マンモスかわいい!『酒井法子』

酒井法子プロフィール

80年代アイドルの酒井法子

生年月日 1971年2月14日
芸能界入り 『’86 ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト』BOMB!賞
キャッチフレーズ おキャンなレディ
レコードデビュー 1987年2月5日(男のコになりたい)
主要音楽祭受賞歴
(最優秀新人賞)
1987年日本歌謡大賞優秀放送音楽新人賞
1987年全日本歌謡音楽祭最優秀新人賞
1987年メガロポリス歌謡祭最優秀新人ダイヤモンド賞
1987年ヤング歌謡大賞・新人グランプリ
1987年新宿音楽祭金賞
1987年横浜音楽祭最優秀新人賞
主要音楽祭受賞歴
(大賞)
ゴールデン・アロー賞
受賞歴
1987年音楽新人賞
主要映画賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
ドラマアカデミー賞受賞歴
(主演賞、助演賞、新人賞)
1995年4~6月主演女優賞(星の金貨)
1996年10~12月主演女優賞(続・星の金貨)
紅白歌合戦出場回数
((2024年まで)年まで)
1回
代表曲
()内はオリコン最高順位
87年:男のコになりたい(8位)
87年:夢冒険(4位)
95年:碧いうさぎ(5位)
96年:銀のドレス(9位)
他多数

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目次

酒井法子はサンミュージック所属のアイドル

酒井法子は『’86 ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト』という新人発掘オーディションで特別賞を獲得し、桜田淳子、松田聖子、早見優、岡田有希子などが在籍するサンミュージックに所属します。
実家が福岡県だった酒井法子は事務所の社長である相澤秀禎の自宅に下宿することとなり、同じく地方(愛知県)出身だった岡田有希子とも短い間ですが同じ屋根の下で暮らしています。

サンミュージックの社長室には長らく岡田有希子のサインが飾ってありましたが、それは酒井法子が岡田有希子から部屋の引き継ぎをする際に、酒井法子へ宛てて書いたものでした。

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酒井桃子とモモコクラブ

酒井法子が最初に注目を集めたのは、1986年10月5日から1987年9月27日まで日曜日の昼に放送されていた『モモコクラブ』というアイドル番組です。
この番組は、当時大ブームとなっていた『夕やけニャンニャン』を模したような素人に近い多数の新人アイドルが歌を歌ったりお笑い芸人とゲームをしたりするような番組で、MCはザ・ドリフターズの志村けんでした。

当時、著名なアイドル雑誌『Momoco』に番組と同名の『モモコクラブ』という自薦・他薦を問わない美少女紹介コーナーがあり、番組に出演する多数のアイドルたちも全員このコーナーで紹介された人が選ばれています。
週に1回の30分番組ということで、『夕やけニャンニャン』や『おニャン子クラブ』ほどの話題にはなりませんでしたが、おニャン子クラブブームの影響もあってかアイドルファンの中ではそれなりに人気を得ていたようです。
この中で圧倒的に目立っていたのが酒井法子(桃組出席番号1482)でした。
白田あゆみ(桃組出席番号2)や畠田理恵(桃組出席番号1404)と共にコーナーMCを担当するなど、メイン級の扱いを受け酒井法子は一気に人気を獲得していきます。

ちなみに『モモコクラブ』の桃組出席番号は『おニャン子クラブ』の会員番号みたいなものですが、最初に採用したのはモモコクラブ(雑誌)のほうで、真似をしたのは『おニャン子クラブ』のほうとなっています。

『モモコクラブ』に関しては、番組名も出演していたアイドルたちをまとめて呼ぶときも雑誌のコーナーも全部『モモコクラブ』と称するので、当時の状況を理解していない人にとっては意味不明な状況に陥りかねません。(;^_^A
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酒井法子の第1期全盛期

酒井法子はデビュー曲『男のコになりたい』でいきなりオリコン最高6位を記録すると、16枚目のシングル『イヴの卵』(1990年11月21日発売)までオリコン10位以内を維持し続けます。
4枚目のシングル『夢冒険』は、甲子園(第60回選抜高等学校野球大会)の入場行進曲に選ばれ、6枚目のシングル『1億のスマイル』では自己最高のオリコン2位を獲得するまで至りました。
アイドル時代に最も売れたシングルは8枚目のシングル『ホンキをだして』で、レコードの売れない時代に9.8万枚のスマッシュヒットとなっています。
酒井法子がデビューした1980年代終盤はアイドルブームに陰りが見えだしていましたが、その中で酒井法子は既存のアイドルらしさを全面に出しながらも売れた稀な存在だったと言えます。

『のりピー語』と『のりピーちゃん』

酒井法子を語る上で欠かせないポイントが『のりピー語』です。
『のりピー語』の基本は語尾をピーに変えればよく(例:うれしい→うれぴー)、その他には“すごい”などをマンモスと言うことが定番です。(例:マンモスうれぴー)
1988年7月には、この『のりピー語』で歌った『のりピー音頭』という企画性の高い楽曲もカセットテープ限定で発売しています。

更に酒井法子が描くファンシーなキャラクターも話題となり、少女漫画誌『週刊少女コミック』で『のりピーちゃん』という漫画も連載します。
この『のりピーちゃん』は多岐にわたってグッズ展開され『NORI・P ・HOUSE』という当時流行っていたタレントショップができるのですが、その1号店はなんと富士山8合目(標高3300m)の出店で『日本一(標高の)高いタレントショップ』として話題になりました。(;^_^A

中国語圏での人気

酒井法子の芸能活動における大きな特徴として、中国語圏での人気が挙げられます。
最初に人気を得たのは台湾で、台北市で行ったコンサートで高額なチケットが即日完売になるなど熱狂的な人気を獲得しました。
この人気は中国本土にも波及し、1990年代の中国語圏で酒井法子は絶大な認知度を誇っていたのです。
酒井法子が中国語圏で人気を得た理由は明確に分かりませんが、この人気は後の酒井法子にとって大きな助けとなります。

転機となったドラマ『ひとつ屋根の下』

元アイドルが、レコードやCDの売り上げが下がってから女優業へと仕事を移行していくことはよくあります。
特に1990年代はアイドル歌手の人気が極端に落ちていた時代(俗に言うアイドル冬の時代)なので、こういった現象が顕著に現れました。
例えば1980年代に演技の仕事をほとんどしてこなかった中森明菜は、1992年4月13日から6月29日まで放送の月9ドラマ『素顔のままで』に出演しています。
しかも1980年代にはアイドルとしての立場に雲泥の差があった安田成美とのW主演(クレジット順は安田成美が先)で、主題歌も別のアーティスト(米米CLUB)が歌うなど、アイドル時代の活躍と比べると格段に扱いが悪くなっているのです。(彼女の場合は別のことが原因でもあるが・・・)
これはまだ良いほうの例で、多くの80年代アイドルは1990年以降になると公開規模の小さい映画や当時よくあったVシネマなど、あまり人目に付かない女優の仕事をする人が大半でした。

酒井法子も1990年代に入ると歌手としての人気に陰りが見えてきて、1993年5月21日に発売された23枚目のシングル『あなたが満ちてゆく』は、オリコン最高60位と売り上げが低迷します。
そんな時代に、酒井法子は『ひとつ屋根の下』(放送日:1993年4月12日~6月28日)という月9ドラマに出演することになります。
主演は江口洋介で、酒井法子はメインキャストの1人ではありましたが主役クラスではありませんでした。
しかしドラマ自体が高い人気を得て、視聴率が最高で37.8%を獲得するなど大きな話題となるのです。
当時は『東京ラブストーリー』や『101回目のプロポーズ』から続くフジテレビの月9ドラマ全盛期で、話題作が次々と生まれる時代だったとは言え、視聴率37%を超すようなドラマはなかなかなく日本ドラマ史に名を残す作品となっています。
そして、この『ひとつ屋根の下』の出演が酒井法子の芸能活動に転機を与えることになりました。

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女優としての成功と歌手としての再評価

『ひとつ屋根の下』出演で女優としての人気を獲得した酒井法子は、芸能生活の全盛期を迎えます。
続いて出演した聴覚障害者がテーマの連続ドラマ『星の金貨』(放送日:1995年4月12日~7月12日)では、主演を任されることになります。
『星の金貨』の初回放送は、オウム真理教事件の報道でメディアで湧いていたこともあり視聴率7.2%と低調な滑り出しでしたが、最終回は視聴率23.9%まで上昇し大きな話題となりました。
このドラマで酒井法子は、女優としてだけではなく歌手としての評価も得ることになります。
自身で歌ったドラマの主題歌『碧いうさぎ』が100万枚近い売り上げとなり、NHK紅白歌合戦にも出場(初出場)するのです。

『星の金貨』は後に続編『続・星の金貨』(放送日:1996年10月9日~12月25日)が作られ、最高視聴率は26.4%。
酒井法子は再び主題歌(鏡のドレス)も任され、見事にヒットさせます。
そして1997年4月14日から6月30日に放送された『ひとつ屋根の下』の第2シリーズも、34.1%という高視聴率を記録しました。
また、当ドラマでは前シリーズと違い酒井法子が物語の中心になることも増え、この間に酒井法子の人気が上昇したことが窺えます。

このように、アイドル文化の衰退により多くの80年代アイドルが人気を落としていく中、酒井法子は女優・歌手として高い人気を得て2度目の芸能活動全盛期を迎えるのでした。

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逃亡者・酒井法子

『ひとつ屋根の下』や『星の金貨』で得た人気も落ち着いてきた1998年12月、酒井法子はプロサーファーだった高相祐一と結婚し、翌年7月には出産も経験します。
その後の酒井法子は、サーフィンに興じたりクラブでDJを行ったりと、今までのイメージとかけ離れた姿を見せ始めました。
そんな矢先の2009年、夫の高相祐一が覚醒剤所持で逮捕され酒井法子も任意同行を求められます。
しかし、酒井法子はその任意同行を拒否して逃亡を図るのです。
結局5日後に出頭して逮捕となり、覚醒剤の使用も確認されました。
裁判結果は懲役1年6か月・執行猶予3年の有罪で、当然のことながら芸能活動は休止となります。

ちなみに、酒井法子の裁判傍聴の抽選倍率は刑事裁判の最高記録だそうです。Σ(゚Д゚)

事件後の酒井法子

裁判では芸能界からの引退も示唆した酒井法子でしたが、結局のところ3年ほどで芸能界に復帰します。
しかし、その芸能活動にはかなりの制限がかかり、テレビの出演は極めて限定的で舞台やファンイベントが活動の中心となりました。
そのため、事件の悪影響が少い中国語圏での活動を活発化させるなどして芸能活動を継続させます。
現在は日本国内の状況も少しずつ改善していますが、ゴールデンタイムの連続ドラマで昔のように酒井法子の姿を見ることは今でも難しいのかもしれません。

※夫の高相祐一とは、裁判後まもなく離婚しました。

酒井法子の生い立ち

最後に酒井法子の生い立ちについて少し記したいと思います。
実は、覚醒剤関連の犯罪で捕まった酒井法子の親族は元夫だけではありません。
父親も腹違いの弟も覚せい剤関連の犯罪で逮捕歴があり、2人とも刑務所での服役経験もあります。
端的に言って、彼らは反社組織に属していた経験があるのです。

酒井法子は父親が服役中に生まれているのですが、母親は幼い酒井法子をお寺に捨てて別の男と駆け落ちしてしまいました。
その後、父方の叔母に育てられることになる酒井法子ですが、出所した父親が再婚したことを機に引き取られ、7歳のときに実父と継母と暮らすことになります。
酒井法子は、このとき初めて叔母が母親でないことを知ったそうです。
この父親は、酒井法子がアイドルデビューした直後に交通事故で亡くなってしまいますが、裏社会の抗争に関連した殺害であった可能性も噂されています。
男と駆け落ちした実母も酒井法子が4歳のときに亡くなっているようですが、こちらも他殺の可能性が高いそうです。
以上のように、酒井法子の子供時代は壮絶すぎて言葉を失うレベルとなっているのです。
更に、芸能界入りし上京した際に下宿先の部屋を引き継いだ岡田有希子は引っ越した数日後にビルから飛び降り、デビュー当時から担当マネージャーだった溝口伸郎も2000年に自ら命を断つなど、酒井法子は芸能界入り後も関係者が次々と不幸な死を遂げています。

酒井法子が起こしたことは、紛れもなく犯罪です。
逃亡したことも、とても印象を悪くしています。
しかし上記した境遇を考えれば、立派に育ったほうとも思えてきます。
これから先、医学の発展により幼い頃の境遇と犯罪の関係性が科学的に証明された場合、酒井法子の罪は個人ではなく厳しい境遇を生んだ社会の責任と考え方が変わる可能性もあるのです。
そういった意味で、私は酒井法子を軽々に批判はできないと感じています。

私が好きなのりピー楽曲

私が1番好きな酒井法子の楽曲は、

夢冒険

です。
酒井法子にはアイドル脱却後にも売れた曲がありますが、やっぱりアイドル期の楽曲のほうがお気に入りです。
その中でも『夢冒険』が1番好きなのですが、改めて調べてみると総売上6.9万枚(オリコン調べ)と思ったより売れておらず、今頃になって衝撃を受けています。(;^_^A

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酒井法子の動画(公式MV)

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