987年8月31日には夕やけニャンニャンの放送が終了、同年9月20日をもっておニャン子クラブも解散しました。
このようなおニャン子クラブの盛衰を分かりやすく確認するため、オリコンにおけるシングル曲の年間チャートTOP50の中からおニャン子クラブ関連のものだけを抜粋してみました。

【1985年】

38位:セーラー服を脱がさないで(おニャン子クラブ)

【1986年】

10位:青いスタスィオン(河合その子)
13位:冬のオペラグラス(新田恵利)
14位:バレンタイン・キッス(国生さゆり with おニャン子クラブ)
17位:バナナの涙(うしろゆびさされ組)
22位:恋のロープをほどかないで(新田恵利)
23位:じゃあね(おニャン子クラブ)
24位:季節はずれの恋(吉沢秋絵)
29位:夏を待てない(国生さゆり)
35位:渚の『・・・・・』(うしろゆびさされ組)
37位:象さんのすきゃんてぃ(うしろゆびさされ組)
41位:シンデレラたちへの伝言(高井麻巳子)
44位:おっとCHIKAN!(おニャン子クラブ)
46位:瞳に約束(渡辺美奈代)
50位:不思議な手品のように(新田恵利)

【1987年】

37位:ホワイトラビットからのメッセージ(渡辺満里奈)

以上のように、年間ヒットチャート上で見れば、おニャン子クラブの流行は1986年のたった1年しかないのです。
というより、短かったからこそ、正確に言えばちゃんと終わらせたからこそ、おニャン子クラブは今でも伝説的なアイドルグループとして扱われているのでしょう。
この点も、今のアイドルとは違うところです。
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あなたは、新田恵利派?国生さゆり派?

上記したオリコンの年間チャートを見ても分かるとおり、新田恵利と国生さゆりはおニャン子クラブの中で人気を二分するようなメンバーでしたが、おニャン子クラブの中ではこの2人を頂点とする2つの派閥があったとされています。
どちらの派閥にも所属せずにお互いと仲の良かった人は、グループで最初にソロデビューした最年長メンバーの河合その子ぐらいで、その他のメンバーはほぼ漏れなくどちらかのグループに所属したと、まことしやかに語られています。

このような派閥ができた原因を探るため、まずは幾つかの項目に分けて新田恵利と国生さゆりの違いを挙げます。

首都圏定住者と地方出身者

新田恵利は、埼玉県南部で暮らしていたため東京まで電車で通え、夕やけニャンニャンの撮影スタジオである旧フジテレビ社屋(新宿区河田町)までも普通に電車で通っていました。(帰りはタクシーチケットが出たという話もある)
一方、鹿児島県生まれで広島県の高校出身(父の転勤で広島に引っ越していた)の国生さゆりは、上京して1人暮らしをしていました。

学生と社会人

新田恵利は夕やけニャンニャンが始まった時点で高校生(3年)ですが、1歳年上の国生さゆりは高校を卒業し社会人として新しい生活をスタートしていました。

人気の格差

おニャン子クラブが歌う楽曲では、メンバーが多いため数人だけがフロントメンバーとして選抜されていましたが、新田恵利は初期楽曲における4人のフロントメンバーの1人として選ばれていました。
一方、国生さゆりはフロントメンバーに選ばれたことはなく、おニャン子クラブから初めてソロデビューした河合その子のバックダンサーを務めるなど当初はグループ内であまり優遇されていませんでした。

芸能界での経験

国生さゆりは、夕やけニャンニャンが始まる前に第3回ミス・セブンティーンコンテストの全国大会に出場し、CBS・ソニーに仮契約のような形で所属して芸能活動を簡単にですがスタートさせていました。
一方、新田恵利は夕やけニャンニャンが芸能活動のスタートとなっています。(正確には、夕やけニャンニャンの前身番組となるオールナイト・フジの高校生版がデビュー)

2人は以上のように様々な点において違いがあり、仲違いしていくのでした。

当時高校生だった新田恵利は、日給や商品のハワイ旅行に釣られおニャン子クラブに応募したと後に語っており、正に番組企画通りの素人でした。
そのため、ソロデビューの話を断ったり、水着グラビアの撮影で駄々をこねたりととプロ意識に欠ける行動もあったそうです。
一方、高校を卒業し単身上京してきた国生さゆりは、自ら応募したオーディションをきっかけに既に芸能活動をスタートさせており、おニャン子クラブの中でもひときわプロ意識が高かったようです。
このように2人のイデオロギーは完全に相対するものでした。
しかもグループ内で推されていたのはプロ意識の低い新田恵利のほうだったので、このような状況に国生さゆりは耐えられず表立って意見を対立させることもあったそうです。
その結果できたのが、新田恵利派と国生さゆり派という2つの派閥です。

ということで、私が新田恵利派なのか国生さゆり派なのかについての話をしたいと思います。
実は、当時の自分は新田恵利の自宅と近い場所に住んでいました。
そのため新田恵利の話題には事欠かず、真実性の高いものから都市伝説レベルのものまで様々な話が入ってくる状況でした。
そんな私は当然、新田恵利派でした・・・と言いたいところですが、

私は国生さゆり派です。

地域的な問題により、新田恵利のネガティブな噂を聞く機会が多かったという事実もありますが、単純に国生さゆりのほうが可愛いと思っていました。
正直、バレンタインデー・キッス当時の国生さゆりは、80年代アイドルの中でもトップレベルに可愛いと今でも思います。
※ただし、おニャン子クラブの中で国生さゆりが1番に好きだったというわけではない。(^_^;)

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おニャン子クラブ是非論

近年、韓国のアイドル(K-POP)が世界的な人気を得ている一方で、日本のアイドルは海外(主にアジア圏)での人気を落としています。
その要因について、秋元康がAKB48のような大人数で成長を見せる形のアイドルを次々と誕生させたせいだと主張する人がいます。
芸能はレベルの高い芸を魅せるのが基本ですから、ほとんど選別されていないよう大人数型のアイドルが多数生まれる要因を作った秋元康に責任の一端はあるのかもしれません。
そして、こういった状況を招いた元凶がおニャン子クラブにあると主張する人もいるのです。
おニャン子クラブは秋元康が深く関わったグループでコンセプトは『素人の女子高生』ですから、AKB48グループや坂道系のグループに通じる部分があるのは事実でしょう。

自分はあまり考えたことはなかったですが、おニャン子クラブの是非論は当時からありました。
おニャン子クラブを生んだ『夕やけニャンニャン』が全国放送でなかったため、放送対象外地域に住む人にとっておニャン子クラブは“よく分からない存在”だったのです。
そんな“よく分からないアイドル”、がいきなりオリコンチャートを席巻し『ザ・ベストテン』や『ザ・トップテン』などの歌番組にある日突然何曲もチャートインしだしたのですから、混乱した人が多かったことは間違いありません。
当然、おニャン子クラブ関連の楽曲がチャートの上位に入れば既存のアイドルは押し出される形となり、押し出された側のファンはおニャン子クラブに否定的な意見を持つことも理解ができます。
これでおニャン子クラブのレベルが高かったら納得できる部分もあるのでしょうが、御存知の通りおニャン子クラブのレベルは総じて低いものだったのです。

このような状況が、アイドルのレベル低下を招きアイドル文化の崩壊(1990年代のアイドル冬の時代)を招いたとする人もいます。
否定派の考えについては理解できる部分もありますが、おニャン子クラブがアイドル文化の崩壊を招いたという事実はないと私は思います。
松田聖子の登場以降、日本では過剰なアイドルブームが起こり、おニャン子クラブが誕生した頃には既にレベルの低いアイドルがメディアに度々登場していました。
歌の下手なアイドルは1970年代からいましたが、この頃には歌唱力的にも容姿的にもアイドルとは思えないような人までもがアイドルと名乗りテレビなどに出演していたのです。
これは、1983年にアメリカのゲーム業界崩壊を招いた『アタリショック』と似た状況と言えます。

アタリショックとは?

家庭用ゲーム機『Atari 2600』(ファミコンのようなも)のソフト発売を、ロイヤリティを払う代わりに誰でも参入できるようにしたことで、ゲームの著しいレベル低下を招き消費者が一気に離れた現象。

以上のことから、おニャン子クラブがいようがいまいが1980年代のアイドルブームは崩壊していったものと思われます。
むしろ、おニャン子クラブによって芸能人としてのレベルが低い素人にすらアイドル性を認めたことで、1980年代のアイドルブームは1年や2年長引いたのかもしれません。

私の好きなおニャン子楽曲

私が好きなおニャン子クラブの楽曲は、

じゃあね

です。
『じゃあね』は、おニャン子クラブからの卒業及び芸能界引退を決めた中島美春(会員番号5番)に贈った楽曲で、当初は『中島美春 with おニャン子クラブ』名義で発売予定でした。
その後この楽曲は、おニャン子クラブの卒業生を送る楽曲として度々使われることになります。
※ちなみに中島美春と同時におニャン子クラブから卒業した河合その子は、自身のソロ楽曲『青いスタスィオン』のB面(今で言うカップリング曲)として『さよならは言わないで』という卒業ソングを与えられている。

もう1つ挙げるとするなら、

会員番号の唄

が好きです。
この『会員番号の唄』は、おニャン子クラブファンの人にとっては定番の楽曲で、メンバー1人1人が会員番号と簡単な自己紹介をしていくという極めて斬新な歌でした。
これを聴いてメンバーを覚えたというファンも多かったと思います。

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【更新履歴】
2018年02月03日:記事の作成
2019年09月16日:ブログの移転
2020年07月19日:デビュー順一覧とフロントメンバー遍歴を追記
2020年10月17日:『おニャン子クラブ是非論』の項目とメンバー3名の情報を追記
2022年10月31日:メンバー1名の情報を追記
2023年02月27日:SNS情報の記載、動画の埋め込み
2024年01月04日:オススメ商品の削除、埋め込み動画の削除

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